文化・活動
第37回元旦マラソン2020・祈願「豊作・交通安全・無災害・家内安全」
2020年1月4日(土)
令和二年(2020年)の元旦を迎えました。2020年は、オリンピックイヤー、閏年、そして庚子(かのえ・ね)年です。今年の子年は、十二支のスタートであり、発展と繁栄の年と言われています。
▶ 真竜神社参拝・元気に元旦マラソン
降りしきる雪の中、今年も元旦の朝、気を引き締めて真竜神社参拝、そして、元気に元旦マラソンからスタートです。
▶ 真竜神社参拝朝7時、30名程の町民の方々が真竜神社に集合し、「豊作・交通安全・無災害・家内安全」を祈願し参拝します。
▶ 元旦マラソン参拝後、北竜消防庁舎の前に集合し、皆で「交通安全」の黄色のたすきをかけて、一斉にスタート!
1km、3km・5kmのコースを、体調に合わせゆっくりと走り抜けていきます。交通安全のためのパトカー伴走は、和駐在所・富所秀樹 所長、碧水駐在所・伊藤敦所長。
今年は、北海道新聞社深川支局・矢野旦記者をはじめ、お父さん、お母さんと一緒に小学生の子どもたちの参加もありました。
▶ 元旦マラソン新年会
気持ちのよい汗をかいた後は、公民館講堂にて新年会です。講堂内中央に供えられた鏡餅は、北竜消防連合消防後援会・藤井利昭 会長が栽培されたもち米をが奉納されたものです。
▶ お母さんたちにより準備された「お雑煮」お母さんたちにより準備された「お雑煮」は、サンフラワーパーク北竜温レストラン「風車」提供。丸餅は、(有)ひまわり農産の生産によるお餅「田からもち」です。
▶ 司会:JAきたそらち北竜支所・星野忠雄 支所長
▶ 主催者挨拶:北竜町体育協会・澤田正人 会長
「新年明けましておめでとうございます。今日は、猛吹雪という予報がでてましたので、心配しておりましたが、穏やかなお正月を迎えることができました。 ▶ 主催者挨拶:JAきたそらち・北清裕邦 北竜地区代表理事
「明けましておめでとうござます。本年もどうぞ宜しくお願いいたします。今年は、子年ということで、十二支で言えば、スタートの年です。 ▶ 北竜町・佐野豊 町長
「皆さん、おめでとうございます。穏やかな元旦マラソンとなりました。真竜神社にお願いしたことは、今年も太陽を味方にして、美味しいお米が沢山とれること。そして町民の皆さんが、幸せな年となりようにと参拝いたしました。 ▶ 乾杯のご発声:北竜消防連合消防後援会・藤井利昭 会長
毎年立派な鏡餅を奉納していただいている藤井会長です。「皆様のご健康を願って乾杯!!!」
▶ 締めの乾杯!
北竜町集落支援員・寺内昇さん。何故か初めての突然のご指名に戸惑う昇さん!
