生活協同組合ナチュラルコープヨコハマ設立30周年記念講演会で黄倉良二氏ご講演

2016/07/31 13:39 に 寺内昇 が投稿   [ 2016/08/01 0:04 に更新しました ]
2016年8月1日(月)

7月15日(金)、生活協同組合ナチュラルコープヨコハマ生産者業者協議会「萌の会」第15期通常総会開催並びに、設立30周年記念講演会&懇親会が、ホテルメルパルク横浜(横浜市)にて開催されました。


全員揃って記念撮影
全員揃って記念撮影


記念講演は、産消連携30年の今日的意義として「食べものはいのち(生命)」と題して、講師は北竜町の黄倉良二 氏(元JAきたそらち代表理事組合長)です。 1986年11月設立の生活協同組合ナチュラルコープヨコハマは、2016年の今年、30周年を迎えます。


メルパルク横浜(横浜市)
ホテルメルパルク横浜(横浜市)


「萌の会」第15期通常総会にあたり、藤澤雅人 氏(太陽油脂株式会社)の総合司会で開会。

「参加40メーカー様、委任状61メーカー様、合計101メーカー様、会員数168メーカー様に対し、過半数を超える数なので、総会が成立いたします。この数字は総会開始時の数なので、後ほど参加者の正確な数字を発表致します」と司会者・藤澤氏。


藤澤雅人 氏(太陽油脂株式会社)
司会・藤澤雅人 氏(太陽油脂株式会社)


そして議長は、冨田正和 氏(株式会社千葉産直サービス)が選出されました。


冨田正和 氏(株式会社千葉産直サービス)
冨田正和 氏(株式会社千葉産直サービス)


萌の会・大原好文 会長のご挨拶


萌の会・大原好文 会長
萌の会・大原好文 会長


「生産者業者協力会で1年間の取り組みを討議した結果、黒字や組合員数の増加は、組合委員の方々の努力、組織化拡大など、多くの努力が実ったものと思われます。余剰金が生み出されたことは、『萌の会』としてイベント参加協力活動の成果であることを皆様に対し感謝申し上げます。

生活協同組合ナチュラルコープヨコハマは、1986年(昭和61年)に設立されて、今年11月で30周年を迎えます。これからも、組合員方々へのサービスという形で、『萌の会』として、セール等に協力し、より一層ナチュラルコープの組合の活動がスムーズに動き、より多くの余剰金が成り立つよう協力していきたいと思います。

本日は、悪天候の中、大勢の方々にご出席頂き総会に望んで戴いたことを心より感謝申し上げます」。


総会模様
総会模様


来賓挨拶:ナチュラルコープヨコハマ・正司尚子 理事長


ナチュラルコープヨコハマ・正司尚子 理事長
ナチュラルコープヨコハマ・正司尚子 理事長


「本日は、第15回通常総会おめでとうございます。
ナチュラルコープヨコハマは、昨年度3期に亘り黒字決済で終わることができました。これも日頃優秀な商品を届けてくださる『萌の会』の皆様のお陰だと深く感謝しております。

先ほど大原会長からお話がありましたが、ナチュラルコープヨコハマは設立30周年を迎えます。この30周年を記念して、組合員に対して、更なる商品アピール、更なる運営拡大を目的としたイベントや、30周年企画商品を今準備し進めております。この1年間が次の40周年を見据えた更なる一歩となりますよう理事・職員一同頑張る所存です。『萌の会』の皆様のご協力宜しくお願い申し上げます」。


ナチュラルコープヨコハマ・結城真 専務理事

ナチュラルコープヨコハマ・結城真 専務理事より、ナチュラルコープヨコハマの現況及び本年度の方針についてのお話です。


ナチュラルコープヨコハマ・結城 専務理事
ナチュラルコープヨコハマ・結城真 専務理事


「本日は、足元の悪い中、お集まり戴き誠にありがとうございます。

ナチュラルコープヨコハマは、一歩ずつ着実に黒字経営を目指すことで3年間努力してまいりました。2015年度も、必ずしも大きいとは言えませんが黒字となりました。2011年・2012年の赤字で皆様にご迷惑をかけたことから、2013年より事業改革を行ったことにより、3期連続で黒字の安定経営をすることができました。これからも気を引き締めてナチュラルコープ理事として、組合員や生産者の皆様と協力しながら進めて参りたいと思います。

