北竜町は元気で素晴らしい町・北竜町体育協会の歩みを語り合う

2019/12/19 15:08 に 寺内昇 が投稿   [ 2019/12/21 21:39 に更新しました ]
2019年12月20日(金)

12月9日(月)、サンフラワー北竜温泉会議室にて、篠原常夫氏(90)を囲んで、田中盛亮氏(82)と黄倉良二氏(80)の3人で、北竜町体育協会の歩みについての座談会が行われました。


座談会の様子(右:篠原常夫氏、中:田中盛亮氏、左:黄倉良二氏) 
座談会の様子(右:篠原常夫氏、中:田中盛亮氏、左:黄倉良二氏)


篠原常夫氏プロフィール


篠原常夫氏 
篠原常夫 氏


・昭和 4年(1929年)生まれ90歳、岩見沢出身
・昭和10年(1935年)岩見沢から北竜町和へ転居し、真竜小学校へ転校。道立深川中学校4年間、日本歯科大学にて予科3年、学部4年の計7年間を学ぶ
・昭和29年(1954年)日本歯科大学卒業後、4月に東京銀座の池田歯科医院に1年間勤務。同年8月には歯科医師国家試験合格
・昭和30年(1955年)8月、帰郷するように切願され、北竜町和に戻る。実家を改装して篠原歯科医院を開業
・昭和31年(1956年)北竜町学校歯科医師〜 ・平成13年(2001年)9月、篠原歯科医院を閉院し、10月より北竜町立歯科診療所勤務


「祖父は、明治26年(1893年)千葉からの吉植庄一郎氏率いる開拓団の一員として、倍本社地区に入り開拓の鍬をおろしました。父親は、農業を継いで営んでいましたが、身体が弱くて、母親の親戚が九州で営む時計店に修行に出ました。その後、叔父の薦めで岩見沢に時計店を開業しました。私は岩見沢で生まれ、小学校1年のときに北竜町和に転入しました」と、篠原氏。

篠原氏は三人兄妹で、お姉さんは、4歳のとき肺結核で亡くなり、妹・慶子さんは真竜小学校の教諭をされていました。当時、田中さんも黄倉さんも慶子先生の生徒でした。


少年・学生時代


篠原常夫氏 
篠原常夫氏


少年時代

● 篠原氏:私の少年時代は、戦時ばかりでした。支那事変、日中戦争(1937年〜1945年)、太平洋戦争(1941年〜1945年)の戦時中で、中学に入った頃に戦争がはじまっていました。当時は、食糧難で、何から何まで配給でした。

魚・米・味噌・着物などすべて配給で、人数に応じて購入切符が発行され、その切符を持って購入していました。

中学時代

● 篠原氏: 中学校への通学は、和駅から札沼線〜留萌線と乗り継いで深川までの1時間の列車通学。朝6時に家を出て、夕方6時頃帰宅。母親が、朝4時に起きて朝食と弁当を作るのが大変な時代でした。

日本歯科大学時代(東京都千代田区富士見・JR飯田橋駅)

● 篠原氏:昭和20年(1945年)に終戦を迎え、私が東京に行ったのが昭和22年(1947年)の春でした。東京は、戦後の焼け野原が多く、惨憺たるものでした。上野駅には、浮浪児がウヨウヨ数え切れないほどいて、虱とりをしていました。

食糧難の時代だったので、下宿に入り、お米は実家から送ってもらっていましたが、列車内の検査により統制品として回収されたこともありました。また、実家から外食券を送ってもらい、外食券食堂にいって、腹ごしらえしたことを思い出します。

大学卒業後すぐの昭和29年に結婚


座談会の様子 
座談会の様子


北竜町へ帰郷

● 篠原氏:本当は東京で歯科医院をやりたかったのですが、当時町で開業していた歯科医師が滝川市に移転し、北竜町に歯科医師がいなくなってしまいました。そこで両親から「町の人が困っているので是非帰ってきて欲しい」と切願されました。