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隈研吾氏設計「北竜町立やわら保育園」の建設工事検定 実施、2020年4月開園
2019年12月27日(金)
12月25日(水)、「北竜町立やわら保育園」建設完了(12月20日)後、佐野豊町長をはじめとする関係者立ち合いのもと、建設工事検定が実施されました。
▶ 隈研吾氏の設計による北竜町立やわら保育園
来年2020年4月に開園する「北竜町立やわら保育園」の設計は、2020年東京オリンピック・新国立競技場の設計者・隈研吾(くま けんご)氏によるものです。
▶ 北竜町産のカラマツ材を使用内外壁には、北竜町産のカラマツがふんだんに使われています。各部屋の壁には、木材の扉の収納ボックスや木造ロッカーが設置されています。
▶ 北竜町立やわら保育園内の様子▶ 配置図
木造平屋建て790平方メートルの建物。中央に位置する吹き抜けホールを囲んで、0歳時から5歳児までの保育室5つを設置。各部屋名は、つくし(0歳〜1歳児)、ちゅうりっぷ(2歳児)、すみれ(3歳児)、さくら(4歳児)、ひまわり(5歳児)。約40名の園児を受け入れる予定とのことです。
▶ ホールの天井照明「ひまわり染め」カバー
ホールの天井照明カバーは、ひまわりを思わせる優しい黄色に染まる「ひまわり染め」の布が、花形のループを描き、明るい空間を演出しています。「ひまわり染め」には、町民のお母さん達が今年の夏に採取したひまわりの花びらが使われています。
天窓から日の光が差し込み、太陽の光に透けるひまわりの花びらのような優しさとあたたかさが感じられます。
▶ 施設のサインはデザイナー・梅原真氏 作成施設内のサインの色とりどりの柔らかな文字は、デザイナー・梅原真(うめばら まこと)氏によるものです。
▶ 窓ガラスに北竜町ロゴマークのギンガムチェック窓ガラスには、デザイナー・梅原真氏がデザインされた北竜町ロゴマークのギンガムチェックのデザインが描かれています。庭への出口には、足洗い場が設置されています。
▶ 大きなガラス窓から降り注ぐあたたかな光部屋の大きなガラス窓から、降り注ぐあたたかな光。。。レースカーテン、遮光カーテンが設置されるとのことです。
▶ 柔らかなLED照明(電灯色)部屋の天井照明もシンプルで柔らかなLED照明(電灯色)になっています。
▶ 絵本部屋コーナーエントランスホールに設置された絵本部屋コーナーには、壁ぎわに本棚、そして自由に使える机台が設置されています。
▶ 落書き用ホワイトボード部屋の壁には、落書き用ホワイトボードが設置。専用マーカーペンで自由にお絵かきできます。
▶ ボルダリングコーナーひまわり部屋(5歳児)の前の壁には、色とりどりのかわいいボルダリングコーナーが! 壁の前には厚いクッションを設置するとのことです。
▶ ホール内に設置された舞台コーナーホール内に設置された舞台コーナー、道具収納も充実!
▶ キッチン
▶ 年齢に応じた小さなかわいいトイレ年齢に応じた小さなかわいいトイレは、3ヶ所(大人用含め)設置。
▶ 水道・手洗い、おむつ交換台、洗濯機置き場
▶ 冷暖房には地中熱利用ヒートポンプシステムを導入冷暖房には、地中熱利用ヒートポンプシステムを導入。省エネを図り、CO2排出を削減するクリーンエネルギーの積極的な利用を目指しています。
▶ 検定最後に佐野豊 町長のごあいさつ
「北竜町の『やわら保育園』は新国立競技場を設計された隈研吾氏の設計によるものです。東京・新国立競技場の完成と同時期に完成を迎えられたことに、感激しています。
ひまわりのように、明るくて温かみのある空間に、にこにこ笑顔が広がり、
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世界ジュニアBカーリング選手権大会に北竜町教育委員会・清水野梨希さん出場
2019年12月27日(金)
この度、世界ジュニアBカーリング選手権大会がフィンランドのロホヤにて開催され、札幌国際大学チームの一員として、北竜町教育委員会職員である清水野梨希(しみずの りんき)さんが選手権に出場されました。
▶ 清水野梨希(しみずの りんき)さん清水野梨希(りんき)さんは、1999年(平成11年)生まれの20歳、妹背牛町出身。 ▶ カーリングファミリー
「母親がカーリングをやっていたので、私は小さい頃から母について、妹背牛町のカーリングホールに行っていました。最初に兄が始めたので、一緒のチームで小学校5年生頃からやりはじめました。兄が大学に入る前、私が高校2年生まで、ずっと一緒のチームでやってました。 ▶ 兄と一緒のカーリングチーム
