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第37回元旦マラソン2020・祈願「豊作・交通安全・無災害・家内安全」

2020/01/03 20:30 に 寺内昇 が投稿   [ 2020/01/03 20:31 に更新しました ]

2020年1月4日(土)

令和二年(2020年)の元旦を迎えました。2020年は、オリンピックイヤー、閏年、そして庚子(かのえ・ね)年です。今年の子年は、十二支のスタートであり、発展と繁栄の年と言われています。


真竜神社参拝・元気に元旦マラソン

降りしきる雪の中、今年も元旦の朝、気を引き締めて真竜神社参拝、そして、元気に元旦マラソンからスタートです。

・主催:北竜町体育協会、JAきたそらち北竜支所
・後援:北竜町教育委員会、サンフラワーパーク北竜温泉
・協賛団体:交通安全協会、北竜消防連合消防後援会、黒千石事業協同組合
・事務局:JAきたそらち北竜支所、長谷川清隆氏(北竜消防)


元旦の真竜神社(北竜町和町) 
元旦の真竜神社(北竜町和町)


真竜神社参拝

朝7時、30名程の町民の方々が真竜神社に集合し、「豊作・交通安全・無災害・家内安全」を祈願し参拝します。


祈願「豊作・交通安全・無災害・家内安全」 
祈願「豊作・交通安全・無災害・家内安全」

参拝後の記念撮影 
参拝後の記念撮影


元旦マラソン

参拝後、北竜消防庁舎の前に集合し、皆で「交通安全」の黄色のたすきをかけて、一斉にスタート!


北竜消防庁舎横から元旦マラソンスタート! 
北竜消防庁舎横から元旦マラソンスタート!


1km、3km・5kmのコースを、体調に合わせゆっくりと走り抜けていきます。交通安全のためのパトカー伴走は、和駐在所・富所秀樹 所長、碧水駐在所・伊藤敦所長。


北竜町市街地を思い思いの走り方で 

北竜町市街地を思い思いの走り方で 
北竜町市街地を思い思いの走り方で


今年は、北海道新聞社深川支局・矢野旦記者をはじめ、お父さん、お母さんと一緒に小学生の子どもたちの参加もありました。


先頭を走る北竜消防・長谷川清隆 副署長(左)、北海道新聞・矢野旦 記者 
先頭を走る北竜消防・長谷川清隆 副署長(左)、北海道新聞・矢野旦 記者

子どもたちも一緒に 
子どもたちも一緒に

板谷方面に向かって 
板谷方面に向かって


元旦マラソン新年会

気持ちのよい汗をかいた後は、公民館講堂にて新年会です。講堂内中央に供えられた鏡餅は、北竜消防連合消防後援会・藤井利昭 会長が栽培されたもち米をが奉納されたものです。

会場の準備は、JAきたそらち北竜支所の星野忠雄 支所長、同営農課・川本知弘 課長を中心に、皆さんで準備されました。


北竜消防連合消防後援会・藤井利昭 会長が栽培のもち米使用 
北竜消防連合消防後援会・藤井利昭 会長が栽培のもち米使用

元旦マラソン中にJA北空知北竜支所にの皆さんが準備 
元旦マラソン中にJA北空知北竜支所の皆さんを中心に準備


お母さんたちにより準備された「お雑煮」

お母さんたちにより準備された「お雑煮」は、サンフラワーパーク北竜温レストラン「風車」提供。丸餅は、(有)ひまわり農産の生産によるお餅「田からもち」です。


お雑煮の「田からもち」 
お雑煮の「田からもち」

お母さん達によるお雑煮準備 
お母さん達によるお雑煮準備

人数分を作ります 
人数分を準備します

美味しいお雑煮 
美味しいお雑煮


司会:JAきたそらち北竜支所・星野忠雄 支所長


JAきたそらち北竜支所・星野忠雄 支所長の司会 
JAきたそらち北竜支所・星野忠雄 支所長の司会


主催者挨拶:北竜町体育協会・澤田正人 会長


北竜町体育協会・澤田正人 会長 
北竜町体育協会・澤田正人 会長


「新年明けましておめでとうございます。今日は、猛吹雪という予報がでてましたので、心配しておりましたが、穏やかなお正月を迎えることができました。

北竜町体育協会についてですが、町民体育祭が、雨で3年連続中止となりました。時期的に良い時期と思っていましたが、今後時期については見当して行かなければならないと考えています。皆さんのご意見などお寄せいただければと思います。

今日は、豊作祈願・交通安全祈願ということで、37回継続させていただいております。関係者の皆様方には、いろんな形でご尽力いただき、心から感謝申し上げます。今年一年、交通安全、豊作に向けてご祈念申し上げご挨拶をさせていただきます。

本年もどうぞ宜しくお願いいたします」と澤田会長ご挨拶です。

主催者挨拶:JAきたそらち・北清裕邦 北竜地区代表理事


JAきたそらち・北清裕邦 北竜地区代表理事 
JAきたそらち・北清裕邦 北竜地区代表理事


「明けましておめでとうござます。本年もどうぞ宜しくお願いいたします。今年は、子年ということで、十二支で言えば、スタートの年です。

今年の組合員の目標は、ひまわりライスの直売を8万俵までにもっていくことに、挑戦をしたいと思っています。行政、各関連機関としっかり連携を取りながら進めさせていただきたいと思います。

また、新規就農者の受け入れ体制ができてきましたが、さらにランクアップして、素晴らしい受け入れ対策を構築していきたいと思います。

それぞれ皆さんの1年間が、素晴らしい年となりますように、健康で幸多き年となりますように、心からご祈念申し上げてご挨拶とさせていただきます。本年もどうぞ宜しくお願いいたします」と北清地区代表理事のお言葉でした。

北竜町・佐野豊 町長


北竜町・佐野豊 町長 
北竜町・佐野豊 町長


「皆さん、おめでとうございます。穏やかな元旦マラソンとなりました。真竜神社にお願いしたことは、今年も太陽を味方にして、美味しいお米が沢山とれること。そして町民の皆さんが、幸せな年となりようにと参拝いたしました。

交通事故ゼロにつきましては、今日で4,626日となっています。目標であります5,000日は、来年の7月9日となっております。是非、達成することを願っております。

町民の皆様が幸せの年になりますよう、心からご祈念申し上げて、念頭の挨拶とさせていただきます」と佐野町長のご挨拶でした。

乾杯のご発声:北竜消防連合消防後援会・藤井利昭 会長


北竜消防連合消防後援会・藤井利昭 会長 
北竜消防連合消防後援会・藤井利昭 会長


毎年立派な鏡餅を奉納していただいている藤井会長です。「皆様のご健康を願って乾杯!!!」


乾杯! 
乾杯!

できたてのお雑煮 
できたてのお雑煮

皆で楽しい語らい 
皆で楽しい語らい

和気あいあいの新年会 
和気あいあいの新年会

北海道新聞・矢野旦 記者が取材 
北海道新聞・矢野旦 記者が取材


締めの乾杯!

北竜町集落支援員・寺内昇さん。何故か初めての突然のご指名に戸惑う昇さん!

「今年は、変革の年になるようです。明るい笑顔で、何事もエンジョイしていきましょう! 北竜町のますますのご発展と皆様のご健康とご多幸をご祈念申し上げて、乾杯!」と寺内さん。


新年がスタートする元旦、真竜神社で豊作と交通安全を祈願し参拝、
そして受け継がれていく魂を抱いて、心ひとつに走り抜ける元旦マラソンに、
限りない愛と感謝と祈りをこめて。。。


北竜町の発展と皆様の健康とご多幸をご祈念申し上げて 
北竜町の発展と皆様の健康とご多幸をご祈念申し上げて


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◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子


隈研吾氏設計「北竜町立やわら保育園」の建設工事検定 実施、2020年4月開園

2019/12/26 17:56 に 寺内昇 が投稿   [ 2019/12/28 23:16 に更新しました ]

2019年12月27日(金)

12月25日(水)、「北竜町立やわら保育園」建設完了(12月20日)後、佐野豊町長をはじめとする関係者立ち合いのもと、建設工事検定が実施されました。


北竜町立やわら保育園・建設工事検定 
北竜町立やわら保育園・建設工事検定


隈研吾氏の設計による北竜町立やわら保育園

来年2020年4月に開園する「北竜町立やわら保育園」の設計は、2020年東京オリンピック・新国立競技場の設計者・隈研吾(くま けんご)氏によるものです。

● 設計:隈研吾建築都市設計事務所(東京都港区・隈研吾 代表)
● 建設:荒井・北興・北創経常建設共同企業体
   「荒井建設(株)旭川市、(株)北興建設(北竜町)、(株)北創(北竜町)」


北竜町立やわら保育園・外観 
北竜町立やわら保育園・外観


北竜町産のカラマツ材を使用

内外壁には、北竜町産のカラマツがふんだんに使われています。各部屋の壁には、木材の扉の収納ボックスや木造ロッカーが設置されています。


カラマツ材が使われている保育室 

カラマツ材が使われています 
カラマツ材が使われています


北竜町立やわら保育園内の様子

配置図

木造平屋建て790平方メートルの建物。中央に位置する吹き抜けホールを囲んで、0歳時から5歳児までの保育室5つを設置。各部屋名は、つくし(0歳〜1歳児)、ちゅうりっぷ(2歳児)、すみれ(3歳児)、さくら(4歳児)、ひまわり(5歳児)。約40名の園児を受け入れる予定とのことです。

入り口から入って左側には子育て支援センター、右側には事務所が配置されています。施設全体の構成としては、ひまわりの花びらの形をイメージされて設計されととのことです。


北竜町立やわら保育園・配置図 
北竜町立やわら保育園・配置図


ホールの天井照明「ひまわり染め」カバー

ホールの天井照明カバーは、ひまわりを思わせる優しい黄色に染まる「ひまわり染め」の布が、花形のループを描き、明るい空間を演出しています。「ひまわり染め」には、町民のお母さん達が今年の夏に採取したひまわりの花びらが使われています。

※ 尾﨑 圭子さん(北竜町議会議員)から嬉しいFacebookメッセージを頂きました。ありがとうございます!

