PHP嚶鳴(おうめい)塾まちづくり特別セミナーの開催

2012/09/24 1:53 に 寺内昇 が投稿   [ 2012/09/26 22:52 に更新しました ]
2012年9月24日(月)

9月9日(日)午前9時より、北竜町公民館にて、PHP嚶鳴(おうめい)塾まちづくり特別セミナーが開催されました。企画、PHP研究所 地域経営研究センター。コーディネーターは、同センター・シニアコンサルタントの寺田昭一さんと島泰之さん。
昨日開催された「第5回北海道地域創造フォーラム in 北竜『北海道・コメ・未来』」に引き続き、まちづくりを考えるセミナーです。


会場模様
会場模様


北海道市町村首長、議会議員、行政職員、行政・公共団体・まちづくり関係者など30名ほどが参加。
講師陣とひざを交えながら、変革の時代に求められる哲学と指導力のあり方等について議論が交わされました。
セミナーの構成は、童門冬二 様(作家)の講演、黄倉良二 様(JAきたそらち元組合長)の講演、意見交換、昼食、視察研修(JAきたそらち北竜支所、(有)田からもの(佐藤稔 代表)有機栽培米圃場)。


黄倉良二 様
黄倉良二 様(左)  童門冬二 様(右)


「嚶鳴(おうめい)」とは、中国最後の詩集「詩経」の言葉で、「鳥が鳴き交うように仲間が集まって、学びあう」という意味。上杉鷹山の師として名高い儒学者・細井平州が江戸に開いた私塾を「嚶鳴塾」と名付けたことで有名。
ふるさとの先人の知恵や経験を通して、人間の英知を再発見し気づくことによって、よりよき地域づくりへの道を共に学び、実現していくことを目的としています。


講演:童門冬二 様「先人に学ぶ変革の哲学と指導力」

童門冬二 様 童門冬二(どうもん ふゆじ)様:作家(歴史小説、推理小説)

1927年(昭和2年)、東京生まれ(日本橋)、85歳。B型、兎年、天秤座。本名は「太田 久行」。東京都庁で企画調整局長、政策室長等要職を歴任した後、退職し作家活動に専念。小説・ノンフィクションの分野に新境地を拓く。代表作『上杉鷹山』(1983年)、『情の管理・知の管理』(1983年)、『吉田松陰』(2001年)、『前田利家』(2002年)など著書は500冊以上。中でも著書に「人生で必要なことはすべて落語で学んだ」(PHP研究所・2006年)とあるように、落語鑑賞が大好きだそうです。


「嚶鳴塾」について、上杉鷹山、細井平州などを中心に、さまざまな視点を通して、お話くださいました。

・何百年の前の先人の精神が、今も息づいている。この嚶鳴塾では、それぞれの地域が生んだ偉い人々、中央に知られていない人々を紹介し合い、首長さんの自慢話にしようというもの。

・偉い人のどこが偉いのか。その偉いところを、首長を中心に、町民がどう活用していくのか考える。その地域だけのものではなく、他の地域に情報として発信し、他の地域にも役に立つようにする。

・北竜町は、1893年(明治26年)、吉植庄一郎 氏が、「農の心」を北竜町に植え付け、それを町民が引き継いでいった。北政清氏、後藤三男八氏は、本来は農民、小作人を監視する立場にありながら、監視されている農民の側に立って行動した。そして、農民の心を理解したとき、お互い助け合う組織が必要だと考え、協同組合をつくっていった。

・このように、あまり知られてない人達を、情報として発信して、日本全体の共有物にしていきたい。そのことによって、各地域がさらに発展して、活性化していくことを願う。

・今日の地方自治をめぐる課題は山積していますが、自治体が共に知恵を出し合うことの大切さを、今回のフォーラムはあらためて提起したといえるでしょう。


講演:黄倉良二 様(元・JAきたそらち組合長)「北竜を日本有数のコメどころに導いたもの」

黄倉良二 様 黄倉良二(おうくら りょうじ)様:

1939年(昭和14年)北海道・北竜町生まれ。B型、兎年。北竜町農業協同組合代表理事組合長。同農協の広域合併後、JAきたそらち組合長。

「食べものはいのち(生命)」を継承し続け、自然生態系のすべての生命を守り育むことを大切にする精神をもつ。

 「手と技術と心を尽くす」農業と農村社会の建設を歴代の組合長から継承。自ら自然農法に取り組むとともに、組合員を指導・育成。「国民の生命と健康を守る、人間の安全な食糧生産の町づくりに邁進。

● 黄倉さんが守り続けている、歴代組合長・後藤三男八さんの精神「食べものはいのち(生命)」

後藤三男八さんから戴いた御言葉。

・お金を貯めて本を買え。本を読む意味は、内容を学ぶだけではない。書いている人の生き様を読み解く。その人が、何を伝えたいのかを読み解くことが大切。
・いつか食糧が無くなる時がくる。石にかじりついてでも農業を捨ててはいけない。農業なくして人類は生きてはいけない。
・地位と名誉と金を求めるな。仕事をしていると、やがて遭遇する時がくる。地位と名誉とお金と物を求める心がでてきたら、組合の役員を辞めなさい。
・自分を支えた600人の組合員へ恩返しをしなさい。組合員のおかげで今のおまえがあるのだから、組合の役人になってみんなに恩返しをしなさい。
・働け、百姓は働け、働くことのどこが恥ずかしい。
・いいものをつくれ、いいものを作れなかったら駄目なんだ。
・みんなが車を持っていて、自分が持っていないからと言って何が恥ずかしい。恥ずかしいことは、無理して借金して倒産してしまうことだ。
・人の力を借りるときは、どんなことがあっても我慢しなさい。
・倒れるな。倒れることが、どれほど多くの人に迷惑をかけることか。