最初のチームは、兄と兄の友達2人、私と私の友達との5人のチームでやっていました。大会に出場するようになると、専属の土田コーチ(妹背牛町)の指導を受けながら練習を重ねてました。 ▶ カーリングチーム「絆そらぷち」その頃から、小さい頃から大会など出ていたチーム『絆そらぷち』に参加して一緒にやることになりました。私と同級生2人と1歳年下の仲間の4人でチームを組んで練習し大会に参加していました。その後、私以外の3人は札幌国際大学に入学。私は、特別に『札幌国際大学』のメンバーとして参加することとなりました。
▶ 世界ジュニアBカーリング選手権大会
世界ジュニアBカーリング選手権は、世界カーリング連盟が主催するカーリングの21日歳未満の選手による世界選手権大会です。 ▶ 第28回日本ジュニア選手権大会で私達「札幌国際大学」チームが優勝今回、11月に妹背牛町カーリングホールで開催された、第28回日本ジュニア選手権大会で、私も所属している『札幌国際大学』チームが優勝を獲得し、フィンランド・ロホヤでの世界ジュニアBカーリング選手権の参加資格を得ることができました。
▶ 清水野梨希さんとカーリング▶ カーリングの練習小さい頃から、カーリングをする母の姿を見ていましたし、小学校5年生から本格的に兄と一緒にやっていて、10年程ずっと続けています。 ▶ カーリングの魅力
私がはじめた頃は、カーリングは、あまり知られていないマイナーなスポーツでした。年を重ねるごとに、ルールも新しくなっていき、最近では、世界選手権大会参加などで認知されるようになってきました。 ▶ カーリングの難しい点
身体の成長に合わせて、フォームを改善し、変化させていかなければならないところが難しいです。これまでは、一定の形でずっとプレーしていたのですが、最近そのフォームを変化させる時期にきていて、今、研究中です。 ▶ 意識と体調維持の難しさ今回の選手権大会では、清水野さんはフィフス(補欠選手)という立場で参加し、クロアチア戦に出場しました。
▶ 北竜町教育委員会の仕事が終了後、毎日練習
妹背牛町カーリングホールにて、北竜町教育委員会の仕事が終了後、基本的に夜の7時〜9時までの2時間、ほぼ毎日練習しています。普段は一人でやっていますが、妹背牛町の地元の団体と一緒に練習することもあります。
▶ 就職先について
札幌国際大学からの推薦のお話もありましたが、父親が妹背牛町の役場勤務という影響もあり、公務員になることを考えていました。大学卒業後より、高卒後すぐにカーリングに専念した方がいいかな思い、就職を決意しました。
▶ 海外遠征(フィンランド)について
フィンランドでの試合は、チームとしては4回目です。私は2年前に行ったのが初めてでした。フィンランドは、カーリングホールと宿泊場所が隣接していて、徒歩5分の距離に位置しています。食事場所やトレーニングジムも隣接していて施設環境が整っています。車移動もなく全て歩いていける距離にあります。
▶ 将来の夢はオリンピック出場!
「将来の夢はオリンピック出場です! まずは、来年世界選手権出場を目指し、長期の目標としては、オリンピックメダル獲得までいきたいと思います!」と、力強く語ってくださった清水野さんです。
氷上のチェストも呼ばれるウインタースポーツ「カーリング」、
▶ 関連サイト
◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子 |
クリスマスイベント初開催@お食事処向日葵(北竜町)
2019年12月25日(水) 12月21日(土)16:00〜、北竜町のお食事処向日葵にて、クリスマスイベントが開催されました。今年1周年を迎えたお食事処向日葵にとって初のクリスマスイベントです。
店内の壁には、皆さんの真心のこもった折り紙の輪飾りが彩られ、あちこちにクリスマス飾りがセットされていました。
お店の中央のテーブルには、色とりどりの美味しいお料理がいっぱい!!!
子どもたちが大喜びのたこ焼き、鶏・海老フライ、ポテトフライ、トマトピザ、カプレーゼ、海老マヨサラダ、ちらしの押し寿司、牛肉ロール、和風きのこパスタ、お刺身の盛り合わせ、カルパチョ、たらこのシーフードグラタン、砂肝のアヒージョ、ドーナツ、ぶどうセリー、プリン、ベリーケーキなどの美味しいものが食べ放題!さらに、アルコールもソフトドリンクも飲み放題!
