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(2016年3月8日現在)
名称 |
黒千石事業協同組合(くろせんごくじぎょうきょうどうくみあい)
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所在地 |
〒078−2503 北海道雨竜郡北竜町字碧水31番地の1(地図)
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連絡先 |
Tel:0164-34-2377 Fax:0164-34-2388
mail:info★kurosengoku.or.jp(★を半角の@に替えてご利用ください) |
法人成立 |
2007年(平成19年)3月5日 |
役員 |
・理事長 :高田幸男(全般担当)
・専務理事:辻正昭(会計担当)
・理事:木村和雄、松本裕樹、竹橋守、吉田修
・監事:永井捷弘
(2016年度・2017年度)
・職員:1名 |
生産地区 |
北竜、士別、岩見沢、新十津川、滝川、追分、美瑛・上富良野、北檜山、今金(H25年度・9地区) |
事業 |
・組合員の取り扱う農産物の共同加工・共同販売・共同保管
・事業に関する調査・研究
・経営及び技術の改善向上又は組合事業に関する知識の普及を図るための教育及び情報の提供
・組合員の福利厚生に関する事業など
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施設
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・大豆の調製施設・倉庫:北竜町字碧水
・精米工場・精米機:北竜町字碧水 |
広報・情報発信 |
・黒千石事業協同組合ネットショップ
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▶ 生産者数・面積・収穫量推移
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項目/年度 |
2005
(H17) |
2006
(H18) |
2007
(H19) |
2008
(H20) |
2009
(H21) |
2010
(H22) |
2011
(H23) |
2012
(H24) |
2013
(H25) |
2014
(H26) |
2015
(H27) |
北 |
生産者数 (人) |
20 |
39 |
42 |
33 |
29 |
9 |
8 |
12 |
14 |
14 |
14 |
竜 |
面積(a) |
2,282 |
7,980 |
11,527 |
6,791 |
8,747 |
2,588 |
2,940 |
6,047 |
6,193 |
4,775 |
4,104 |
|
収穫量(Kg) |
35,890 |
139,115 |
135,990 |
97,019 |
86,006 |
43,464 |
27,477 |
95,240 |
61,978 |
59,839 |
54,461 |
他 |
生産者数 |
6 |
102 |
84 |
68 |
64 |
27 |
14 |
21 |
24 |
35 |
50 |
地 |
面積 |
400 |
14,610 |
17,549 |
15,707 |
19,986 |
5,890 |
1,997 |
4,860 |
5,735 |
6,988 |
11,435 |
区 |
収穫量 |
7,000 |
282,962 |
279,270 |
263,480 |
270,493 |
95,637 |
24,175 |
76,572 |
69,395 |
114,729 |
169,651 |
全 |
生産者数 |
26 |
141 |
126 |
101 |
93 |
36 |
22 |
33 |
38 |
49 |
64 |
地 |
面積 |
2,682 |
22,590 |
29,076 |
22,498 |
28,733 |
8,478 |
4,937 |
10,907 |
11,928 |
11,763 |
15,539 |
区 |
収穫量 |
42,890 |
422,077 |
415,260 |
360,499 |
356,499 |
139,101 |
51,652 |
171,812 |
131,373 |
174,568 |
224,112 |
10a当たりの収量(kg) |
160 |
187 |
143 |
160 |
124 |
164 |
105 |
158 |
110 |
148 |
144 |
左より:生産者数の推移、作付面積の推移、収穫量の推移
黒千石は、極小粒大豆。種皮は光沢のある黒色、子葉(種皮を剥いだ子実)は緑色。
普通の大豆より葉数が多く、日照時間を多く必要とし天候に左右されやすいので、栽培が難しい。
(黒千石は種を植えてから実が成熟するまでの毎日の気温を足した積算温度が高い。通常の豆が2,300度に対し、黒千石は2,700度)