「 乾燥させた『ひまわりの花弁』を20㎏。乾燥させると7分の1になるので、生だと140㎏はあったことになります。町の加工施設パルムの乾燥機で『あかるい花摘みチーム』が頑張りました☺️🌻」。


ホールの天井照明カバー「ひまわり染め」 

ホールの天井照明カバー「ひまわり染め」 
ホールの天井照明カバー「ひまわり染め」


天窓から日の光が差し込み、太陽の光に透けるひまわりの花びらのような優しさとあたたかさが感じられます。


太陽の光に透けるひまわりの花びらのような優しさとあたたかさ 
太陽の光に透けるひまわりの花びらのような優しさとあたたかさ


施設のサインはデザイナー・梅原真氏 作成

施設内のサインの色とりどりの柔らかな文字は、デザイナー・梅原真(うめばら まこと)氏によるものです。


デザイナー梅原真氏 作成の各種サイン 

デザイナー梅原真氏 作成の各種サイン 
デザイナー梅原真氏 作成の各種サイン


窓ガラスに北竜町ロゴマークのギンガムチェック

窓ガラスには、デザイナー・梅原真氏がデザインされた北竜町ロゴマークのギンガムチェックのデザインが描かれています。庭への出口には、足洗い場が設置されています。


北竜町ロゴマークのギンガムチェック 
北竜町ロゴマークのギンガムチェック


ガラス窓から、降り注ぐあたたかな光 
ガラス窓から、降り注ぐあたたかな光


大きなガラス窓から降り注ぐあたたかな光

部屋の大きなガラス窓から、降り注ぐあたたかな光。。。レースカーテン、遮光カーテンが設置されるとのことです。


柔らかなLED照明(電灯色)

部屋の天井照明もシンプルで柔らかなLED照明(電灯色)になっています。


柔らかなLED照明(電灯色) 
柔らかなLED照明(電灯色)


絵本部屋コーナー

エントランスホールに設置された絵本部屋コーナーには、壁ぎわに本棚、そして自由に使える机台が設置されています。


エントランスホールに設置された絵本部屋コーナー 
エントランスホールに設置された絵本部屋コーナー


落書き用ホワイトボード

部屋の壁には、落書き用ホワイトボードが設置。専用マーカーペンで自由にお絵かきできます。


落書き用ホワイトボード 
落書き用ホワイトボード


ボルダリングコーナー

ひまわり部屋(5歳児)の前の壁には、色とりどりのかわいいボルダリングコーナーが! 壁の前には厚いクッションを設置するとのことです。


ボルダリングコーナー 


ボルダリングコーナー 
ボルダリングコーナー


ホール内に設置された舞台コーナー

ホール内に設置された舞台コーナー、道具収納も充実!


舞台の下の道具収納 
舞台の下の道具収納

舞台の上の天井裏収納 
舞台の上の天井裏収納


キッチン


キッチン 
キッチン


年齢に応じた小さなかわいいトイレ

年齢に応じた小さなかわいいトイレは、3ヶ所(大人用含め)設置。


園児用トイレ 

園児用トイレ 
園児用トイレ

大人用トイレ 
大人用トイレ


水道・手洗い、おむつ交換台、洗濯機置き場


水道・手洗い、おむつ交換台、洗濯機置き場 
水道・手洗い、おむつ交換台、洗濯機置き場


冷暖房には地中熱利用ヒートポンプシステムを導入

冷暖房には、地中熱利用ヒートポンプシステムを導入。省エネを図り、CO2排出を削減するクリーンエネルギーの積極的な利用を目指しています。


地中熱利用ヒートポンプシステム・ただいまの運転状況 
ただいまの運転状況

地中熱利用ヒートポンプシステム・ヒートポンプって何? 
ヒートポンプって何?

地中熱利用ヒートポンプシステム・地中熱利用って何? 
地中熱利用って何?

地中熱利用ヒートポンプシステム・地中熱を利用したエアコンの仕組み 
地中熱を利用したエアコンの仕組み


検定最後に佐野豊 町長のごあいさつ


北竜町・佐野豊 町長 
北竜町・佐野豊 町長


「北竜町の『やわら保育園』は新国立競技場を設計された隈研吾氏の設計によるものです。東京・新国立競技場の完成と同時期に完成を迎えられたことに、感激しています。

実に素晴らしい保育園を造っていただきました。天井照明に使われている布のひまわり染めは、町民のお母さんたちが、かなりの量のひまわりの花びらを採集して染めたものです。さらに、樹齢何十年もの地元のカラマツの木材がふんだんに使われた、これまでにない施設ということで、大変嬉しく思います。

素晴らしい施設を造り上げてくださった沢山の関係者の皆さんのご尽力に、心より感謝申し上げます。
ありがとうございます!!!」。


検定後の挨拶 
検定後の挨拶


ひまわりのように、明るくて温かみのある空間に、にこにこ笑顔が広がり、
楽しい声が響き渡る「北竜町立やわら保育園」に、限りない愛と感謝と祈りをこめて。。。


隈研吾氏設計・北竜町立やわら保育園・外観 

隈研吾氏設計・北竜町立やわら保育園・外観 
隈研吾氏設計・北竜町立やわら保育園・外観


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 北竜町ポータル・関連記事

北竜町・新保育園への地中熱ヒートポンプシステム導入について川田昌宏 技術長にお話を伺う(2019年9月24日)

隈研吾 氏 & 鈴木輝隆 氏「新国立競技場から北竜町へ」北竜町まちづくり講演会の開催(2019年10月31日)
(お知らせ)10/22(火)北竜町まちづくり講演会「新国立競技場から北竜町へ」(2019年10月7日)
隈研吾建築都市設計事務所 設計の新保育園の工事が進んでいます(2019年7月24日)

ひまわりライスおむすびコンテスト 2019 結果発表・表彰式・懇親パーティ(2019年8月30日)
第2回ひまわりの里基本計画策定委員会・新ひまわりの里全体の考え方(2019年8月23日)
第1回ひまわりの里基本計画策定委員会・令和時代のひまわりの里・検討開始(2019年4月29日)

北竜町ひまわり観光大使・鈴木輝隆 氏講演「農業・観光・デザイン・まちづくり」(2019年2月25日)
1日目(1)視察・北竜町をデザインで活性化するプロジェクト(2018年8月13日)
1日目(2)北竜町まちづくり意見交換会・北竜町をデザインで活性化するプロジェクト(2018年8月13日)
2日目・視察&北竜町まちづくり意見交換会・北竜町をデザインで活性化するプロジェクト(2018年8月13日)

北竜町保育園を設計中・隈研吾氏 展覧会「くまのものー隈研吾とささやく物質、かたる物質」@ 東京ステーションギャラリー(東京駅)(2018年4月5日)
梅原真氏デザイン「あかるい農法 北海道ひまわりの北竜町」北竜町ロゴマーク&ふるさと納税用米袋 町民発表会(2018年3月28日)

隈研吾氏・参考サイト

隈研吾建築都市設計事務所(Kengo Kuma and Associates)ホームページ

・<高木学園附属幼稚園創園園舎(神奈川県横浜市)>園舎の設計・デザイン
・<梼原町ホームページ> 梼原町 ✕ 隈研吾建築物
・<ハースト婦人画報社> 建築家・隈 研吾さんにインタビュー「つみき遊びが僕の原点」
・<公益財団法人ニッポンドットコム> 新国立競技場に込められたメッセージ 建築家・隈研吾さん
・<ファッションプレス> 隈研吾の手掛ける新国立競技場「杜のスタジアム」

荒井建設株式会社・ブログ

「やわら保育園建設工事」の社長現場パトロールを実施しました(2019年10月15日)


◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子


世界ジュニアBカーリング選手権大会に北竜町教育委員会・清水野梨希さん出場

2019/12/26 13:07 に 寺内昇 が投稿   [ 2019/12/26 14:18 に更新しました ]

2019年12月27日(金)

この度、世界ジュニアBカーリング選手権大会がフィンランドのロホヤにて開催され、札幌国際大学チームの一員として、北竜町教育委員会職員である清水野梨希(しみずの りんき)さんが選手権に出場されました。

12月6日(金)に日本を出発してフィンランドへ向かい、12月20日(金)に帰国されました。お忙しい中、清水野梨希(しみずの りんき)さんにカーリングについてのお話をお伺いしました。 


清水野梨希(しみずの りんき)さん(20歳) 
清水野梨希(しみずの りんき)さん(20歳)


清水野梨希(しみずの りんき)さん

清水野梨希(りんき)さんは、1999年(平成11年)生まれの20歳、妹背牛町出身。

カーリングファミリー

「母親がカーリングをやっていたので、私は小さい頃から母について、妹背牛町のカーリングホールに行っていました。最初に兄が始めたので、一緒のチームで小学校5年生頃からやりはじめました。兄が大学に入る前、私が高校2年生まで、ずっと一緒のチームでやってました。

私のスポーツ歴は、小学校時代はバスケット、中学校・深川西高校時代は軟式野球部で、それとは別にカーリングをやっていました。夏場は部活をやり、冬場はカーリングの練習でした。

 兄と一緒のカーリングチーム

最初のチームは、兄と兄の友達2人、私と私の友達との5人のチームでやっていました。大会に出場するようになると、専属の土田コーチ(妹背牛町)の指導を受けながら練習を重ねてました。

その後、兄とその友達(2人)、南富良野にいた兄の同級生が、札幌学院大学に入学し、そのメンバー4人でチームを組むことになりました。私は大学生ではないので、その大学のチームには入れませんでした。

カーリングチーム「絆そらぷち」

その頃から、小さい頃から大会など出ていたチーム『絆そらぷち』に参加して一緒にやることになりました。私と同級生2人と1歳年下の仲間の4人でチームを組んで練習し大会に参加していました。その後、私以外の3人は札幌国際大学に入学。私は、特別に『札幌国際大学』のメンバーとして参加することとなりました。


清水野梨希さん 
清水野梨希さん


世界ジュニアBカーリング選手権大会

世界ジュニアBカーリング選手権は、世界カーリング連盟が主催するカーリングの21日歳未満の選手による世界選手権大会です。

世界選手権の予選という形で、ワールドBが作られました。ワールドB選手権の上位3チームが、ワールドA世界選手権への出場権を獲得できます。ワールドAの世界選手権の本戦で、上位6チームに残れば、次回は最初からワールドAで戦うことができます。