● 北竜町の安全で良質な北竜町米への挑戦

・1988年(昭和63年)6月、北竜町農協青年部が、国民の生命と健康を守る北竜町農民集会を開き、安全な食糧生産に関する決議をする。「農業の価値を伝えたい」百姓の価値、村の価値、地域の価値を伝えたいというのが青年部の要求だった。
・1990年(平成2年)10月、農業委員会が北竜町農業委員会憲章を制定し「土と自然と緑を育み、豊かな水を確保し、わが郷土に、夢と希望のもてる生産性の高い(人間の安全な食糧を生産する)農業の育 成に務めます」と宣言。
・1990年(平成2年)11月、北竜土地改良区が「豊かな環境、稔りの農村」により、北竜町の水を劣化させない、綺麗な水を確保し、山と緑を大切にすることを宣言。
・1990年(平成2年)12月、町長自ら「本町は、国民の命と健康を守る安全な食糧生産の宣言の町」を提案。
・こうして、農業委員会が議決し、土地改良区も総代会で議決。さらに、町は議会で、北竜町は「生命を守る安全な食糧生産の町」の宣言を採択した。

● 農業保全型環境への挑戦

・アメリカ合衆国のペンシルバニア州生まれのレイチェル・ルイーズ・カーソンは、1960年代に環境問題を告発した生物学者。農薬で利用されている化学物質の危険性を取り上げた著書『沈黙の春』(Silent Spring)は、人類史上において、環境問題そのものに人々の目を向けさせた。
・今、農業に求められていること、それは「生きる上で最も大切なものは命という自覚」地位や名誉、お金ではなく、最も大切な命を育むものは何か どんなに社会が発展しても、人間にとってたべものがなくては、生きていけません。しかも安全なたべもの。しかも遺伝子を壊さないたべものでなくてはならない。
・環境を保全するための農業ではなく、命を最も大切にする農業への挑戦をし続けていきます。

● 遺伝子を壊さない農業を目指す

・1996年9月、東京で開催された最後の水俣展に駆けつけた黄倉さんは、「遺伝子を傷つける農業は絶対許されない。遺伝子を傷つけることがどれほど大変なことか」を思い知らされた。

・水俣病(みなまたびょう)は、日本の化学工業会社であるチッソが海に流した廃液により引き起こされた公害病。環境汚染による食物連鎖により引き起こされた人類史上最初の病気であり、「公害の原点」といわれている。メチル水銀により脳・神経細胞が破壊された結果、言語障害、歩行障害、難聴などの症状が現れてくるもので、多くの人々が苦しんだ。

● 手と技術と心を尽くす実践農業への挑戦

「真の幸せとは、戦争と災害のない町で、家族が健康で働き、家族が健康で暮らす、その営みを通じて、社会に貢献することです。
北竜町は、歴史と世代を超え、山と木と緑を守り育み、それに支えられた力のある水を大切にしています。
親から子、子から孫へと誇り得る土を伝承し、天に感謝しつつ、『食べものはいのち(生命)」の百姓魂を伝え続けています。手と技術と心を尽くす実践農業への挑戦はこれからも続けられます」


ディスカッション

各町村の首長さん始め、参加者皆さんによる活発な意見交換が行なわれました。

中富良野・木佐剛三 町長、様似町・坂下一幸 町長、北竜町・佐野豊 町長、長野県議会・倉田竜彦 議員、永井一雄 議員、小林東一郎 議員、見野全 元白老町長、天心農場・北川光 会長、その他 関係者の皆様


コーディネーターの寺田昭一さん(右)
コーディネーターのシニア・コンサルタント寺田昭一さん(右) 佐々木陽一 主任研究員(左)
   参加者皆さん    参加者皆さん
右:活発なディスカッション
昼食
昼食のお弁当(サンフラワーパーク北竜温泉・レストラン「風車」)


視察研修

昼食後、視察研修として、JAきたそらち北竜支所を訪問。北竜支所・滝上和昭支所長より北竜町における低農薬栽培の取組と生産情報公表農産物JAS規格などについて丁寧なお話を頂きました。その後、玄米ばら調製集出荷施設内の見学。
さらに移動して、(有)田からもの(佐藤稔 代表)の有機栽培圃場の見学等を行いました。


JAきたそらち北竜支所・滝上和昭 支所長    色彩選別機
左:JAきたそらち北竜支所・滝上和昭 支所長  右:色彩選別機

大きな調整施設    参加者一同
左:大きな調製施設  右:参加者一同


この120年の北竜町の歴史の中で、北竜町を守り、多くのものを築きあげてきた先人たち。
中心となって活躍したリーダーたちが、理想の実現に向かって、苦しみに立ち向かい、一歩ずつ一歩ずつ努力を重ね、慎重に歩んできた道のり。

そうした先人たちが示した、前へ一歩踏み出すことの大切さ、重さを実感いたしました。
先人たちの行動の中から、私達がこれから何をすべきなのか、何をしてはいけないのかをじっくりと考えて、自らが進むべき道を選択し、判断していかなければならないことを学ぶことができました。


有機栽培米の圃場視察
有機栽培米の圃場視察@(有)田からもの(佐藤稔 代表)



多くの先人たちが築きあげて下さった、町の歴史を知り、

その偉大さに気づき、魂を共有し合い、心から感謝する。

それは、時を越えて伝えられ、限りなく広がっていく。

小さな町から、日本中へ、そして世界中へと・・・

すべての尊い生命を心から愛する魂に、

大いなる敬意と尊敬と感謝をこめて。。。


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◇ 撮影=寺内昇 取材・文=寺内郁子


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