今年設立30周年を迎え、安全な商品と多くの生産者様のお陰で、ここまでたどり着くことができました。今後将来的なビジョン、安心して利用できる生協づくりを年頭に進めていくことができればと思います。

2015年度は黒字でしたが、供給高における苦戦を強いられた1年でした。
供給高につきまては、11億24万円となり、昨年の98.3%となりました。組合員の単価としては、101.3%で、一人あたりの量は上がっていますが、今後、より多く新しくご利用して戴ける組合員さんの増加に努めて参りたいと思います。

2016年度は、設立30周年を迎え、ひとつは食べもの、地域資源で地球を守る理念のもと事業を全うしてきたナチュラルコープは、この30周年を基に、皆様に引き続き愛して戴ける生協であることを目指します。
ふたつ目は、経営地盤を整え、メーカー者、生産者、組合員の皆様に安心して利用して戴ける生協を目指します。さらにナチュラルコープの将来性と発展性を示していこうと、これら3つの目標を掲げて取り組んでいきたいと思います。

様々な活動の中でも「硝酸態窒素」の検査を進めて参りました。今後もこうした検査を進めていくことを周知していただきたいと思います。
今後も生協が生協らしく様々な活動に取り組んでいけるよう進めていきたいと考えております。今日はありがとうございます」。


 活動報告・決算報告

・議長:冨田正和氏(株式会社千葉産直サービス 代表取締役社長)

・幹事の渡邊和彦 氏(農事組合法人 三芳村蛍まい研究会)により、第一議案・2015年度活動報告、第二議案・2015年度決算報告があり、承認されました。


渡邊和彦 氏(農事組合法人 三芳村蛍まい研究会)
渡邊和彦 氏(農事組合法人 三芳村蛍まい研究会)


監査報告

監査報告は、監事・小林亮 氏(株式会社おきたま興農舎)、監事・稲葉隆 氏(丸和食品株式会社)。


監事・小林亮 氏(株式会社おきたま興農舎)
監事・小林亮 氏(株式会社おきたま興農舎)


・監査報告に引き続き、小林亮 氏のお言葉

「平成5年の大凶作の時、生協さんのお米が足りなくなって、なんとかできないかということで話を持ちかけられ、生産者がもっている手持ちの飯米も削って生協にお出ししたのが取引のきっかけでした。

何故そんなことをしたのか、まだまだ他に欲しいと言ってくる所はありました。その頃は、売るに困ることはありませんでした。しかし、私達は生協にお出ししました。

それは、熱い想いからです。なんでも買える都会の中で、消費者自身がどんな思いをもってこの生協を立ち上げ、30年も苦労しながらルートを築きあげてきたのか。そこには、消費者の思いだけでなく、生産者としての思いがあるのです。
私達は住んでいる社会の矛盾や政治の仕組みを我慢しています。しかし、その矛盾を消費者や生産者の皆さんが、自分たちの主体的な努力で変えていきたいという圧倒的な熱い想いがあったのです。だから、生協を立ち上げたのです。

しかし、残念なことに、そのことが30年たって、実に薄くなってきた、実に希薄になってきた。そして権力者の思いをそのまま許してきてしまっている。そのことが、今回の3分の2を超えた参議院選の与党の代表戦の結果だったのかなと無念でたまらない想いでいっぱいです。

この30年間、私達は40年以上産直を続けて参りましたが、その頃は、都会も圧倒的に野党が強かったし、新しい時代がくるという期待がありました。そして農村に住んでいる私達は、農村が都会に呼応しない旧態依然した考えでいるから、日本の政治がよくならない、という負の気持ちをなんとか無くしたい。地域の中で、いろんな消費者の皆さんからのご指導を受けたり、あるいは知識人の影響を受けたり、そのことで実質的な自立を図りたい、そう思いました。それが生協の2度の大きな盛り上がりになったり、あるいは、全国各地で立ち上がった生産者の産直運動の根源でもありました。