 第28回日本ジュニア選手権大会で私達「札幌国際大学」チームが優勝

今回、11月に妹背牛町カーリングホールで開催された、第28回日本ジュニア選手権大会で、私も所属している『札幌国際大学』チームが優勝を獲得し、フィンランド・ロホヤでの世界ジュニアBカーリング選手権の参加資格を得ることができました。


JOCジュニアオリンピックカップ 第28回 日本ジュニアカーリング選手権  JJCC 2019 
JOCジュニアオリンピックカップ 第28回 日本ジュニアカーリング選手権 JJCC 2019
引用:日本カーリング協会・公式ホームページ


清水野梨希さんとカーリング

カーリングの練習

小さい頃から、カーリングをする母の姿を見ていましたし、小学校5年生から本格的に兄と一緒にやっていて、10年程ずっと続けています。

カーリングの魅力

私がはじめた頃は、カーリングは、あまり知られていないマイナーなスポーツでした。年を重ねるごとに、ルールも新しくなっていき、最近では、世界選手権大会参加などで認知されるようになってきました。

カーリングは、やればやるほど、突き詰めれば突き詰めるほど、上達していくのが感じられるスポーツです。やっていて成長を実感できます。小さい頃から大人相手に戦ったりしていたので、どんどんその感覚は身についてきました。年齢関係なく楽しめるのがカーリングの魅力だと思います。

カーリングの難しい点

身体の成長に合わせて、フォームを改善し、変化させていかなければならないところが難しいです。これまでは、一定の形でずっとプレーしていたのですが、最近そのフォームを変化させる時期にきていて、今、研究中です。

コーチが撮影してくださった試合中のビデオをみながら、コーチの指導を受け、修正・改善しながら毎日研究しています。

プレーにおける感覚を鋭くするのは、毎日の練習の積み重ねによって磨き上げられていきます。チームに合わせてストーンを動かすスピードの測り方は変わります。そのスピード感は、チームによって異なるので、練習を重ねていくことによって、次第にその感覚が身についてきます。

ハック(蹴り台)を蹴る力、リリース(手放す)時の押し方など、微妙な力の入れ具合で距離が変わります。リリースもスイパー(ブラシで磨く人)も、それぞれが相手の状態を理解していないと良いショットが決まりません。メンバーがお互いの状態を認識するチームとしてのプレーが求められ、心理面が大きく影響するスポーツです。

スキップ(指示を出す人)が戦略を考えて指示を出しますが、選手全員がその場の作戦を理解していないと、うまくいきません。スイパーも作戦を考えられるようになるのが、今シーズンの目標になっています。

また、天気などの環境により湿度や気温が変化し、リンクの状態が変化します。その時々の変化に応じて、プレーにおける微妙な調整をしていかなければなりません。身体や環境に合わせた全体調整が大変むずかしいスポーツです」。

意識と体調維持の難しさ

今回の選手権大会では、清水野さんはフィフス(補欠選手)という立場で参加し、クロアチア戦に出場しました。

「選手は怪我をして試合参加が不可能な場合以外、試合途中で交代することはできません。私は、クロアチア戦の1試合に出場しました。これまでは、レギュラーとして出場していましたが、今回補欠という形で参加しました。

大会中は試合に出ていないので、突然参加ということになり、意識と体調を整えるのが難しかったです。気持ちの上では、準備しているつもりだったのですが、実際突然参加となると、身体調整が上手くいかず、100%のプレーができなかったことが悔しかったです。今回大変勉強になりました。

今期、予選全勝で進んでいたので、チームとしては、世界選手権Aの本戦でのメダル獲得が目標でしたが、残念でした」と清水野さん。

今年、小笠原歩さん(40歳:冬季五輪に女子日本代表として3度出場)が、日本オリンピック委員会(JOC)から委嘱され、ジュニアアスリート担当(男女ともに)の専任コーチ(総監督)に決定しました。


Japan men at the World Junior B Curling Championships 2019 © WCF / Stephen Fisher 
引用:Japan men at the World Junior B Curling Championships 2019 © WCF / Stephen Fisher


北竜町教育委員会の仕事が終了後、毎日練習

妹背牛町カーリングホールにて、北竜町教育委員会の仕事が終了後、基本的に夜の7時〜9時までの2時間、ほぼ毎日練習しています。普段は一人でやっていますが、妹背牛町の地元の団体と一緒に練習することもあります。

妹背牛町では、シーズン的には11月から3月末までホールが開いています。夏期は、土日の休日に札幌まで行って練習しています。


妹背牛町カーリングホール・妹背牛町ホームページ 
妹背牛町カーリングホール・引用:妹背牛町ホームページ


就職先について

札幌国際大学からの推薦のお話もありましたが、父親が妹背牛町の役場勤務という影響もあり、公務員になることを考えていました。大学卒業後より、高卒後すぐにカーリングに専念した方がいいかな思い、就職を決意しました。

仕事をしながらのカーリング練習は大変なことも色々ありますが、北竜町で皆さんが、こんなに応援してくださるし良かったと思います。


海外遠征(フィンランド)について

フィンランドでの試合は、チームとしては4回目です。私は2年前に行ったのが初めてでした。フィンランドは、カーリングホールと宿泊場所が隣接していて、徒歩5分の距離に位置しています。食事場所やトレーニングジムも隣接していて施設環境が整っています。車移動もなく全て歩いていける距離にあります。

食事は、お米10kgと炊飯器を持参しました。試合3時間前に食事を取ることが良いとされていたり、試合後のエネルギー補給が必要となります。その時間帯に食堂が開いていなかったりするので、その時は、ご飯を炊いておにぎりを持参します。

栄養学など色々学んだり、チームで話し合いながら、料理内容を考えたりしています。大会前には、ドーピングに対する注意が重要視され、食事や薬の検査が厳密になります。スポーツによってドーピングの内容が異なるので、カーリングの専門医がついて検査を行っています。


将来の夢はオリンピック出場!

「将来の夢はオリンピック出場です! まずは、来年世界選手権出場を目指し、長期の目標としては、オリンピックメダル獲得までいきたいと思います!」と、力強く語ってくださった清水野さんです。

清水野さんのこれからのご活躍を心よりお祈りし、応援しています。


北竜町三谷の景色 
北竜町三谷の景色


氷上のチェストも呼ばれるウインタースポーツ「カーリング」、
高度な戦略に秘められた熱い想いに、限りない愛と感謝と祈りをこめて。。。


関連サイト


◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子


クリスマスイベント初開催@お食事処向日葵(北竜町)

2019/12/24 12:22 に 寺内昇 が投稿   [ 2019/12/24 14:14 に更新しました ]

2019年12月25日(水)

12月21日(土)16:00〜、北竜町のお食事処向日葵にて、クリスマスイベントが開催されました。今年1周年を迎えたお食事処向日葵にとって初のクリスマスイベントです。


クリスマスイベント 2019 
クリスマスイベント 2019


店内の壁には、皆さんの真心のこもった折り紙の輪飾りが彩られ、あちこちにクリスマス飾りがセットされていました。


xxx 
店内を飾る「メリークリスマス」

店内の様子 
店内の様子


お店の中央のテーブルには、色とりどりの美味しいお料理がいっぱい!!!


一戸まるみさん手作り「たこ焼き」 
スタッフ・一戸まるみさん手作り「たこ焼き」


子どもたちが大喜びのたこ焼き、鶏・海老フライ、ポテトフライ、トマトピザ、カプレーゼ、海老マヨサラダ、ちらしの押し寿司、牛肉ロール、和風きのこパスタ、お刺身の盛り合わせ、カルパチョ、たらこのシーフードグラタン、砂肝のアヒージョ、ドーナツ、ぶどうセリー、プリン、ベリーケーキなどの美味しいものが食べ放題!さらに、アルコールもソフトドリンクも飲み放題!


鶏・海老フライ、ポテトフライ 
鶏・海老フライ、ポテトフライ

カルパチョ 
カルパチョ

お刺身の盛り合わせ 
お刺身の盛り合わせ

えびマヨ 
えびマヨ

カプレーゼ 
カプレーゼ

ちらしの押し寿司 
ちらしの押し寿司

トマトピザ 
トマトピザ

たらこのシーフードグラタン 
たらこのシーフードグラタン

砂肝のアヒージョ 
砂肝のアヒージョ

ドーナツ 
ドーナツ

ぶどうゼリー、プリン 
ぶどうゼリー、プリン


ベリーケーキ 
ベリーケーキ

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お皿に盛って


佐藤光男オーナーのお話


佐藤光男さん・裕子さんご夫妻 
佐藤光男さん・裕子さんご夫妻


「いままでサンフラワーパーク北竜温泉で開催されていたクリスマスバイキングが開催されなくなったので、なんとか子供も大人も楽しめる会を復活したいなぁと思いチャレンジしてみました。

今回、家庭用の小さなたこ焼き機を置いて、その場で焼く『たこ焼き』など、子供たちが喜ぶ顔を想像しながら、メニューを考えました。

そして、注文が入ってから料理する『砂肝のアヒージョ』は、今回の特別メニューです。オイルは『焙煎ひまわり油』を使っています。今後、新メニューとして提供していこうかなと考えています。

飲んで食べて、家族みんなで思いっきり楽しんでいただければ嬉しいです!」と、とびっきりの笑顔でお話くださった佐藤さんです。


笑顔で楽しく 
笑顔で楽しく

大人気のたこ焼き 
大人気のたこ焼き


帰りには、くじ引きでお土産ゲット! ラップとティッシュが当たりました! ありがとうございました!