北海道の原種である黒千石は、1970年代(昭和45年)以降、栽培が途絶え、幻の黒千石と呼ばれていた。
2001年(平成13年)に、北海道茅部郡森町の農業研究家・田中淳さんによって、黒千石の原種が見つかり、その中から約50粒を厳選し、28粒の発芽に成功。
その後、黒千石は岩手県に渡り、世界的な豆の研究者である有原丈二氏(2014年・中央農研関東東海総合研究部長)のご指導を受けながら栽培されたが、2004年(平成16年)、故郷である北海道に里帰り。
2005年(平成17年)、北竜町、滝川市、乙部町の24戸で黒千石栽培がスタート。
2007年(平成19年)、北竜町で黒千石事業協同組合が設立された。
黒千石の栄養成分が評価され、マスコミや雑誌に取り上げられ話題となる。
洋菓子「きのとや」とのコラボである焼き菓子「まぼろしの黒千石・フロランタン」、東京・榮太樓總本鋪「黒千石甘名納糖」を伊勢丹新宿店で販売、ニチロサンパックのペットボトル茶「黒千石茶」の販売など次々と新しい加工品の開発が進む。
2013年(平成25年)には、札幌市の6次産業活性化推進補助事業に採択され、納豆専門会社「豆蔵」との提携により、2014年(平成26年)に「黒千石発芽納豆」が誕生。
幻の黒千石は、今や「健康的な理想の豆」として蘇り、更なる発展を遂げつつ、日々邁進し続けている。
高田幸男 理事長(71歳)に黒千石大豆について、お話を伺いました(2014年4月)。
▶ 黒千石は北海道の在来種
黒千石はもともと北海道の在来種で、古くは軍馬の飼料や緑肥作物として栽培されていた。
一昔前、北海道は気温が低く、実がつかない黒千石の鞘もあった。
しかし、黒千石の鞘にも栄養成分が多く含まれていたので、実を付けない鞘も馬の飼料として与えていた。
極小粒の黒千石大豆は、積算温度(播種から成熟までの毎日の平均気温を足した温度)が高く、通常の大豆より日照時間が必要な為、栽培に手間がかかり、天候に左右されやすい。
栽培の難しさから、1970年代以降は、栽培が途絶えていた。
▶ 昔なつかしい「きなこ豆」の復活
◎1994年(平成6年)秋
黒千石事業協同組合に大手納豆メーカーから「極小粒の黒大豆が、北海道にないだろうか」と問い合わせがあった。
村井 元会長は、「極小粒の黒豆」と聞いて、幼い頃の「きなこ豆」思いだす。
祖母がフライパンで煎って、挽き臼できな粉にしていた、あの小さな黒豆!
幼いころのあのきな粉の香ばしさが蘇り、黒千石復活の旅は、こうして始まる。
▶ 農業研究家・田中淳さんによる黒千石28粒の発芽成功
◎ 2001年(平成13年)
研究を重ねていた森町の農業研究家・田中淳さんは、収集していた豆の中から極小粒黒豆・黒千石を発見。「黒千石」の原種50粒を厳選し、28粒の発芽に成功。
黒千石の栽培には日照時間を長く必要としたために、当時の北海道の気候では栽培が難しいと考えられていた。そこで田中さんは、日照時間の長く、気候も暖かくて、栽培が可能な最南端地と考えられいた岩手県(花巻市・北上市)に着目した。
▶ 岩手県での黒千石栽培スタート
◎ 2002年(平成14年)
復活した黒千石に取り組んだのは岩手県。
当時、国の減反政策による水田の転作物として、黒千石の種が花巻市の農協・JAいわて花巻に持ち込まれた。栽培ノウハウもなく、試行錯誤の繰り返し。苦労の甲斐あって、黒千石は岩手県の特産品として栽培面積が拡大し、栽培が広がっていった。
▶ 小畦立て播種栽培法・収量が伸び悩んだ
岩手県での黒千石栽培は、土地の水はけが良くないため、小畦立て播種栽培法。しかし、収量は思った以上に伸びなかった。
▶ 中央農業総合研究センター・関東東海総合研究部長・有原丈二氏のご指導
岩手県花巻市では、世界的な豆の研究者である独立行政法人 農業・生物系特定産業技術研究機構の大豆300A研究センター・有原丈二 リーダー(※)を講師に招き、黒千石栽培の指導を受け収量の増加につとめた。高田理事長は、岩手の栽培農家の視察に出かけ、そこで有原先生のご指導を受けた。
(※ 2014年、中央農業総合研究センター・関東東海総合研究部長)
▶ 黒千石の北海道への里帰り
◎ 2004年(平成16年)の夏
村井 元会長が岩手県で栽培栽培されている黒千石の存在を知り、立ち上がった。
「黒千石は、北海道の原種。北海道生まれの北海道育ち、生粋の道産子。里帰りして、故郷で育てるのが一番」
「黒千石は品種改良されていない、北海道の素晴らしい原種。かつて北海道で作られていたきな粉を復活させ、北海道の更なる発展に繋げたい」
村井 元会長の熱い想いは、北海道での黒千石大豆の栽培を目指して周囲を動かし始めた。
▶ 動き出した黒千石栽培
村井 元会長の熱意は岩手県を説得し、休耕地が増加傾向にある北海道の農家を動かした。北海道南部・乙部町の寺島光一郎 町長は「町・農業再生プラン(大豆プロジェクト)」を掲げ、村井 元会長の熱き想いに賛同。
◎ 2005年(平成17年)
北竜町、滝川市、乙部町の24戸で黒千石栽培がスタート。
滝川市に田中淳先生を講師として招き、黒千石の講演会を開催。村井 元会長の想いに共鳴した約40人が集まり、熱心に話に耳を傾けた。
▶ 田中淳先生のご指導により、黒千石栽培がスタート。驚きの連続!