▶ 佐藤光男オーナーのお話
「いままでサンフラワーパーク北竜温泉で開催されていたクリスマスバイキングが開催されなくなったので、なんとか子供も大人も楽しめる会を復活したいなぁと思いチャレンジしてみました。
帰りには、くじ引きでお土産ゲット! ラップとティッシュが当たりました! ありがとうございました!
美味しいお料理と楽しいひとときに、みんなの素敵な笑顔繋ぐ、
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◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子 |
クリスマスの飾り作り・コスモスクラブ年間行事12月編
2019年12月23日(月)
北竜町社会福祉協議会(竹林均 会長)が実施している、高齢者サポート事業の一貫で「コスモスクラブ」の12月行事「クリスマスの飾り作り」が行われました。
▶ コスモスクラブとは
コスモスクラブとは、介護保険の事業対象者(介護認定を受けていなくても、少しだけお手伝いが必要な方)、要支援1、要支援2の方々を対象に、介護予防事業として行われるものです。会員数は現在24名。
▶ ホームペルパー・村井恵さん(介護福祉士)のお話担当されているホームペルパー・村井恵さん(介護福祉士)のお話です。
「高齢者に工作レクを行っている理由としては、工作レクではたくさんの指先を使うからです。指先にはたくさんの神経が集まっています。また、沢山の事を同時に考えることで、脳の活性化を促し、認知予防にもなります。さらに、手の機能訓練として指のリハビリに繋がります。
真心こもった、素敵な楽しいクリスマス飾りに、
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◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子 |
北竜町は元気で素晴らしい町・北竜町体育協会の歩みを語り合う
2019年12月20日(金)
12月9日(月)、サンフラワー北竜温泉会議室にて、篠原常夫氏(90)を囲んで、田中盛亮氏(82)と黄倉良二氏(80)の3人で、北竜町体育協会の歩みについての座談会が行われました。
▶ 篠原常夫氏プロフィール
・昭和 4年(1929年)生まれ90歳、岩見沢出身
「祖父は、明治26年(1893年)千葉からの吉植庄一郎氏率いる開拓団の一員として、倍本社地区に入り開拓の鍬をおろしました。父親は、農業を継いで営んでいましたが、身体が弱くて、母親の親戚が九州で営む時計店に修行に出ました。その後、叔父の薦めで岩見沢に時計店を開業しました。私は岩見沢で生まれ、小学校1年のときに北竜町和に転入しました」と、篠原氏。
▶ 少年・学生時代
▶ 少年時代● 篠原氏:私の少年時代は、戦時ばかりでした。支那事変、日中戦争(1937年〜1945年)、太平洋戦争(1941年〜1945年)の戦時中で、中学に入った頃に戦争がはじまっていました。当時は、食糧難で、何から何まで配給でした。 ▶ 中学時代● 篠原氏: 中学校への通学は、和駅から札沼線〜留萌線と乗り継いで深川までの1時間の列車通学。朝6時に家を出て、夕方6時頃帰宅。母親が、朝4時に起きて朝食と弁当を作るのが大変な時代でした。 ▶ 日本歯科大学時代(東京都千代田区富士見・JR飯田橋駅)● 篠原氏:昭和20年(1945年)に終戦を迎え、私が東京に行ったのが昭和22年(1947年)の春でした。東京は、戦後の焼け野原が多く、惨憺たるものでした。上野駅には、浮浪児がウヨウヨ数え切れないほどいて、虱とりをしていました。 ▶ 大学卒業後すぐの昭和29年に結婚