裕子さんとスタッフの前田琴羽さん 
裕子さんとスタッフの前田琴羽さん

握り寿司:さとうるきあ & さとうみつお 作 
握り寿司:さとうるきあ & さとうみつお 作


美味しいお料理と楽しいひとときに、みんなの素敵な笑顔繋ぐ、
お食事処向日葵のクリスマスイベントに、
限りない愛と感謝と祈りをこめて。。。


お食事処向日葵 

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お食事処向日葵


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◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子


クリスマスの飾り作り・コスモスクラブ年間行事12月編

2019/12/22 15:53 に 寺内昇 が投稿   [ 2019/12/22 16:00 に更新しました ]

2019年12月23日(月)

北竜町社会福祉協議会(竹林均 会長)が実施している、高齢者サポート事業の一貫で「コスモスクラブ」の12月行事「クリスマスの飾り作り」が行われました。


コスモスクラブ皆さんのクリスマスツリー作品 

コスモスクラブ皆さんのクリスマスツリー作品 
コスモスクラブ皆さんのクリスマスツリー作品


コスモスクラブとは

コスモスクラブとは、介護保険の事業対象者(介護認定を受けていなくても、少しだけお手伝いが必要な方)、要支援1、要支援2の方々を対象に、介護予防事業として行われるものです。会員数は現在24名。

今回参加した22名(80歳代・90歳代)の方々の素敵なクリスマス飾りの全作品をご紹介します。


メリークリスマス! 
メリークリスマス!


ホームペルパー・村井恵さん(介護福祉士)のお話

担当されているホームペルパー・村井恵さん(介護福祉士)のお話です。


ホームペルパー・村井恵さん(介護福祉士) 
ホームペルパー・村井恵さん(介護福祉士)


「高齢者に工作レクを行っている理由としては、工作レクではたくさんの指先を使うからです。指先にはたくさんの神経が集まっています。また、沢山の事を同時に考えることで、脳の活性化を促し、認知予防にもなります。さらに、手の機能訓練として指のリハビリに繋がります。

そして、作品を作り終えた後には、達成感と充実感が得られます。ただ毎日をなんとなく過ごすだけでは得られない、自分がこれを作り上げた充実感は高齢者にとってはとても大切なものです。完成した作品を見て『これは私が作ったよ』『これを作るのは大変だったね』と思い出を振り返ることも脳の活性化につながります。

今回のクリスマス飾りは、皆さん楽しそうに、綺麗に豪華にできあがりました。作成時間は、1時間半くらいです。

飾りは、家で不要になったクリスマスツリー飾りなどリサイクル品。土台の板はかまぼこ板、庭で拾った松ぼっくり、使用済みの毛糸などを持ち寄りました。その他のサンタさんやクマさんの小さなお人形飾り等は、百均で購入しました。毎年、作品制作の為の細かな材料を日常生活の中から見つけて、私自身楽しく収集しています。

皆さん、揃えた材料の中から、自分で好きなものを選び、自由にアレンジしていきました。『楽しかったぁ〜』、『私の一番いいわよね〜』と皆さん、笑顔でご満悦でした。来年は、和紙で人形型の栞(しおり)を作成する予定です」と、優しい笑顔でお話くださった村井さんです。


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楽しい数々の作品

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サンタさんにクマさん

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作品 1

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作品 2

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作品 3

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作品 4

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作品 5

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作品 6

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作品 7

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作品 22


真心こもった、素敵な楽しいクリスマス飾りに、
限りない愛と感謝と祈りをこめて。。。


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北竜町和の風景(撮影:2019年12月20日)


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関連ページ


◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子


北竜町は元気で素晴らしい町・北竜町体育協会の歩みを語り合う

2019/12/19 15:08 に 寺内昇 が投稿   [ 2019/12/21 21:39 に更新しました ]

2019年12月20日(金)

12月9日(月)、サンフラワー北竜温泉会議室にて、篠原常夫氏(90)を囲んで、田中盛亮氏(82)と黄倉良二氏(80)の3人で、北竜町体育協会の歩みについての座談会が行われました。


座談会の様子(右:篠原常夫氏、中:田中盛亮氏、左:黄倉良二氏) 
座談会の様子(右:篠原常夫氏、中:田中盛亮氏、左:黄倉良二氏)


篠原常夫氏プロフィール


篠原常夫氏 
篠原常夫 氏


・昭和 4年(1929年)生まれ90歳、岩見沢出身
・昭和10年(1935年)岩見沢から北竜町和へ転居し、真竜小学校へ転校。道立深川中学校4年間、日本歯科大学にて予科3年、学部4年の計7年間を学ぶ
・昭和29年(1954年)日本歯科大学卒業後、4月に東京銀座の池田歯科医院に1年間勤務。同年8月には歯科医師国家試験合格
・昭和30年(1955年)8月、帰郷するように切願され、北竜町和に戻る。実家を改装して篠原歯科医院を開業
・昭和31年(1956年)北竜町学校歯科医師〜 ・平成13年(2001年)9月、篠原歯科医院を閉院し、10月より北竜町立歯科診療所勤務


「祖父は、明治26年(1893年)千葉からの吉植庄一郎氏率いる開拓団の一員として、倍本社地区に入り開拓の鍬をおろしました。父親は、農業を継いで営んでいましたが、身体が弱くて、母親の親戚が九州で営む時計店に修行に出ました。その後、叔父の薦めで岩見沢に時計店を開業しました。私は岩見沢で生まれ、小学校1年のときに北竜町和に転入しました」と、篠原氏。

篠原氏は三人兄妹で、お姉さんは、4歳のとき肺結核で亡くなり、妹・慶子さんは真竜小学校の教諭をされていました。当時、田中さんも黄倉さんも慶子先生の生徒でした。


少年・学生時代


篠原常夫氏 
篠原常夫氏


少年時代

● 篠原氏:私の少年時代は、戦時ばかりでした。支那事変、日中戦争(1937年〜1945年)、太平洋戦争(1941年〜1945年)の戦時中で、中学に入った頃に戦争がはじまっていました。当時は、食糧難で、何から何まで配給でした。

魚・米・味噌・着物などすべて配給で、人数に応じて購入切符が発行され、その切符を持って購入していました。

中学時代

● 篠原氏: 中学校への通学は、和駅から札沼線〜留萌線と乗り継いで深川までの1時間の列車通学。朝6時に家を出て、夕方6時頃帰宅。母親が、朝4時に起きて朝食と弁当を作るのが大変な時代でした。

日本歯科大学時代(東京都千代田区富士見・JR飯田橋駅)

● 篠原氏:昭和20年(1945年)に終戦を迎え、私が東京に行ったのが昭和22年(1947年)の春でした。東京は、戦後の焼け野原が多く、惨憺たるものでした。上野駅には、浮浪児がウヨウヨ数え切れないほどいて、虱とりをしていました。

食糧難の時代だったので、下宿に入り、お米は実家から送ってもらっていましたが、列車内の検査により統制品として回収されたこともありました。また、実家から外食券を送ってもらい、外食券食堂にいって、腹ごしらえしたことを思い出します。

大学卒業後すぐの昭和29年に結婚


座談会の様子 
座談会の様子


北竜町へ帰郷

● 篠原氏:本当は東京で歯科医院をやりたかったのですが、当時町で開業していた歯科医師が滝川市に移転し、北竜町に歯科医師がいなくなってしまいました。そこで両親から「町の人が困っているので是非帰ってきて欲しい」と切願されました。

かなり迷いましたが、昭和30年(26歳・1955年)に帰郷しました。当時北竜町は人口も多く、6千人ほどの人口でした。

篠原歯科開業当時

● 篠原氏:帰郷した当時は、むし歯を抱えた町民が多く、毎日治療を受ける人々の列が耐えなかったほどです。昭和35年(1960年)くらいからさらに患者数が増加。戦時中、口にできなかった甘いものが、戦後、自由に取れるようになったため、むし歯が急激に増えたと思われます。一時は、診療所の開院前から多くの人々が院の外で並んで待っていました。

昼食もゆっくり取る時間がなかったので、おにぎりを用意してもらい、診療の合間につまんでいたほど忙しい毎日でした。


鼓笛隊編成(昭和35年・1960年頃)

篠原氏の声掛けにより、小学校の鼓笛隊が結成。編成における楽器一式を篠原氏が寄付されました。毎年6月に開催される旭川市の北海道護国神社のお祭りに参加することを目的としました。護国神社お祭り前夜は、町の街灯行進が実施。その後毎年、真竜小学校の鼓笛隊として護国神社祭りに参加していました。

● 篠原氏:帰郷してすぐに学校歯科医に委嘱されました。その当時、東京帰りの私にとって、町には活気がなく、実に淋しく元気がないように感じました。子供の将来を考えて、子供のためにも、町の活気づくりのためにもなる「鼓笛隊」を編成したらいいのではないかと考えました。小学校の校長先生と相談したところ、鼓笛隊を指導できる教師が手を上げてくださって鼓笛隊が結成されたのです。そこで、鼓笛隊の楽器一式を寄付しました。当時、30人〜40人の小学生が参加していました。

数々の公職

・北竜町体育指導委員:昭和43年〜49年
・真竜小学校PTA会長:昭和46年〜53年
・小学校開校記念協賛会:小学校創立10年ごとに開校記念協賛会記念誌発行
・学校で不足している部品などを集めて支援・協力していくことが協賛会の役割でした
・北竜町体育協会会長:昭和48年〜平成7年
・日本ボーイスカウト北竜第1団育成会長:昭和47年〜50年
・北空知連合PTA会長:昭和48年〜49年
・北竜町スポーツ少年団本部長:昭和48年〜平成7年
・北空知スキー連盟会長:昭和49年〜59年
・北竜町消防団連合講演会会長:昭和51年〜
・空知歯科医師会会長:昭和53年〜平成3年


日本むし歯予防フッ素推進活動

・日本むし歯予防フッ素推進会議副会長:昭和53年(1978年)〜昭和62年(1987年)
・北海道子供の歯を守る会会長:昭和58年(1983年)
・NPO法人日本むし歯予防フッ素推進会議会長:昭和63年(1988年)〜平成15年(2003年)

「病気は予防が大事です。フッ素は、歯を強くしてむし歯になりずらくします。この運動を全国的に広めるために、新潟の大学教授と連携して、各大学に呼びかけてると7大学が共鳴してくれました。全国組織「NPO法人日本むし歯予防フッ素推進会議を設立し、私は会長に任命されました。

これは、小学校の子どもたちを対象にした活動です。個人での予防は長く続かないので、集団予防が効果的と考えました。フッ素むし歯予防運動は、小学生の児童の永久歯が生え変わる時期に、永久歯を残すための予防対策を推進するための取り組みです。学校を対象にした運動で、予防対策として養護教育の中に取り入れられました。