かなり迷いましたが、昭和30年(26歳・1955年)に帰郷しました。当時北竜町は人口も多く、6千人ほどの人口でした。

篠原歯科開業当時

● 篠原氏:帰郷した当時は、むし歯を抱えた町民が多く、毎日治療を受ける人々の列が耐えなかったほどです。昭和35年(1960年)くらいからさらに患者数が増加。戦時中、口にできなかった甘いものが、戦後、自由に取れるようになったため、むし歯が急激に増えたと思われます。一時は、診療所の開院前から多くの人々が院の外で並んで待っていました。

昼食もゆっくり取る時間がなかったので、おにぎりを用意してもらい、診療の合間につまんでいたほど忙しい毎日でした。


鼓笛隊編成(昭和35年・1960年頃)

篠原氏の声掛けにより、小学校の鼓笛隊が結成。編成における楽器一式を篠原氏が寄付されました。毎年6月に開催される旭川市の北海道護国神社のお祭りに参加することを目的としました。護国神社お祭り前夜は、町の街灯行進が実施。その後毎年、真竜小学校の鼓笛隊として護国神社祭りに参加していました。

● 篠原氏:帰郷してすぐに学校歯科医に委嘱されました。その当時、東京帰りの私にとって、町には活気がなく、実に淋しく元気がないように感じました。子供の将来を考えて、子供のためにも、町の活気づくりのためにもなる「鼓笛隊」を編成したらいいのではないかと考えました。小学校の校長先生と相談したところ、鼓笛隊を指導できる教師が手を上げてくださって鼓笛隊が結成されたのです。そこで、鼓笛隊の楽器一式を寄付しました。当時、30人〜40人の小学生が参加していました。

数々の公職

・北竜町体育指導委員:昭和43年〜49年
・真竜小学校PTA会長:昭和46年〜53年
・小学校開校記念協賛会:小学校創立10年ごとに開校記念協賛会記念誌発行
・学校で不足している部品などを集めて支援・協力していくことが協賛会の役割でした
・北竜町体育協会会長:昭和48年〜平成7年
・日本ボーイスカウト北竜第1団育成会長:昭和47年〜50年
・北空知連合PTA会長:昭和48年〜49年
・北竜町スポーツ少年団本部長:昭和48年〜平成7年
・北空知スキー連盟会長:昭和49年〜59年
・北竜町消防団連合講演会会長:昭和51年〜
・空知歯科医師会会長:昭和53年〜平成3年


日本むし歯予防フッ素推進活動

・日本むし歯予防フッ素推進会議副会長:昭和53年(1978年)〜昭和62年(1987年)
・北海道子供の歯を守る会会長:昭和58年(1983年)
・NPO法人日本むし歯予防フッ素推進会議会長:昭和63年(1988年)〜平成15年(2003年)

「病気は予防が大事です。フッ素は、歯を強くしてむし歯になりずらくします。この運動を全国的に広めるために、新潟の大学教授と連携して、各大学に呼びかけてると7大学が共鳴してくれました。全国組織「NPO法人日本むし歯予防フッ素推進会議を設立し、私は会長に任命されました。

これは、小学校の子どもたちを対象にした活動です。個人での予防は長く続かないので、集団予防が効果的と考えました。フッ素むし歯予防運動は、小学生の児童の永久歯が生え変わる時期に、永久歯を残すための予防対策を推進するための取り組みです。学校を対象にした運動で、予防対策として養護教育の中に取り入れられました。

当時、反対意見も寄せられましたが、フッ素はWHOでも認証されたものなので、今では全国的に広まり、保育園・小学校など空知管内の学校で予防法が実施されています。

私は、この運動に取り組んで本当に良かったと実感しています」と篠原氏


田中氏・黄倉氏の篠原氏との出逢い

篠原常夫 氏 談

「様々なことを相談するのは、田中さんや黄倉さんでした。二人に相談すると真剣に相談に乗ってくれて、必ず実行に移してくれました。とても頼りになる二人です」。


矍鑠とお話される篠原氏 
矍鑠とお話される篠原氏


田中盛亮 氏 談


田中盛亮 氏 
田中盛亮 氏


「篠原先生とは、北竜町体育協会で出会いました。

篠原先生は、東京から帰郷してすぐに、町のスキー部を設立されました。その頃、北竜町青年団のスポーツが強くなり、全道出場するなど、盛んに行われていました。私も中心になって大会などに参加していたので、体育協会の役員に任命されたことが、篠原先生との出逢いです。その後、PTAにも引っ張り出され、篠原先生のご指導の元、活動を続けていました。