▶ 北竜町へ帰郷● 篠原氏:本当は東京で歯科医院をやりたかったのですが、当時町で開業していた歯科医師が滝川市に移転し、北竜町に歯科医師がいなくなってしまいました。そこで両親から「町の人が困っているので是非帰ってきて欲しい」と切願されました。 ▶ 篠原歯科開業当時● 篠原氏:帰郷した当時は、むし歯を抱えた町民が多く、毎日治療を受ける人々の列が耐えなかったほどです。昭和35年(1960年)くらいからさらに患者数が増加。戦時中、口にできなかった甘いものが、戦後、自由に取れるようになったため、むし歯が急激に増えたと思われます。一時は、診療所の開院前から多くの人々が院の外で並んで待っていました。
▶ 鼓笛隊編成(昭和35年・1960年頃)
篠原氏の声掛けにより、小学校の鼓笛隊が結成。編成における楽器一式を篠原氏が寄付されました。毎年6月に開催される旭川市の北海道護国神社のお祭りに参加することを目的としました。護国神社お祭り前夜は、町の街灯行進が実施。その後毎年、真竜小学校の鼓笛隊として護国神社祭りに参加していました。 ▶ 数々の公職
・北竜町体育指導委員:昭和43年〜49年
▶ 日本むし歯予防フッ素推進活動
・日本むし歯予防フッ素推進会議副会長:昭和53年(1978年)〜昭和62年(1987年)
▶ 田中氏・黄倉氏の篠原氏との出逢い▶ 篠原常夫 氏 談「様々なことを相談するのは、田中さんや黄倉さんでした。二人に相談すると真剣に相談に乗ってくれて、必ず実行に移してくれました。とても頼りになる二人です」。
▶ 田中盛亮 氏 談
「篠原先生とは、北竜町体育協会で出会いました。
篠原先生は、東京から帰郷してすぐに、町のスキー部を設立されました。その頃、北竜町青年団のスポーツが強くなり、全道出場するなど、盛んに行われていました。私も中心になって大会などに参加していたので、体育協会の役員に任命されたことが、篠原先生との出逢いです。その後、PTAにも引っ張り出され、篠原先生のご指導の元、活動を続けていました。 ▶ 黄倉良二 氏 談
「家内の実家が、篠原先生と縁戚になります。そして私が小学校の時、篠原先生の妹さん(篠原慶子先生)が先生で、学校で勉強を教わっていました。
▶ 活気に溢れた北竜町体育協会
・昭和29年(1954年)北竜村体育連盟設立、第1回村民懇親体育大会 ▶ 昭和42年(1967年)北竜町が「スポーツの町」宣言第一号スポーツの町宣言は「苫小牧市」。昭和41年11月12日に、苫小牧市が全国で初めてスポーツ都市宣言を実施。翌年、北竜町も「スポーツの町」宣言を行う。
・昭和42年(1967年)第1回町民卓球大会、第1回町民スキー大会、第1回北竜町陸上選手権大会、碧水スキー場設置、北竜町立水泳プール設置(和)、バレー・スキー・剣道を町技に指定 ▶ 昭和51年(1976年)北竜町農村環境改善センター落成
北竜町農村環境改善センター設立は、「スポーツの町」にふさわしい町づくりが必要だと考え、スポーツの拠点としての体育館を設置し、指導者を養成してスポーツを活発にしていくよう考えた篠原氏が、町に要請して実現しました。 ▶ 昭和55年(1980年)北海道教育委員会より北竜町体育協会が「北海道スポーツ賞」受賞▶ 昭和57年(1982年)文部大臣より北竜町体育協会が「社会体育優良団体」の表彰を受賞
・昭和57年(1982年)第1回北竜町宣言タイムマラソン大会、第1回全町ミニバレーボール大会
▶ 「第8回全道OB健康マラソン大会」in 北竜町昭和54年(1979年)に実施された「第8回全道OB健康マラソン大会」は、北竜町で開催されました。高齢者マラソンです。
▶ スポーツを通じて培われた、北竜町民の一致団結力
北竜町で実施された様々な大会では、体育協会に関係する役員皆さん(役場職員、学校教師、商工会、土地改良区などスポーツをする人達)が総出で、事務局を運営しました。関係者がまとまって、大会の準備・進行に取り組んだので、全体としてとてもスムーズに実施されました。
▶ 篠原氏談:北竜町は元気で楽しい素晴らしい町
「人生の心情は、『やる気』『勇気』『元気』の3つの気!!!