当時、反対意見も寄せられましたが、フッ素はWHOでも認証されたものなので、今では全国的に広まり、保育園・小学校など空知管内の学校で予防法が実施されています。

私は、この運動に取り組んで本当に良かったと実感しています」と篠原氏


田中氏・黄倉氏の篠原氏との出逢い

篠原常夫 氏 談

「様々なことを相談するのは、田中さんや黄倉さんでした。二人に相談すると真剣に相談に乗ってくれて、必ず実行に移してくれました。とても頼りになる二人です」。


矍鑠とお話される篠原氏 
矍鑠とお話される篠原氏


田中盛亮 氏 談


田中盛亮 氏 
田中盛亮 氏


「篠原先生とは、北竜町体育協会で出会いました。

篠原先生は、東京から帰郷してすぐに、町のスキー部を設立されました。その頃、北竜町青年団のスポーツが強くなり、全道出場するなど、盛んに行われていました。私も中心になって大会などに参加していたので、体育協会の役員に任命されたことが、篠原先生との出逢いです。その後、PTAにも引っ張り出され、篠原先生のご指導の元、活動を続けていました。

体育協会において篠原会長の時代、私は副会長を昭和42年(1967年)から28年間務めました。辞めようとすると、篠原会長から『なんで辞めるのか!』と𠮟咤されました。そこですかさず『ハイ! わかりました!』とずっと継続することになったのです。

当時の体育協会は、どのスポーツにおいても力強く、とても活気づいていました。篠原先生率いる事務局のメンバーになりたいと希望する人々が大勢いました。どの競技もみんなが力を合わせ、協力し合って、大変楽しく行っていました。

その時の篠原先生の力は偉大で、町を活性化させ、若者たちを元気づけるために、知恵を絞りいろんなアイデアを考案しました。また、篠原先生の趣味の狩猟で、鴨撃ちや熊狩をした肉をみんなに振る舞ったりしてくださいました。篠原ファミリーの温かいおもてなしは、若者たちにとって大変楽しくてありがたいものでした。

こうして、小さな町・北竜町体育協会における長年の素晴らしい活動が高く評価されて、篠原先生は平成7年(1995年)「北海道スポーツ賞(北海道教育委員会主催)」を受賞されています。

私は、人生を歩んでいく上で、偉いことはできなくとも、当たり前なことを当たり前にしていきたいと思います。日常的に些細なことでも、道徳的な行為として、当然やるべきことを当たり前のように実行できない人をみかけます。

篠原先生は、偉いことを当たり前のように実行してきた素晴らしい方です。篠原先生は、信頼できる親分です。『よっしゃ! やるぞ!』と言われたら、『はい!』とついていき、心を預けることのできる親分です」。

黄倉良二 氏 談


黄倉良二 氏 
黄倉良二 氏


「家内の実家が、篠原先生と縁戚になります。そして私が小学校の時、篠原先生の妹さん(篠原慶子先生)が先生で、学校で勉強を教わっていました。

一番のご縁は、体育協会関連です。篠原先生が体協の会長の時代に、田中さんとともに副会長を務めていました。その頃、体育協会関連の会合には、いつも篠原先生がご出席くださり、必ず1万円を差し入れてくださいました。当時、お金のない部員にとっては、とてもありがたい差し入れでした。

また、昭和36年(1961年)にはじまった『北空知駅伝(北空知陸上競技大会・北海タイムス主催)』、昭和40年(1965年)にスタートした「第1回北商10マイルロードレース」など、各大会が実施されるたびに、多大なるご支援やご指導を頂き、常に私達を子供のように見守り応援してくださいました。

篠原先生は、どんな時も身銭を切って、若者を元気づけ応援していくという素晴らしい指導者(大将)でした。そうした篠原先生の偉大なる熱意が、みんなを奮い立たせていたのだと思います。若者は皆、純粋に先生を信頼してついていきました。篠原先生に出会えて、本当に良かったと思います。

一生懸命働き、心を尽くして歩んでいけば、必ず良い人との出会いがあります。良い人が良い人を呼んで、良い人との繋がりがさらに広がっていきます。良い人との出会いが人生を豊かし、人生の最大の喜びになるのだと思います。

篠原先生は、熱い心と実践力が自然と身についている素晴らしい方だと思います。絶対に愚痴を言わない、人の悪口を言わない、芯の通った実践力をもった方です」。


座談会の様子 
座談会の様子


活気に溢れた北竜町体育協会

・昭和29年(1954年)北竜村体育連盟設立、第1回村民懇親体育大会
・昭和36年(1961年)第1回町民マラソン大会、第1回町民登山会
・昭和37年(1962年)第1回北空知駅伝大会参加
・昭和40年(1965年)第1回北商10マイルロードレース開催

昭和42年(1967年)北竜町が「スポーツの町」宣言

第一号スポーツの町宣言は「苫小牧市」。昭和41年11月12日に、苫小牧市が全国で初めてスポーツ都市宣言を実施。翌年、北竜町も「スポーツの町」宣言を行う。

・昭和42年(1967年)第1回町民卓球大会、第1回町民スキー大会、第1回北竜町陸上選手権大会、碧水スキー場設置、北竜町立水泳プール設置(和)、バレー・スキー・剣道を町技に指定

・昭和43年(1968年)開道100年記念空知スポーツ大会参加、第1回町民水泳大会
・昭和44年(1969年)第1回職場対抗相撲大会、第1回職場対抗柔道大会、碧水スキー同好会設立(竹林武 会長)
・昭和48年(1973年)北商10マイルロードレースが日本陸協公認となる、第1回職場対抗バレーボール大会
・昭和50年(1975年)第1回北竜町陸上記録会

昭和51年(1976年)北竜町農村環境改善センター落成

北竜町農村環境改善センター設立は、「スポーツの町」にふさわしい町づくりが必要だと考え、スポーツの拠点としての体育館を設置し、指導者を養成してスポーツを活発にしていくよう考えた篠原氏が、町に要請して実現しました。

・昭和52年(1977年)第1回町民軟式テニス大会、第1回町民バトミントン大会、第1回6人制バレーボール大会、第1回町民朝野球大会開幕
・昭和54年(1979年)第8回全道OB健康マラソン北竜大会、第1回北海道レディースマラソン北竜交流大会

昭和55年(1980年)北海道教育委員会より北竜町体育協会が「北海道スポーツ賞」受賞

昭和57年(1982年)文部大臣より北竜町体育協会が「社会体育優良団体」の表彰を受賞

・昭和57年(1982年)第1回北竜町宣言タイムマラソン大会、第1回全町ミニバレーボール大会
・平成 3年(1991年)北竜町開基100年記念事業として母校交流マラソン(本埜村〜北竜町、8月31日〜9月2日、8名参加)、炬火リレー(砂川空知大橋〜開拓の碑〜100年記念式典会場)。
・平成 6年(1994年)第22回ホノルルマラソン大会参加
・平成 7年(1995年)篠原常夫氏「北海道スポーツ賞」受賞
・平成14年(2002年)第1回町民パークゴルフ大会
・平成15年(2003年)体育協会創立50周年記念事業講演会「喜びを力に、メダリスト有森裕子氏」


「第8回全道OB健康マラソン大会」in 北竜町

昭和54年(1979年)に実施された「第8回全道OB健康マラソン大会」は、北竜町で開催されました。高齢者マラソンです。

小さな町・北竜町での大会実施は初めてであり、町内には旅館が1軒しかなかったので、参加者の宿泊先として民泊を企画。長生会の会員の方々のご協力を得て実行されました。

前夜祭では、北竜町婦人300人による花笠パレード・豊年盆踊りを披露し、参加者を歓迎。選手男女30人にランナーの聖火による点火、花火、太鼓の乱れ打ちが披露されました。

当日の大会は、300人近い参加者により盛大に実施されました。競技後の表彰式では、多くの方々に様々な賞が授与されました。またアトラクションでは、自衛隊音楽隊の演奏や地元北竜町婦人会の皆さんの舞踊が披露。北竜町婦人連役員の皆さんにお手伝いのもと、テーブルには、北竜町産の農産物(スイートコーン、馬鈴薯、枝豆、西瓜)など、あたたかい真心のこもったお料理が並びました。


篠原常夫氏 
篠原常夫氏


スポーツを通じて培われた、北竜町民の一致団結力

北竜町で実施された様々な大会では、体育協会に関係する役員皆さん(役場職員、学校教師、商工会、土地改良区などスポーツをする人達)が総出で、事務局を運営しました。関係者がまとまって、大会の準備・進行に取り組んだので、全体としてとてもスムーズに実施されました。

町民が一致団結して、スポーツ大会を盛り上げていくという精神が、歴代培われてきているのが北竜町なのです。


篠原氏談:北竜町は元気で楽しい素晴らしい町

「人生の心情は、『やる気』『勇気』『元気』の3つの気!!!
大切なのは、仲間づくりだと思ってます。胸襟を開いて、食事会・飲み会をすることを通じて、仲間づくりをするが大事。胸襟を開くことが基本です。

指導者になるには、まず、やる気。メンバーにやる気を起こさせるためにも、まず自分が率先してやらなきゃいかん。憎まれてもいいから、自分に信念を持って率先してやる。それが基本だと思うね。私の人生の心情は、『やる気』『勇気』『元気』。この3つの気があれば、人生を充実しておくれると思います。

人生には、自分の考えとは違う人が必ずいます。それでも、胸襟を開いて心を交わしていくと、そこに何か共通するものが存在するものです。

北竜町は、人の和の精神が存在する、素晴らしい町です。みんながひとつになって行動を起こす町です。人口が減少して淋しくはなってきていますが、この町は、『元気で楽しい町』だと感じています。しょぼんとしていないですね。
若者は、将来に向かい、信念をもって目的にぶつかっていく、強い精神を持ち続けて進んでほしいと思います。やる気を信念を捨てたら、人生終わりです。