体育協会において篠原会長の時代、私は副会長を昭和42年(1967年)から28年間務めました。辞めようとすると、篠原会長から『なんで辞めるのか!』と𠮟咤されました。そこですかさず『ハイ! わかりました!』とずっと継続することになったのです。

当時の体育協会は、どのスポーツにおいても力強く、とても活気づいていました。篠原先生率いる事務局のメンバーになりたいと希望する人々が大勢いました。どの競技もみんなが力を合わせ、協力し合って、大変楽しく行っていました。

その時の篠原先生の力は偉大で、町を活性化させ、若者たちを元気づけるために、知恵を絞りいろんなアイデアを考案しました。また、篠原先生の趣味の狩猟で、鴨撃ちや熊狩をした肉をみんなに振る舞ったりしてくださいました。篠原ファミリーの温かいおもてなしは、若者たちにとって大変楽しくてありがたいものでした。

こうして、小さな町・北竜町体育協会における長年の素晴らしい活動が高く評価されて、篠原先生は平成7年(1995年)「北海道スポーツ賞(北海道教育委員会主催)」を受賞されています。

私は、人生を歩んでいく上で、偉いことはできなくとも、当たり前なことを当たり前にしていきたいと思います。日常的に些細なことでも、道徳的な行為として、当然やるべきことを当たり前のように実行できない人をみかけます。

篠原先生は、偉いことを当たり前のように実行してきた素晴らしい方です。篠原先生は、信頼できる親分です。『よっしゃ! やるぞ!』と言われたら、『はい!』とついていき、心を預けることのできる親分です」。

黄倉良二 氏 談


黄倉良二 氏 
黄倉良二 氏


「家内の実家が、篠原先生と縁戚になります。そして私が小学校の時、篠原先生の妹さん(篠原慶子先生)が先生で、学校で勉強を教わっていました。

一番のご縁は、体育協会関連です。篠原先生が体協の会長の時代に、田中さんとともに副会長を務めていました。その頃、体育協会関連の会合には、いつも篠原先生がご出席くださり、必ず1万円を差し入れてくださいました。当時、お金のない部員にとっては、とてもありがたい差し入れでした。

また、昭和36年(1961年)にはじまった『北空知駅伝(北空知陸上競技大会・北海タイムス主催)』、昭和40年(1965年)にスタートした「第1回北商10マイルロードレース」など、各大会が実施されるたびに、多大なるご支援やご指導を頂き、常に私達を子供のように見守り応援してくださいました。

篠原先生は、どんな時も身銭を切って、若者を元気づけ応援していくという素晴らしい指導者(大将)でした。そうした篠原先生の偉大なる熱意が、みんなを奮い立たせていたのだと思います。若者は皆、純粋に先生を信頼してついていきました。篠原先生に出会えて、本当に良かったと思います。

一生懸命働き、心を尽くして歩んでいけば、必ず良い人との出会いがあります。良い人が良い人を呼んで、良い人との繋がりがさらに広がっていきます。良い人との出会いが人生を豊かし、人生の最大の喜びになるのだと思います。

篠原先生は、熱い心と実践力が自然と身についている素晴らしい方だと思います。絶対に愚痴を言わない、人の悪口を言わない、芯の通った実践力をもった方です」。


座談会の様子 
座談会の様子


活気に溢れた北竜町体育協会

・昭和29年(1954年)北竜村体育連盟設立、第1回村民懇親体育大会
・昭和36年(1961年)第1回町民マラソン大会、第1回町民登山会
・昭和37年(1962年)第1回北空知駅伝大会参加
・昭和40年(1965年)第1回北商10マイルロードレース開催