▶ 篠原常夫氏・表彰歴
・昭和43年(1968年)11月:北海道国民健康保険団体連合会表彰(国保運営委員としての保健事業功績)
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
「やる気」「勇気」「元気」の精神をもって、
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◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子 |
520回目の講演会「食べものはいのち/命・食糧・環境・暮らし/を守り育む北竜町」黄倉良二氏@ひまわり大学(北竜町)
2019年12月16日(月) 12月5日(木)、北竜町ひまわり大学講座にて、「『食べものはいのち』『命・食糧・環境・暮らし』を守り育む北竜町」と題して、黄倉良二氏(元北空知農業協同組合・代表理事組合長)による講演会が開催されました。
講演会に先駆け、黄倉良二氏にとって、今回520回目にあたるひまわり大学での講演会が、最後になることをお話されました。
▶ 講演会を最後にするきっかけとなった友人「渡辺要二さんの死」について
「今年、3月14日に逝去された渡邊要二さんは、私にとって、北竜中学校が一緒で、ずっと友達でした。力強い方で、いろんな事を教えていただきました。渡邊さんは、板谷地区にきて50年。板谷の人口110人の内、同級生が6人います。
▶ 講座のレジメ・資料
▶ 520回目の講演会「食べものはいのち(生命)」
「私は、昭和47年(1972年)から、後藤亨さんと二人で自然農法(農薬防除をしない。除草剤を使わない。化学肥料を使わない)の実験を、後藤三男八さんのご指導の元、はじめました。 ▶ 谷本明さんのお言葉「真夏の太陽に向かって、美しく力強く咲き誇るひまわり」
講演会の冒頭には常に『真夏の太陽に向かって、美しく力強く咲き誇るひまわりの町・北竜町』という谷本明さんの言葉を、許可を得て使わせていただいております。
▶ 数え年81歳の私の生い立ち
私は、昭和14年(1939年)6月1日生まれです。数えで81歳です。何故、数えで歳を言うかと申しますと、平成2年(1990年)、北竜農協の専務を拝命したときのことです。
▶ 人生の大きな基点となる年・昭和29年(1954年)15歳昭和29年(1954年)は、私の人生の中でも、大きな基点となる出来事が怒涛のごとく重なった年となりました。洞爺丸台風にはじまり、中学校の全校弁論大会、父からの言付けと杉本さんの助け、代表監事から離農の勧告などです。 ▶ 3月:洞爺丸台風(青函連絡船「洞爺丸」遭難)・3月:洞爺丸台風(青函連絡船「洞爺丸」遭難)の年であり、3月1日におきたアメリカのビキニ環礁での水爆実験の事件をきっかけに、核兵器の恐ろしさが広そ知られ、全国で原水爆禁止運動の機運が高まった時代でした。 ▶ 9月:中学校の全校弁論大会
9月、北竜中学校で全校弁論大会が実施され、各学年1名ずつ参加しました。当時、担任の金山先生に『私にやらせてください』と志願。『二度と繰り返すな原爆の悲劇』というタイトルで、ビキニ環礁での水爆実験で、マグロ漁船の第五福竜丸が死の灰を浴びたことに衝撃を受け、その事についてにスピーチしたいという想いがありました。 ▶11月:父からの言付け「農協でえん麦3俵買ってこい!」
当時の農業は、馬そりの時代。冬の間、馬が脚気にならないための馬の餌であった『えん麦』を農協に買いに行けと、父から言付かりました。 ▶ 馬喰の杉本さんに助けられた馬の餌
泣きながら、空の馬橇を引いて家に帰ると、隣に住んでいた馬喰の杉本清松さんが、そんな様子を見守ってくれていて、『良ちゃん、ちょっと待て! 納屋に穴を掘れ』と言いました。 ▶12月:『良ちゃんが農家を継いでくれなければ、死ぬしかない』という母の言葉で就農を決意
父親が、北竜農協理事から『保証人の判を押す人がいないので、辞めてくれないか』との離農勧告を受けました。当時、黄倉家は10人家族。
▶ 借金を返すための青春時代
・中学1年生から半農で、学びながら農業
▶ 後藤三男八氏の教え