私ひとりでは何もできない。それを、皆が一緒に誠意を尽くしてやってくれました。文句ひとつ言わずに実行してくれました」と力強く語ってくださった篠原氏です。


テーブルを飾る生花 
テーブルを飾る生花


篠原常夫氏・表彰歴

・昭和43年(1968年)11月:北海道国民健康保険団体連合会表彰(国保運営委員としての保健事業功績)
・昭和45年(1970年)10月:北海道国民健康保険団体連合会表彰(国保事業並びに公衆衛生事業功績)
・昭和48年(1973年)11月:北竜町長表彰(町表彰条例に基づく表彰)
・昭和50年(1975年) 5月:空知管内体育指導員連絡協議会表彰
・昭和51年(1976年) 7月:北海道父母と先生の会連絡会表彰
・昭和56年(1981年)11月:空知管内教育実践表彰(社会教育功労)
・昭和57年(1982年) 9月:財団法人北海道体育協会表彰(地域の社会体育向上発展の功績)
・昭和57年(1982年)10月:日本歯科医師会表彰(歯科保健の普及発展に寄与した功績)
・昭和59年(1984年) 3月:空知管内体育協会連絡協議会表彰(空知管内のスポーツ普及発展に尽力)
・平成 2年(1990年)10月:財団法人北海道学校保健会表彰(学校歯科保健功労)
・平成 4年(1992年)10月:北海道知事表彰(社会貢献賞・地域医療功労賞)
・平成 5年(1993年) 2月:読売新聞社表彰(医療功労賞)
             11月:厚生大臣表彰(歯科保健事業功労)
・平成 7年(1995年) 7月:北竜町体育協会功労賞
            10月:財団法人北海道体育協会スポーツ少年団本部長表彰(スポーツ少年団の健全育成功績)
             11月:北海道スポーツ賞(スポーツの振興に寄与した功績)
・平成11年(1999年)11月:北海道歯科医師会長表彰(北海道歯科医師会発展に尽力された功績)
・平成13年(2001年)10月:北海道知事表彰(社会貢献賞・国保運営委員功労者)
・平成14年(2002年) 5月:北竜町開基110年特別功労者表彰(町政の振興と住民福祉向上に尽力)
・平成16年(2004年)10月:厚生労働大臣表彰(国保運営委員功労)
・平成17年(2005年)11月3日:旭日双光章受章(厚生労働省・保健衛生功労)


篠原常夫氏・旭日双光章受賞祝賀会(平成17年12月3日)パンフレットより 
篠原常夫氏・旭日双光章受賞祝賀会(平成17年12月3日)パンフレットより


〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

「やる気」「勇気」「元気」の精神をもって、
北竜町のスポーツを盛り上げ、若者たちを元気にし、
町を活気づけてくださった篠原氏の偉大なるご功績に、
限りない尊敬と感謝と祈りをこめて。。。


サンフラワーパーク北竜温泉 
サンフラワーパーク北竜温泉


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◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子


520回目の講演会「食べものはいのち/命・食糧・環境・暮らし/を守り育む北竜町」黄倉良二氏@ひまわり大学(北竜町)

2019/12/15 16:03 に 寺内昇 が投稿   [ 2019/12/16 2:05 に更新しました ]

2019年12月16日(月)

12月5日(木)、北竜町ひまわり大学講座にて、「『食べものはいのち』『命・食糧・環境・暮らし』を守り育む北竜町」と題して、黄倉良二氏(元北空知農業協同組合・代表理事組合長)による講演会が開催されました。

目次

  1. 1 ▶ 講演会を最後にするきっかけとなった友人「渡辺要二さんの死」について
  2. 2 ▶ 講座のレジメ・資料
  3. 3 ▶ 520回目の講演会「食べものはいのち(生命)」
    1. 3.1 ▶ 谷本明さんのお言葉「真夏の太陽に向かって、美しく力強く咲き誇るひまわり」
  4. 4 ▶ 数え年81歳の私の生い立ち
  5. 5 ▶ 人生の大きな基点となる年・昭和29年(1954年)15歳
    1. 5.1 ▶ 3月:洞爺丸台風(青函連絡船「洞爺丸」遭難)
    2. 5.2 ▶ 9月:中学校の全校弁論大会
    3. 5.3 ▶11月:父からの言付け「農協でえん麦3俵買ってこい!」
    4. 5.4 ▶ 馬喰の杉本さんに助けられた馬の餌
    5. 5.5 ▶12月:『良ちゃんが農家を継いでくれなければ、死ぬしかない』という母の言葉で就農を決意
  6. 6 ▶ 借金を返すための青春時代
  7. 7 ▶ 後藤三男八氏の教え
  8. 8 ▶ 北海道自然農法の先達・佐藤晃明さんの言葉「農業は、安全な食べものを生産すること」
  9. 9 ▶ 「命・食糧・環境・暮らし」を守り育むことが農協の原点
  10. 10 ▶ 天に感謝し、安全な食糧生産を持続する品質管理
  11. 11 ▶ 黄倉組合長として取り組んだ低温倉庫建設
  12. 12 ▶ 後藤さんの言葉「我慢することは、恥ずかしいことではない。倒れることが一番恥ずかしいことだ」
  13. 13 ▶ 気候変動現象「天が怒り地が叫ぶ」
    1. 13.1 ▶ 経済企画庁宣言(1992年1月)
    2. 13.2 ▶ 環境庁長官宣言(1992年2月)
    3. 13.3 ▶ 地球サミット:外務省「国連環境開発会議@リオデジャネイロ(1992年6月)
  14. 14 ▶ 平成2年(1990年)国民の命と健康を守る安全な食糧生産宣言
    1. 14.1 ▶ 森正一元北竜町長の偉大なる功績
    2. 14.2 ▶ 北竜町農業委員会憲章(平成2年10月26日)澤田隆司会長
    3. 14.3 ▶ 北竜土地改良区「豊かな環境 稔りの農村」宣言(平成2年11月22日)
  15. 15 ▶ 本物とは、後味が良い、潔い、卑しくない
  16. 16 ▶ 真の豊かさ、真の幸せを目指して
  17. 17 ▶ 写真(61枚)はこちら >>
  18. 18 ▶ 関連記事

「『食べものはいのち』『命・食糧・環境・暮らし』を守り育む北竜町」 
「『食べものはいのち』『命・食糧・環境・暮らし』を守り育む北竜町」


講演会に先駆け、黄倉良二氏にとって、今回520回目にあたるひまわり大学での講演会が、最後になることをお話されました。


講演会を最後にするきっかけとなった友人「渡辺要二さんの死」について

「今年、3月14日に逝去された渡邊要二さんは、私にとって、北竜中学校が一緒で、ずっと友達でした。力強い方で、いろんな事を教えていただきました。渡邊さんは、板谷地区にきて50年。板谷の人口110人の内、同級生が6人います。

様々なことで力になっていただいた方が、突然いなくなってしまいました。友達だと思っていたにも関わらず、死ぬほど悩んでいたこに気づかなかったことが無念でなりません。このことに私自身大きな衝撃を受けました。

その時に、教育委員長の本多一志さんにお会いして『心に大きな穴が空いたので、これまで500回以上続けてきた講演会を今年で終了することを決意しました。その最後の講演会を、12月の北竜ひまわり大学で話をさせてください』と自らお願いした次第です」と、お話された黄倉さんです。


講座のレジメ・資料


講座のレジメ・資料 
講座のレジメ・資料

会場の様子 
会場の様子


520回目の講演会「食べものはいのち(生命)」

「私は、昭和47年(1972年)から、後藤亨さんと二人で自然農法(農薬防除をしない。除草剤を使わない。化学肥料を使わない)の実験を、後藤三男八さんのご指導の元、はじめました。

そして、昭和50年(1975年)から、その自然農法についての話を道内外各地でさせていただくことになりました。これまで45年間、そして今日で520回目の講演会となります。直近では、10月14日(月)に岡山県岡山市、10月15日(火)に尾道市で行った道外での講演会が最後です。

話の中で必ず語ったことは、後藤三男八さんの教えについてです。後藤三男八さんがいなければ、我が家は北竜にもいることができなかったし、私はまともになっていなかったかもしれましせん。

後藤さんの教えの実践を通して、北竜農協、組合員、北竜町民が理解してくれる『あなたの命の食べものを作っています』という話をさせていただいています。ここ10年間くらいは、道外からの講演依頼多く、農協の必要性や在り方などについての話をしてきました。

▶ 谷本明さんのお言葉「真夏の太陽に向かって、美しく力強く咲き誇るひまわり」

講演会の冒頭には常に『真夏の太陽に向かって、美しく力強く咲き誇るひまわりの町・北竜町』という谷本明さんの言葉を、許可を得て使わせていただいております。

この言葉は、北商10マイル大会の雑誌に掲載されたものです。この言葉は、実に素晴らしい言葉で、北竜町民の力、そして美しい心、花を大切にする心を最も表現した言葉と思っています。谷本さん、ありがとう!


講演に耳を傾ける参加者の皆さん 
講演に耳を傾ける参加者の皆さん


数え年81歳の私の生い立ち

私は、昭和14年(1939年)6月1日生まれです。数えで81歳です。何故、数えで歳を言うかと申しますと、平成2年(1990年)、北竜農協の専務を拝命したときのことです。

妹背牛町の松田宮司が来られて、『あなたはこれから、多くの人々に歳はいくつですか、と問われます。その時に、あなたは数え歳でお伝えしなさい。日本人は十月十日の1歳を粗末にしてはならない。ましてや、あなたは、食べものはいのちの話をしています。誇りをもって数え歳を使いなさい』と言われました。

私は6人兄弟の次男坊。母親は長男を生んだ後、母乳がでなくなり虚弱体質でした。私は母乳を飲まずに育ち、小学校時代は、まっすぐに立てない『くる病』を患いました。その頃、おおじいちゃんが飼っていた牛の牛乳を飲んで育ちました。

中学校へは65%の出席率で、夏は昼から草取り、稲刈り、稲架掛け、収穫作業を行い、100%出席は不可能でした。


人生の大きな基点となる年・昭和29年(1954年)15歳

昭和29年(1954年)は、私の人生の中でも、大きな基点となる出来事が怒涛のごとく重なった年となりました。洞爺丸台風にはじまり、中学校の全校弁論大会、父からの言付けと杉本さんの助け、代表監事から離農の勧告などです。

▶ 3月:洞爺丸台風(青函連絡船「洞爺丸」遭難)

・3月:洞爺丸台風(青函連絡船「洞爺丸」遭難)の年であり、3月1日におきたアメリカのビキニ環礁での水爆実験の事件をきっかけに、核兵器の恐ろしさが広そ知られ、全国で原水爆禁止運動の機運が高まった時代でした。