昭和42年(1967年)北竜町が「スポーツの町」宣言

第一号スポーツの町宣言は「苫小牧市」。昭和41年11月12日に、苫小牧市が全国で初めてスポーツ都市宣言を実施。翌年、北竜町も「スポーツの町」宣言を行う。

・昭和42年(1967年)第1回町民卓球大会、第1回町民スキー大会、第1回北竜町陸上選手権大会、碧水スキー場設置、北竜町立水泳プール設置(和)、バレー・スキー・剣道を町技に指定

・昭和43年(1968年)開道100年記念空知スポーツ大会参加、第1回町民水泳大会
・昭和44年(1969年)第1回職場対抗相撲大会、第1回職場対抗柔道大会、碧水スキー同好会設立(竹林武 会長)
・昭和48年(1973年)北商10マイルロードレースが日本陸協公認となる、第1回職場対抗バレーボール大会
・昭和50年(1975年)第1回北竜町陸上記録会

昭和51年(1976年)北竜町農村環境改善センター落成

北竜町農村環境改善センター設立は、「スポーツの町」にふさわしい町づくりが必要だと考え、スポーツの拠点としての体育館を設置し、指導者を養成してスポーツを活発にしていくよう考えた篠原氏が、町に要請して実現しました。

・昭和52年(1977年)第1回町民軟式テニス大会、第1回町民バトミントン大会、第1回6人制バレーボール大会、第1回町民朝野球大会開幕
・昭和54年(1979年)第8回全道OB健康マラソン北竜大会、第1回北海道レディースマラソン北竜交流大会

昭和55年(1980年)北海道教育委員会より北竜町体育協会が「北海道スポーツ賞」受賞

昭和57年(1982年)文部大臣より北竜町体育協会が「社会体育優良団体」の表彰を受賞

・昭和57年(1982年)第1回北竜町宣言タイムマラソン大会、第1回全町ミニバレーボール大会
・平成 3年(1991年)北竜町開基100年記念事業として母校交流マラソン(本埜村〜北竜町、8月31日〜9月2日、8名参加)、炬火リレー(砂川空知大橋〜開拓の碑〜100年記念式典会場)。
・平成 6年(1994年)第22回ホノルルマラソン大会参加
・平成 7年(1995年)篠原常夫氏「北海道スポーツ賞」受賞
・平成14年(2002年)第1回町民パークゴルフ大会
・平成15年(2003年)体育協会創立50周年記念事業講演会「喜びを力に、メダリスト有森裕子氏」


「第8回全道OB健康マラソン大会」in 北竜町

昭和54年(1979年)に実施された「第8回全道OB健康マラソン大会」は、北竜町で開催されました。高齢者マラソンです。

小さな町・北竜町での大会実施は初めてであり、町内には旅館が1軒しかなかったので、参加者の宿泊先として民泊を企画。長生会の会員の方々のご協力を得て実行されました。

前夜祭では、北竜町婦人300人による花笠パレード・豊年盆踊りを披露し、参加者を歓迎。選手男女30人にランナーの聖火による点火、花火、太鼓の乱れ打ちが披露されました。

当日の大会は、300人近い参加者により盛大に実施されました。競技後の表彰式では、多くの方々に様々な賞が授与されました。またアトラクションでは、自衛隊音楽隊の演奏や地元北竜町婦人会の皆さんの舞踊が披露。北竜町婦人連役員の皆さんにお手伝いのもと、テーブルには、北竜町産の農産物(スイートコーン、馬鈴薯、枝豆、西瓜)など、あたたかい真心のこもったお料理が並びました。


篠原常夫氏 
篠原常夫氏


スポーツを通じて培われた、北竜町民の一致団結力

北竜町で実施された様々な大会では、体育協会に関係する役員皆さん(役場職員、学校教師、商工会、土地改良区などスポーツをする人達)が総出で、事務局を運営しました。関係者がまとまって、大会の準備・進行に取り組んだので、全体としてとてもスムーズに実施されました。