田中先生のご指導により、黒千石栽培に着手。
播種し、葉が出る。しかし、他の大豆は、花が咲き実を付けたが、黒千石は花さえ咲かない。
やっと花が咲き始めたのは、お盆を過ぎた頃。こんなに遅い大豆は初めてだったので、戸惑う生産者達。
10月の末やっと葉っぱが落ち、収穫を迎える。
コンバインで収穫後、今度は泥落としに一苦労。
農協から倉庫を借りて、ベルトコンベアーに豆を流し、泥と豆を手で選別していく作業を繰り返す。
手作業は農家のお母さんたち。気の遠くなるような作業が延々と続けられた。
▶ 初めての収穫、そして分別装置の導入
◎ 2005年(平成17年)
栽培面積27ha、生産者22人での栽培。収量は43トン弱だった。
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、来年の生産に向けて、分別装置(異物除去)を探しに奔走。
ひと夏、数えきれない程の業者との交渉を重ね、装置導入に至った。
◎ 2006年(平成18年)
転作奨励金もあり、生産者・収量も増加。2006年度の生産者141人、収量422トン。
▶ 黒千石事業協同組合設立
◎ 2007年(平成19年)
3月、黒千石事業協同組合が成立。
北竜町碧水に事務所を設け、船出する。
2007年度の生産者126人、
栽培面積291ha、収量415トン。
▶ 絶頂の黒千石
マスコミに特集として取り上げられ始める。
札幌道庁前で開催される「北のめぐみ愛食フェア」に出店し、元会長・理事長自ら商品を売り込んだ。
そこで出会ったお母さん達が、「黒千石は美味しくて素晴らしい豆!」と応援してくれた。何よりの支えとなった。
愛食フェアの出店は、7年経過した2014年も続けられる。
最初に商品化された商品が「黒千石納豆」。
2007年・2008年(平成19年・20年)と収量年間360トン前後を確保し、経営も順調。前途は洋々。
▶ 中間業者の倒産
◎ 2009年(平成21年)
景気悪化の折、今まで一手に黒千石大豆を買ってくれていた中間業者が倒産。
状況は一変。順調に収穫された黒千石は在庫となって倉庫の中。
入金の見通しがないまま、生産者への支払い日が迫る。
▶ 雪に埋もれる黒千石
さらに追い打ちをかけるように、この晩秋、黒千石は雪に埋もれた。
収穫時期を目前に控えていた黒千石に、雪が降り積もり、黒千石の畑は悪夢と化した。
1億円を超える在庫を抱えたまま、生産者への支払いができず、ましてや、大切に育てた黒千石大豆は収穫を目前に虚しくも雪に埋もれてしまったのだ。
▶ 死を選ぶことさえできない
◎2009年(平成21年)12月
高田理事長は、生産農家の一人ひとりに、頭を下げて回った。
どんなに罵倒されても、申し訳ないという想いで、返す言葉なく必至で頭を下げて回るしかなかった。
高田理事長は絶望感に苛まれ、自らの保険金で支払えるものならと死を覚悟した。
しかし、保険金額は支払い金額に充たない。
死を選ぶことさえできなかった。
▶ 窮地を救い、忍耐強く見守り続けてくださった生産者たちの真心
黒千石大豆の代金が入ってこないまま年末を迎え、年を越せない生産者たち。
窮地に陥って、止むなく去っていく人々。
しかし、苦しくても、歯を食いしばり、ぐっと耐えて待っていてくれた生産者の方々がいた。
この人々の想いに応えるためにも、高田理事長は命がけで東西奔走した。
地獄を経験し、共に苦しみを乗り越えた人々。
見守り、応援し続けてくださる方々がいるからこそ、今の黒千石が存在する。
▶ 救いの神現る
◎ 2010年(平成22年)4月
この最悪状況を4か月間、見守り続けていた人がいた。かかってきた一本の電話は、あづま食品株式会社(栃木県)。
直接、200トンの黒千石を買ってくれるという。
有難い想いを抱いて、生産者のために残りの300トンを死に物狂いで日本中を売り歩く。
一番遠くは、四国・徳島までも。。。
▶ 黒千石を見守り、支えてくださった人々の真心