・昭和47年(1972年)11月2日、当時北竜農協の組合長だった後藤三男八氏に呼ばれ、『私は昭和48年4月の定例総会で退任する。後任には、中村利弘君(家族経営の農業、大工仕事、そして俳句の世界では日本を代表する文化人)を推奨する。しかし、後任に若い人達をという声もあるので、もし選ばれたら、3つのことを守れ。守れなかったら止めれ。
▶ 北海道自然農法の先達・佐藤晃明さんの言葉「農業は、安全な食べものを生産すること」
自然農法を実施するにあたり、北海道自然農法の先達・佐藤晃明さんの農場(当別町)に研修に訪問。
▶ 「命・食糧・環境・暮らし」を守り育むことが農協の原点
1.この世で最も大切なもの、それはいのち(命)
▶ 天に感謝し、安全な食糧生産を持続する品質管理
・山と木と緑を守り、力のある豊かな水を確保すること
▶ 黄倉組合長として取り組んだ低温倉庫建設
当時、農協広域合併に向けて、米15万俵を保管・管理するための低温倉庫建設の取り組みが必要でした。
▶ 後藤さんの言葉「我慢することは、恥ずかしいことではない。倒れることが一番恥ずかしいことだ」
20歳で消防団員になり、火事になったとき、自転車で駆けつけていました。父親が、バイクを与えることを後藤組合長に懇願。
▶ 気候変動現象「天が怒り地が叫ぶ」
・COP25(第25回国連気候変動枠組み条約締約国会議):気候変動問題における国連会合 ▶ 経済企画庁宣言(1992年1月)
持続可能な発展を目指すものとして、 ▶ 環境庁長官宣言(1992年2月)
・地球規模での環境の恩恵は人類共有の財産 ▶ 地球サミット:外務省「国連環境開発会議@リオデジャネイロ(1992年6月)
・172か国に政府代表が参加
▶ 平成2年(1990年)国民の命と健康を守る安全な食糧生産宣言▶ 森正一元北竜町長の偉大なる功績
1.恵岱別ダムを造る
▶ 北竜町農業委員会憲章(平成2年10月26日)澤田隆司会長「農業委員会」は、土と自然と緑を育み、そして豊かな水を確保し、わが郷土に夢と希望のもてる生産性の高い「人間の安全な食糧を生産する」農業の育成に努めます」と宣言。この憲章は、全国で北竜町だけです。 ▶ 北竜土地改良区「豊かな環境 稔りの農村」宣言(平成2年11月22日)
「土地改良区は、自然と緑を育み、そしてきれいな水を確保し、安全な農産物生産に努めます。土地改良区 理事長 南波彰
▶ 本物とは、後味が良い、潔い、卑しくない
沖ヨガの内山英郎氏のお言葉『本物とは、後味が良い、潔い、卑しくない』。内山氏は、自ら有機農業をやりたいという志をもって、北竜町に何度も訪問。何度も杯を交わしながら、お話をした方です。
▶ 真の豊かさ、真の幸せを目指して
本当の豊かさとは、飢えのないこと、健康であること、安全に暮らせることに尽きます。この3つには、心と身体と社会の飢え、心と身体と社会の健康、心と身体と社会の安全であることが表されています。
「食べものはいのち(命)」の魂が宿る、
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・中村利弘氏「旭日単光章」受章祝賀会・議会OB会、板谷町内会、俳句「道」北竜支部が発起人となって祝う(2019年5月8日)
・松田耕一氏・平成30年秋の褒章「藍綬褒章」受賞祝賀会の開催・小中学校同級生・板谷町内会が中心となって皆で祝う(2019年1月16日) ・第36回元旦マラソン2019・祈願「豊作・交通安全・無災害・家内安全」(2019年1月7日) ・第35回元旦マラソン2018・北竜町体育協会&JAきたそらち北竜支所の共催で開催決定(2017年12月25日) ・JAひまわり(愛知県豊川市)・JA愛知中央会(愛知県)とJAきたそらち北竜支所との交流(2017年8月7日) ・佐賀県と北海道・農業の魂の交流(JAさが・大島信之 専務来町)(2017年3月24日) ・第46回日本農業賞(集団組織の部)大賞受賞祝賀会(北竜町)皆で祝う(2017年3月23日) ・生活協同組合ナチュラルコープヨコハマ設立30周年記念講演会で黄倉良二氏ご講演(2016年8月1日) ・「北竜町の価値を求めて」黄倉良二さん講演会(北竜町役場職員研修)(2014年10月20日) ・「後藤三男八翁の教え」黄倉良二・合同自分史(北竜町文化連盟文集 