9月:中学校の全校弁論大会

9月、北竜中学校で全校弁論大会が実施され、各学年1名ずつ参加しました。当時、担任の金山先生に『私にやらせてください』と志願。『二度と繰り返すな原爆の悲劇』というタイトルで、ビキニ環礁での水爆実験で、マグロ漁船の第五福竜丸が死の灰を浴びたことに衝撃を受け、その事についてにスピーチしたいという想いがありました。

原稿用紙7枚を5分以内でスピーチする弁論大会で、基本的には、生徒が書いた原稿を先生にチェックしてもらい、大会に挑むものでした。しかし私は、『自分の本当の考えを訴えたい』という想いから。先生に見せずに、原稿そのままのスピーチを行いました。

結果、優勝には至りませんでしたが、浅野教頭の審査員としての最後の講評は、『学生にしては難しすぎる題材なので、もっと中学生らしい表題で弁論しなさい』というものでした。私は、『人の命が化学の力によって失ってしまうという、こんなことを繰り返してはいけない』という想いは、中学生にも教えるべきではないかと今でも思っています。

11月:父からの言付け「農協でえん麦3俵買ってこい!」

当時の農業は、馬そりの時代。冬の間、馬が脚気にならないための馬の餌であった『えん麦』を農協に買いに行けと、父から言付かりました。

そこで、お金を持たずに馬橇で農協に買くと、農協職員は、中学生の私に向かって『坊、何の様だ?!』といい、『えん麦3俵買いに来ました』と答えました。『お金もってきたか?』と問われ『農業手形でお願いします』と返答。すると、『お金をもってこないとえん麦は売れないぞ!』と、既に馬橇に積まれたえん麦は降ろされ、空のまま返されてしまいました。

馬喰の杉本さんに助けられた馬の餌

泣きながら、空の馬橇を引いて家に帰ると、隣に住んでいた馬喰の杉本清松さんが、そんな様子を見守ってくれていて、『良ちゃん、ちょっと待て! 納屋に穴を掘れ』と言いました。

えん麦を買えないとわかっていた杉本さんは、ぼっこを用意し、馬に積んだドラム缶を納屋に運んできてくれました。ドラム缶が入る穴を掘り、そこに藁を詰め水を溜め、足で踏み、カーバイト(石灰).1斗缶をお湯で溶かしたものを混ぜ2日間浸しました。

馬はえん麦を食べないとビタミン不足で脚気になってしまいます。馬が石灰藁を食べると、太らないし、脚気にもならない。『来年は、これで百姓やれるからな』と温かい言葉をかけてくれた杉本さん。私は、この時杉本さんに助けられました。

12月:『良ちゃんが農家を継いでくれなければ、死ぬしかない』という母の言葉で就農を決意

父親が、北竜農協理事から『保証人の判を押す人がいないので、辞めてくれないか』との離農勧告を受けました。当時、黄倉家は10人家族。

兄は翌日家を去り、農家継承を拒否。そんな時『誰かを残したら、判子を押してやる』と、後藤三男八代表理事組合長から、限定付保証が言い渡されました。この判子は、『硫安・過リン酸石灰・塩』に対する保証でした。父親は、すでに次男坊の私を、北正清さんの所で修行をさせることを決めていました。

後日、母から『良ちゃんが農家を継いでくれなければ、死ぬしかない』と言われ心が決まりました。私は、走ることが好きだったので、自衛隊に入って陸上競技をやり国体に出たいという夢をもっていましたが、その母の切なる言葉で農業継続を決意しました。


借金を返すための青春時代

・中学1年生から半農で、学びながら農業
卒業後は、朝は4時から夜8時まで仕事をしました。当時、走る仲間が集まって毎日10km、月に2回は15km走っていました。真っ暗な砂利道を走って帰って、洗濯をして風呂に入り10時頃就寝。

・賭け事はしない
お金がなく、時間もなかったので、賭け事は一切やりませんでした

・青年団活動入会
尊敬すべき先輩である田中盛亮さん、金山信次さんとの出逢いによって、自分よりも苦労を重ねている人々が沢山いることを実感。そしてお二人に誘われ、青年団に加入(12か町村・約5,000人余りの団員)。

当時お二人は、北空知青年団の団長としてご活躍され、私は事務局長を拝命。ガリ版の時代であり、この頃の経験が後の農協運動にとって貴重なものとなりました。


後藤三男八氏の教え

・昭和47年(1972年)11月2日、当時北竜農協の組合長だった後藤三男八氏に呼ばれ、『私は昭和48年4月の定例総会で退任する。後任には、中村利弘君(家族経営の農業、大工仕事、そして俳句の世界では日本を代表する文化人)を推奨する。しかし、後任に若い人達をという声もあるので、もし選ばれたら、3つのことを守れ。守れなかったら止めれ。

1.本を読め。本は必ず血となり肉となる
2.これからの時代、やがて食べものがなくなる。そのことを自分で考え実践し、農協事業に反映できるよう努力をしなさい
3.農協役員は、地位と名誉と金を求めるな

そして最後に、自分に対する世の中の評価は、組合長を辞めてから10年後に表れる。
農協とは、役員のものではない、職員のものでもない、それは組合員のものである。必ずそこに立ち返れ。何か問題が起きて迷った時、どうすることが組合員の為になるかを考えよ。そこで出た答えに従え』というその後の私の人生の指針となる後藤三男八氏の貴重なお言葉をいただきました。

同席されていた、後藤三男八氏の息子の後藤亨さんが、父親の話の意味を語ってくれました。『父が言う『やがて食べものがなくなる』という意味は、この先、経済の成長が続くと、経済合理性が先行し、安全な食料生産が後退することを意味している。百姓は自分のつくった物がどんなものなのかをじっくりと考えながら農業をやりなさい、と父は言っている』と1合のお酒を交わしながら語ってくれました。

後藤亨さんは、中学卒業後、江別駅前の書店で丁稚奉公。座って食事をしたことがないほど働いていました。お金を貯め、札幌第一高校の首席特待生となりますが、中学3年生の時体を壊し帰郷。鶏を飼いながら、残された6反の田んぼを自然農法(除草剤不使用・化学肥料不使用・農薬を行わない)を私と一緒に始めました(昭和48年開始)。


北海道自然農法の先達・佐藤晃明さんの言葉「農業は、安全な食べものを生産すること」

自然農法を実施するにあたり、北海道自然農法の先達・佐藤晃明さんの農場(当別町)に研修に訪問。

畦を歩きながら、佐藤さんに問われた言葉が『黄倉さん、農業とは何だかわかりますか?』。中学時代から20年間以上、借金を返すために農業を行ってきた私にとって、『農業とは何か』という質問に、頭では理解できても一言で答えることはできませんでした。

『農業は、人間の安全な食料を生産することなんですよ。農業は、食べていただく人の命を守ることです』。

この佐藤さんのお言葉が、すぅーと身体に染み入り、『これから、人の命を守る農業に努力し続けていけばいいのだ』と心の底から実感しました。

『だけど、難しいよ。自分ひとりではできないよ』と佐藤さんのお言葉。自然農法は、決してひとりの力では実施できるものではなく、多くの人々の協力と強靭な想いがあってこそ実行・継続できるものであることを佐藤さんは教えてくださいました。


黄倉良二さん 
黄倉良二さん


「命・食糧・環境・暮らし」を守り育むことが農協の原点

1.この世で最も大切なもの、それはいのち(命)
2.あなたのいのちは、どうやって守り育まれたんですか?

医学と化学がどんなに進歩しても、血となり肉となる食べものが無い限り、生き続けることはできません。
水は食べものをつくる力があります。医者と薬だけでは命は守れません。

命を育み守ってくれたものが食べものです!
命を守る食べものは、環境が良いものでなければなりません。

協同組合の原点は、「命を大切にする食糧を大切に作ってそれを伝えていく。環境を守りながら、そしてあなたの暮らしを守っていくこと」です。


天に感謝し、安全な食糧生産を持続する品質管理

・山と木と緑を守り、力のある豊かな水を確保すること
・世代を超えて、誇り得る土地を伝承すること
・百姓の技術と魂を磨き続けること
・意欲ある担い手を具備すること


黄倉組合長として取り組んだ低温倉庫建設

当時、農協広域合併に向けて、米15万俵を保管・管理するための低温倉庫建設の取り組みが必要でした。

建設費における組合員の負担を軽くするためには、その建設費を今までの60%以下にするという、従来とは異なる破格の建設費をかかげ、競争入札を実施することを決意。

この方針を提案できた理由としては、静岡県で建設業を営んでいた私の兄に、建設業界の実態を尋ねたところ、その設計なら55%で利益は上がると言われ、踏み切ることができました。それを、53.8%で受けてくれた建設会社があった。この建設にあたり、北竜町から1億2千万円の助成金を受けることができました。

その後、平成12年(2000年)に対等合併(北竜町農協は、8つの農業協同組合の広域合併により、きたそらち農業協同組合(JAきたそらち)北竜支所となる)。その合併時にJAきたそらち代表理事専務に就任。2年後の2002年に代表理事組合長に就任となりました。


後藤さんの言葉「我慢することは、恥ずかしいことではない。倒れることが一番恥ずかしいことだ」

20歳で消防団員になり、火事になったとき、自転車で駆けつけていました。父親が、バイクを与えることを後藤組合長に懇願。

次の日、後藤組合長に呼び出され、『バカモノ! 何を考えとる! おまえは、人の判子を借りて農業をやっている。何がバイクだ! 消防団員にはそれぞれの役目がある。おまえは、自転車で最後に駆けつければいいのだ。後片付けを一生懸命手伝ってこい!』。

さらに『良二! 我慢することは、恥ずかしいことではない。倒れることが一番恥ずかしいことだ。倒れると多くの人に迷惑をかける。なんで、我慢できないのだ!」と言われた後藤組合長のお言葉は、今でも蘇ってくる忘れられないお言葉として胸に刻み込まれています。