こんなどん底にいるときも、黒千石の素晴らしさをより多くの人々に伝えるために、一緒に行動して販売を応援してくださった方々がいる。一生忘れることのできない人々。黒千石の生産者を支え、応援してくだる人々のかけがえのない真心で、黒千石はどん底から這い上がることができた。
◎ 2011年(平成23年)3月
生産者の皆さんへの支払いが完了。
しかし、2010年度は前年度に比べ、生産者数は93人から36人、栽培面積は297haから85ha、収量は359トンから139トンへと激減していた。
◎ 2012年(平成23年)
農業者戸別所得補償制度がスタート。黒千石大豆は、主要農産物から外れる。
黒千石に対して、北竜町が作付奨励助成を決定。町の特産品・黒千石に対する町独自の支援が開始された。
▶ 注目を浴びる黒千石
◎ 2011年(平成22年)〜
世の中の流れは、黒千石の抜きん出た栄養成分の素晴らしさに注目が集まり始め、食品業界やマスコミで取り上げられるようになる(STV「テレビショッピング」「アンビシャス!」、各種雑誌掲載など)。
札幌での愛食フェアへの地道な参加は、応援してくださる星澤幸子先生や多くの人々との出会いを生み出した。
2013年(平成23年)、全国放送テレビ番組「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」で黒千石納豆が紹介される。
▶ 商品化される黒千石
◎ 2011年(平成23年)7月
ニチロサンパックのペットボトル茶「黒千石茶」新販売。
◎ 2011年(平成23年)9月
「洋菓子きのとや」とのコラボである焼き菓子「まぼろしの黒千石・フロランタン」新発売。
◎ 2011年(平成23年)11月
東京・榮太樓總本鋪「黒千石甘名納糖」を伊勢丹新宿店で販売。
・・・次々と新しい加工品の開発が進む。
▶ 受賞
◎ 2010年(平成22年)
第6回HAL農業賞「チャレンジ賞」受賞(2010年11月11日)。
◎ 2014年(平成26年)
平成25年度きたしん「ふるさと振興基金・きたしん産業技術奨励賞」受賞(2014年3月26日)。
◎ 2016年(平成28年)
高田幸男 理事長が公益財団法人日本特産農産物協会・地域特産物マイスターに認定される(2016年2月22日)
◎ 2018年(平成30年)
黒千石事業協同組合が内閣官房及び農林水産省が主催する「第5回ディスカバー農山魚村(むら)の宝」に選定される(2018年11月22日)
▶ 「黒千石発芽納豆」の登場!
◎ 2014年(平成25年)
黒千石事業協同組合の事業が、札幌市の6次産業活性化推進補助事業に採択される。株式会社 豆蔵との連携による黒千石発芽納豆の開発が始まる。
◎ 2014年(平成26年)3月
株式会社 豆蔵との連携により「黒千石発芽納豆」が誕生!
▶ 栽培から10周年を迎える黒千石大豆・日本人の健康を守る
◎ 2015年(平成27年)3月
2005年(平成17年)に栽培が始まった黒千石大豆。2015年(平成27年)に10周年を迎える。
高機能性の食品「黒千石大豆」が、日本人の命を守る北海道産の食べものとして、次世代へのスタートをきる!
「黒千石大豆」屋号
荻野丹雪(おぎの・たんせつ)氏
墨象家。1939年(昭和14年)兵庫県丹波生まれ。グラフィックデザインを主な仕事としながら、1970年頃から書の道に傾注。伝統的な書や墨をベースにした純然たる文字作品から抽象画まで。また商品デザイン及びマスメディアにおいて創作した数多くの作品のなかには、サントリーウィスキー「響」の外、花博「咲くやこの花館」、大河ドラマ「新撰組!」等の題字がある。
・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・
黒いマントを翻し、緑のボディは百万馬力
まんまるくてちっこく、なまらめんこい「黒千石大豆」
太陽の光を人一倍浴びて、雨にも負けず風にも負けず
自由奔放、のびのびと育っていく野生児・黒千石
デリケートな精神と強烈なパワー溢れる黒千石は、
健康と元気を誇る正義の見方!
我らのヒーロー「黒千石」
フレーフレー 黒千石!