第九集・2013年) ・「後藤三男八翁の横顔」黄倉良二・合同自分史(北竜町文化連盟文集 第九集・2013年) ・第19回農村交流ネット21北海道の集い in 北竜町 2013(2013年8月7日) ・PHP嚶鳴(おうめい)塾まちづくり特別セミナーの開催(2012年9月24日) ・第5回北海道地域創造フォーラム in 北竜「北海道・コメ・未来」の開催(2012年9月14日) ・「食べものはいのち(生命)」黄倉良二さん 農業の心を語る(2010年10月11日) <参考 Yourtube:岩本剛 氏(企画・撮影・編集)> ・<未来のために For the future> 北海道における有機農業の先駆者 黄倉良二(おおくらりょうじ)(2019年7月30日)
◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子 |
黒千石鍋焼きうどん@レストラン風車・サンフラワーパーク北竜温泉【北竜町の美味しいものご紹介!No.03】
2019年12月10日(火)
北竜町の美味しいものご紹介!サンフラワーパーク北竜温泉レストラン風車の「黒千石鍋焼きうどん」です。
▶ 関連記事
・手打ちそば&鶏照り焼き丼@お食事処向日葵【北竜町の美味しいものご紹介!No.01】(2019年12月2日)
・「黒千石大豆&燦燦ひまわり油&ドレッシング」ギフトセット【北竜町の美味しいものご紹介!No.02】(2019年12月5日)
◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子 |
「黒千石大豆&燦燦ひまわり油&ドレッシング」ギフトセット【北竜町の美味しいものご紹介!No.02】
2019年12月5日(木)
北竜町の美味しいものご紹介!シリーズ第2弾は、「黒千石大豆 & 燦燦ひまわり油 & ドレッシング」ギフトセット。 ▶ 「黒千石大豆 & 燦燦ひまわり油 & ドレッシング」ギフトセット
「黒千石豆ごはんセット」「黒千石きなこ」「そのままカリッと黒豆のお菓子」「燦燦ひまわり油」「黒千石&ひまわり油ドレシング」のギフトセットです。(税込3,000円) ▶ ご注文方法
ご注文は、申込書(サンフラワーパーク北竜温泉ショップにあり)にご記入の上、黒千石事業協同組合・FAX(0164−34−2388)または電話(0164−34−2388)へお申し込みください。
▶ ひまわり油黒千石ドレッシングセット「ひまわり油セット」、「ひまわり油黒千石ドレッシングセット」も発売中!
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・手打ちそば&鶏照り焼き丼@お食事処向日葵【北竜町の美味しいものご紹介!No.01】(2019年12月2日)
◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子 |
手打ちそば&鶏照り焼き丼@お食事処向日葵【北竜町の美味しいものご紹介!No.01】
2019年12月2日(月)
北竜町の美味しいものご紹介! 麺がラーメン「醤油・味噌・塩・辛味噌」or そば「かけ・ざる」をチョイス。ご飯ものは、「天丼・カツ丼・親子丼・鶏照り焼き丼・カレー」から好きなものを選択。 ポテトサラダ・トマト・キャベツなどのサラダ、漬物、薬味(ねぎ・わさび)、そば湯がセットになっています。
▶ ハーフセット:手打ちそば&鶏照り焼き丼
毎朝、 店主の佐藤光男さんが手打ちする「そば(北竜町産そば粉使用)」は、コシのあるキリリとした食感の美味しいお蕎麦!
ハーフセットは、その日の気分によって、ラーメンや丼物など、色々選べるお楽しみメニューです。是非、お試しください!!!
▶ 年末・年始のオードブル、予約受付中!締め切りは、12月10日頃まで。心のこもったオードブルです。
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◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子 |