町民が一致団結して、スポーツ大会を盛り上げていくという精神が、歴代培われてきているのが北竜町なのです。


篠原氏談:北竜町は元気で楽しい素晴らしい町

「人生の心情は、『やる気』『勇気』『元気』の3つの気!!!
大切なのは、仲間づくりだと思ってます。胸襟を開いて、食事会・飲み会をすることを通じて、仲間づくりをするが大事。胸襟を開くことが基本です。

指導者になるには、まず、やる気。メンバーにやる気を起こさせるためにも、まず自分が率先してやらなきゃいかん。憎まれてもいいから、自分に信念を持って率先してやる。それが基本だと思うね。私の人生の心情は、『やる気』『勇気』『元気』。この3つの気があれば、人生を充実しておくれると思います。

人生には、自分の考えとは違う人が必ずいます。それでも、胸襟を開いて心を交わしていくと、そこに何か共通するものが存在するものです。

北竜町は、人の和の精神が存在する、素晴らしい町です。みんながひとつになって行動を起こす町です。人口が減少して淋しくはなってきていますが、この町は、『元気で楽しい町』だと感じています。しょぼんとしていないですね。
若者は、将来に向かい、信念をもって目的にぶつかっていく、強い精神を持ち続けて進んでほしいと思います。やる気を信念を捨てたら、人生終わりです。

私ひとりでは何もできない。それを、皆が一緒に誠意を尽くしてやってくれました。文句ひとつ言わずに実行してくれました」と力強く語ってくださった篠原氏です。


テーブルを飾る生花 
テーブルを飾る生花


篠原常夫氏・表彰歴

・昭和43年(1968年)11月:北海道国民健康保険団体連合会表彰(国保運営委員としての保健事業功績)
・昭和45年(1970年)10月:北海道国民健康保険団体連合会表彰(国保事業並びに公衆衛生事業功績)
・昭和48年(1973年)11月:北竜町長表彰(町表彰条例に基づく表彰)
・昭和50年(1975年) 5月:空知管内体育指導員連絡協議会表彰
・昭和51年(1976年) 7月:北海道父母と先生の会連絡会表彰
・昭和56年(1981年)11月:空知管内教育実践表彰(社会教育功労)
・昭和57年(1982年) 9月:財団法人北海道体育協会表彰(地域の社会体育向上発展の功績)
・昭和57年(1982年)10月:日本歯科医師会表彰(歯科保健の普及発展に寄与した功績)
・昭和59年(1984年) 3月:空知管内体育協会連絡協議会表彰(空知管内のスポーツ普及発展に尽力)
・平成 2年(1990年)10月:財団法人北海道学校保健会表彰(学校歯科保健功労)
・平成 4年(1992年)10月:北海道知事表彰(社会貢献賞・地域医療功労賞)
・平成 5年(1993年) 2月:読売新聞社表彰(医療功労賞)
             11月:厚生大臣表彰(歯科保健事業功労)
・平成 7年(1995年) 7月:北竜町体育協会功労賞
            10月:財団法人北海道体育協会スポーツ少年団本部長表彰(スポーツ少年団の健全育成功績)
             11月:北海道スポーツ賞(スポーツの振興に寄与した功績)
・平成11年(1999年)11月:北海道歯科医師会長表彰(北海道歯科医師会発展に尽力された功績)
・平成13年(2001年)10月:北海道知事表彰(社会貢献賞・国保運営委員功労者)
・平成14年(2002年) 5月:北竜町開基110年特別功労者表彰(町政の振興と住民福祉向上に尽力)
・平成16年(2004年)10月:厚生労働大臣表彰(国保運営委員功労)
・平成17年(2005年)11月3日:旭日双光章受章(厚生労働省・保健衛生功労)


篠原常夫氏・旭日双光章受賞祝賀会(平成17年12月3日)パンフレットより 
篠原常夫氏・旭日双光章受賞祝賀会(平成17年12月3日)パンフレットより


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「やる気」「勇気」「元気」の精神をもって、
北竜町のスポーツを盛り上げ、若者たちを元気にし、
町を活気づけてくださった篠原氏の偉大なるご功績に、
限りない尊敬と感謝と祈りをこめて。。。


サンフラワーパーク北竜温泉 
サンフラワーパーク北竜温泉


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◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子