▶ <特集記事> 黒千石大豆の新品種「竜系3号」について拓殖大学北海道短期大学名誉教授・三分一 敬 先生にお話を伺いました(2018年5月14日)
▶ 役員 |
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▶ 生産者(順次掲載予定)
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黒千石大豆の生産者の奥様・永井美保子さんの黒千石クッキング・レシピをご紹介
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▶ 職員 |
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2004年(平成16年) |
・道庁資料での調査開始、「黒千石」のルーツを確認する
・岩手県で栽培されていることを知り現地で実態を確認する
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2005年(平成17年) |
・北竜町を中心に、滝川市、乙部町で黒千石の作付推進を図る
・乙部町の作付の意向が強く、26戸42haの作付けを計画、43tonの収穫をした
・作付計画と共に、各施設の建設や補助制度の申請、生産者組織の創設など組織創りを進め、村井宣夫氏を組合長でスタート
・事務所を設置
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2006年(平成18年) |
・作付けの普及活動が空知管内に徹底され、北竜、乙部の2町から新たに岩見沢、新十津川、滝川、南幌、追分、北見、江別の9つの市町に亘って広がった
(作付農家141戸・225.9ha・400ton)
・北海道赤レンガ広場での「愛食フェアー」に出店
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2007年(平成19年)
設立登記 |
・各機関の指導で、生産組合を改組して組合法人「黒千石事業協同組合」として登記
・理事長に高田幸男を選任
・米の付加価値事業(精米加工)も有利な事業として取組む
・「おぼろづき」という米は、黒千石大豆の販売にも相乗効果が期待でき、一定の実績を作ることが出来た
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2008年(平成20年) |
・販路は、あづま食品株式会社(栃木県)の黒千石納豆、中村食品の産業株式会社(札幌市)のきな粉他、株式会社 坂口製粉所(札幌市)のきな粉、ベストアメニティ株式会社(九州)の15穀米に至って広まる
・2006年(平成18年)から出店を継続していた北海道赤レンガ広場での「愛食フェアー」を通じて、個人消費の広まりは、想像以上の効果をあげる
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2009年(平成21年) |
・中間業者の倒産
・黒千石の生産規模が大幅に縮小する
・知名度と普及発展を目指し、「第1回黒ちやんまつり」を北竜温泉前広場で開催
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2010年(平成22年) |
4月:大口の取引が成立
11月:第6回HAL農業賞・チャレンジ賞受賞
12月:「沖縄薬膳美らみそ」発売 |
2011年(平成23年) |
・札幌の菓子メーカー「きのとや」で発売した「幻の黒千石」というユニークなお菓子は一気に拡販され、新千歳空港にも進出、売上ランキングにも名前を連ねた
・元拓殖大学北海道短期大学教授の三分一敬先生が黒千石大豆早生化事業に取組む
5月:「黒ちゃんドン」新発売
:【北海道大学で記者発表】「黒千石」を膨化処理した食材が免疫機能と
抗酸化機能に優れていることを遺伝子病制御研究所が実証される
7月:黒千石茶(ニチロサンパック)新発売
9月:「幻の黒千石」フロランタン(きのとや)新発売
11月:榮太樓總本鋪「黒千石甘名納糖」伊勢丹新宿店で販売
12月:テレビ番組「D!アンビシャス」に高田理事長出演 |
2012年(平成24年) |
・生産者の拡大に合わせ、商品も黒千石大豆の機能性を活かし発芽大豆による納豆を開発
・農業者戸別所得補償制度がスタート。黒千石大豆は、主要農産物から外れる
・黒千石に対して、北竜町が「作付奨励助成」を開始。町独自の支援が始まる |
2013年(平成25年) |
・札幌市の6次産業活性化推進補助事業に採択され、株式会社 豆蔵との連携による黒千石発芽納豆の開発が始まる
10月:全国放送テレビ番組「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」で黒千石納豆が紹介される |
2014年(平成26年) |
・期待の黒千石大豆の作付拡大の効果は前年対比134%と伸び、生産者49戸、作付面積130ha、収穫量約197ton
3月:平成25年度ふるさと振興基金・きたしん産業技術奨励賞受賞
4月:黒千石発芽納豆「なんとみごとな黒千石なっとう」新発売
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2015年(平成27年) |
1月:「主治医が見つかる診療所」(テレビ東京)で全国放送
3月:黒千石創立10周年記念祝賀会(3月14日・北竜温泉)
・『黒千石10周年記念 2015』フォトブック作成(写真でつづる黒千石事業) |
▶ 受賞 (クリックすると別画面で拡大します)
◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子 (取材:2014年4月)
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