黄倉良二さん 
黄倉良二さん

会場の様子 
会場の様子


気候変動現象「天が怒り地が叫ぶ」


天が怒り地が叫ぶ 
天が怒り地が叫ぶ


・COP25(第25回国連気候変動枠組み条約締約国会議):気候変動問題における国連会合
 大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させ、気候変動がもたらす様々な悪影響を防止するための取り組みが進められています。
・地球温暖化:二酸化炭素(CO2)の増加で大気が温められ、気温上昇します
・気候変動:100年に一度といわれる災害が多発
・グレタ・トゥーンベリさん:地球温暖化対策を求める若者の運動を世界的に広げた(スウェーデンの16歳の活動家)

・『天が怒り地が叫ぶ』
こうした気候変動現象は、『生きる人間よ、もっと地球を大事にせよ』という天の怒りであり、地の叫びが地震となって現れていると思います。

経済企画庁宣言(1992年1月)

持続可能な発展を目指すものとして、
1.爆発的な人口増加を阻止する努力(居住地、公用施設他確保の限界、食糧生産地確保の限界、水確保の限界)
2.地球規模での環境保全の努力

▶ 環境庁長官宣言(1992年2月)

・地球規模での環境の恩恵は人類共有の財産
 地球規模での環境の恩恵を、特定の人、特定の国が享受してはならない。人類共有の尊い財産である。

地球サミット:外務省「国連環境開発会議@リオデジャネイロ(1992年6月)

・172か国に政府代表が参加
・何事にも先駆けて取り組む課題(地球規模)
・爆発的に増加する人口を抑止する努力
・飢えと貧困の克服
・全ての人々が環境を保全する努力
・食糧生産条件を確保する努力

パリ協定、COP25の基本は、1992年の地球サミットから始まりました。

(黄倉良二氏のレジメ参照)


黄倉良二さん 
黄倉良二さん


平成2年(1990年)国民の命と健康を守る安全な食糧生産宣言

森正一元北竜町長の偉大なる功績

1.恵岱別ダムを造る
2.恵岱岳のスキーリゾート建設を阻止
3.国民の命と健康を守る安全な食糧生産宣言を実施(平成2年12月18日)


食べものはいのち(生命) 
食べものはいのち(生命)


北竜町農業委員会憲章(平成2年10月26日)澤田隆司会長

「農業委員会」は、土と自然と緑を育み、そして豊かな水を確保し、わが郷土に夢と希望のもてる生産性の高い「人間の安全な食糧を生産する」農業の育成に努めます」と宣言。この憲章は、全国で北竜町だけです。

北竜土地改良区「豊かな環境 稔りの農村」宣言(平成2年11月22日)

「土地改良区は、自然と緑を育み、そしてきれいな水を確保し、安全な農産物生産に努めます。土地改良区 理事長 南波彰

こうして、北竜町・農業委員会・土地改良区が三位一体となって、 『国民の命と健康を守る安全な食糧生産宣言』を実施したのは、日本で初めての取り組みとなりました。

米国有機農業学会で紹介された日本の町は、宮崎県綾町、大分県大山町、山形県高畠町、北海道北竜町であり、その中でも、『国民の命と健康を守る安全な食糧生産宣言』をしたのは、北海道北竜町だけです。

このことによって、農業生産者だけでなく、北竜町民が一致団結して、『国民の命をまもる安全な食べもの』を生産する町という精神を今日まで守り抜いている証です。


本物とは、後味が良い、潔い、卑しくない

沖ヨガの内山英郎氏のお言葉『本物とは、後味が良い、潔い、卑しくない』。内山氏は、自ら有機農業をやりたいという志をもって、北竜町に何度も訪問。何度も杯を交わしながら、お話をした方です。

その中で、最も印象に残っている言葉が、「本物とは?」という言葉。この言葉は、全てのことに通用する言葉であり、食べもの、人間性、すべての人生における本物の在り方を表現したものだと思います。


真の豊かさ、真の幸せを目指して

本当の豊かさとは、飢えのないこと、健康であること、安全に暮らせることに尽きます。この3つには、心と身体と社会の飢え、心と身体と社会の健康、心と身体と社会の安全であることが表されています。

戦争と災害の無い町で、家族が健康で働き、家族が健康で暮らし、その営みを通じて、人と地域と社会に貢献するという真の豊かさ・真の幸せを目指すことが北竜町のメッセージです。

これらのことを、これまでの520回の講演会で話してきました。ひまわり大学での講話が最後の講演会になりました。ただ、札幌で行われているお母さんと子供のミニ懇談会は、できるだけ続けたいと思っています。

本日は、ありがとうございました」と、熱い魂を込め、力強く語ってくださった黄倉良二氏です。


熱い魂を込め、力強く語る黄倉良二さん 
熱い魂を込め、力強く語る黄倉良二さん


「食べものはいのち(命)」の魂が宿る、
黄倉良二氏の過去と現在の熱い語り合いに、
限りない尊敬と感謝と祈りをこめて。。。


サンフラワーパーク北竜温泉 
サンフラワーパーク北竜温泉


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<参考 Yourtube:岩本剛 氏(企画・撮影・編集)

<未来のために For the future> 北海道における有機農業の先駆者 黄倉良二(おおくらりょうじ)(2019年7月30日)


◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子


黒千石鍋焼きうどん@レストラン風車・サンフラワーパーク北竜温泉【北竜町の美味しいものご紹介!No.03】

2019/12/09 15:29 に 寺内昇 が投稿   [ 2019/12/09 15:34 に更新しました ]

2019年12月10日(火)

北竜町の美味しいものご紹介!サンフラワーパーク北竜温泉レストラン風車の「黒千石鍋焼きうどん」です。

大きな海老天がどーんと乗って、存在感のあるお肉は「ひまわり畑ポーク」!
しめじ、ねぎ、ほうれん草など野菜も豊富で、とろ〜り温泉卵が全体を包みこむ優しい味わい!
そしてあったかうどんは、黒千石きな粉を練り込んだ「黒千石うどん」!

雪の降る寒〜い日は、美味しい黒千石鍋焼きうどんを食べて、心も身体も、ほっかほかにあったまろう!!!


黒千石鍋焼きうどん 
黒千石鍋焼きうどん

ひまわり畑ポークとは 
ひまわり畑ポークとは

レストラン風車入り口 
レストラン風車入り口

レストラン風車店内 
レストラン風車店内


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◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子


「黒千石大豆&燦燦ひまわり油&ドレッシング」ギフトセット【北竜町の美味しいものご紹介!No.02】

2019/12/04 14:27 に 寺内昇 が投稿   [ 2019/12/04 15:01 に更新しました ]

2019年12月5日(木)

北竜町の美味しいものご紹介!シリーズ第2弾は、「黒千石大豆 & 燦燦ひまわり油 & ドレッシング」ギフトセット。


「黒千石大豆 & 燦燦ひまわり油 & ドレッシング」ギフトセット

「黒千石豆ごはんセット」「黒千石きなこ」「そのままカリッと黒豆のお菓子」「燦燦ひまわり油」「黒千石&ひまわり油ドレシング」のギフトセットです。(税込3,000円)
サンフラワーパーク北竜温泉のショップで販売されています。

ご注文方法

ご注文は、申込書(サンフラワーパーク北竜温泉ショップにあり)にご記入の上、黒千石事業協同組合・FAX(0164−34−2388)または電話(0164−34−2388)へお申し込みください。

大切な方々への贈り物に、北竜町の特産品の詰め合わせセットはいかがでしょうか?


「黒千石大豆&燦燦ひまわり油&ドレッシング」ギフトセット 

「黒千石大豆&燦燦ひまわり油&ドレッシング」ギフトセット 
「黒千石大豆&燦燦ひまわり油&ドレッシング」ギフトセット


ひまわり油黒千石ドレッシングセット

「ひまわり油セット」、「ひまわり油黒千石ドレッシングセット」も発売中!


ひまわり油黒千石ドレッシングセット 
ひまわり油黒千石ドレッシングセット


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◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子


手打ちそば&鶏照り焼き丼@お食事処向日葵【北竜町の美味しいものご紹介!No.01】

2019/12/01 17:25 に 寺内昇 が投稿   [ 2019/12/04 14:20 に更新しました ]

2019年12月2日(月)

北竜町の美味しいものご紹介!
「お食事処 向日葵(ひまわり)」にて、人気の定番ハーフセットメニュー「手打ちそば&鶏照り焼き丼」です。ハーフセットメニューは、麺&ご飯物がセットで選べるメニュー。



麺がラーメン「醤油・味噌・塩・辛味噌」or そば「かけ・ざる」をチョイス。ご飯ものは、「天丼・カツ丼・親子丼・鶏照り焼き丼・カレー」から好きなものを選択。

ポテトサラダ・トマト・キャベツなどのサラダ、漬物、薬味(ねぎ・わさび)、そば湯がセットになっています。


ハーフセット:手打ちそば&鶏照り焼き丼


ハーフセット:手打ちそば&鶏照り焼き丼 
ハーフセット:手打ちそば&鶏照り焼き丼


毎朝、 店主の佐藤光男さんが手打ちする「そば(北竜町産そば粉使用)」は、コシのあるキリリとした食感の美味しいお蕎麦!

鶏照り焼き丼は、甘辛だれの鶏と玉ねぎの下にはキャベツ、上には、温玉がトッピング! 柔らかもっちりの鶏肉に、甘辛タレが絡み、さらに、とろ〜り温玉が混じり合った絶品丼!!!


とろ〜り温玉が混じり合った絶品丼 
とろ〜り温玉が混じり合った絶品丼


ハーフセットは、その日の気分によって、ラーメンや丼物など、色々選べるお楽しみメニューです。是非、お試しください!!!


年末・年始のオードブル、予約受付中!

締め切りは、12月10日頃まで。心のこもったオードブルです。


オードブルの一例 
オードブルの一例


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お食事処 向日葵

お食事処 向日葵北海道雨竜郡北竜町和町7-6
Tel:0164-34-6009
【営業時間】
・ランチ 11:30〜14:00(LO 13:30)
・夜   17:00〜20:00(LO 19:30)
【定休日】日曜日、第2・4木曜日、祝日ランチのみ
【駐車場】5台分程あり
(店舗南側・店舗とホクレンSSの間の道を入る)


【ホームページ】お食事処 向日葵|ひまわりのまち北竜町にある飲食店です
【Instagram】お食事処 向日葵 (@himawari_hokuryu)


◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子


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