その成果が30年経って、いかなるものになっているのか、正真正銘の道半ばです。志は間違っていないので、もう一度気合いを入れ直して、産直が何を意味するのか、生協が何を根底として立ち上がり今まで生きながらえてきたのか、じっくりと考える時です。

今回の参議院選では、命をかけて取り組みました。仲間を結集して、20戸単位で選挙対策委員を立てて、県下全域で60%の支持率を集めました。今回は12万票差で勝利を納めました。やれば出来るということを肝に命じて、実践しなくてはなりません。

生協の活動・運営において、志を貫くことこそが結果に繋がることだと思います。次の世代を担う新たな社会を作られることを祈念致します」。


活動方針・予算

・引き続き、幹事・西川聡 氏(千葉北部酪農農業協同組合)より、第三号議案「2016年度活動方針・予算決定の件」、第四号議案「慶弔規定について」の報告があり承認されました。第五号議案「役員改選」が決定し閉会となりました。


西川聡 氏(千葉北部酪農農業協同組合)
西川聡 氏(千葉北部酪農農業協同組合)


生活協同組合ナチュラルコープヨコハマ設立30周年記念講演会

・黄倉良二 氏(元JAきたそらち代表理事組合長)による「食べものはいのち(生命)」


ひまわりの紙バッグを並べての講演模様
ひまわりの紙バッグを並べての講演模様


ナチュラルコープヨコハマ共同購入部・豊田己津男 部長より、黄倉氏の紹介がありました。


ナチュラルコープヨコハマ共同購入部・豊田己津男 部長
ナチュラルコープヨコハマ共同購入部・豊田己津男 部長


「北竜町は、札幌から120km程北部に位置し、有機農法で知らない人はいないほどで、国内外から見学に来るような町です。2,000人位の小さな町で、世帯数約800世帯。ほとんど専業農家を営んでいます。

黄倉さんは、長年、北空知の農協で頑張ってきた方です。現在は息子さんが農家を継ぎ、黄倉さんは辻説法をして日本各地を巡っています。お話の内容は、『有機農法とは何か、農業保全型環境』ついてのお話です。
黄倉さんによると、北竜町は、『スキー場もない、ゴルフ場もない、工場もない、何もない町』であり、農薬の空中散布もしないというこだわりの強い農村地帯です。
黄倉さんは、ホクレンともガッツリと四ツに組んで頑張っていらっしゃった方です。お配りした資料とともにじっくりと黄倉さんのお話をお聞きください」。

黄倉良二 氏の講演


黄倉良二氏(元JAきたそらち代表理事組合長)
黄倉良二氏(元JAきたそらち代表理事組合長)


「北竜町は、日本一のひまわりの里です。この袋は、30年前、商工会で作って頂いた手提げ紙袋(ひまわりの絵が描かれたもの)です。今回役場で新しい袋を作っていただきました。私は、JAをやめて10年ですが、講演会の時はこの袋を持ち歩いて北竜町のひまわりをアピールしています。


北竜町のひまわりをアピール
北竜町のひまわりをアピール


生活共同体の基本は、目的をしっかりと示すことです。

昨日は、北海道生産者総会『大地を守る会』が北海道の長沼町で開催され、2時間の講演を終えてきました。
『年寄りがきちんと生きて、その生き様を伝えている』ということを実感しています。仕掛け人は小林亮さんです。
私は百姓をやって65年目。自然農法・有機農法で44年目。65年間百姓をやれることは凄いことです。

私のことですが、昭和27年、次男の私が中学2年の時に、12人家族の家が倒産しました。長男は、農業は自分の仕事ではないと上京。その時、『良(黄倉良二氏)が残ってくれなかったら、かあちゃんは死ぬしか無い』という母親の衝撃的な言葉により、農業を継ぐことになりました。朝の4時から夜の8時まで、借金を返すことだけを考えて農業をやってきました。

昭和48年3月で組合を勇退された後藤三男八(ごうとうみおはち)組合長が農協に贈ってくださったお言葉『不農無糧・不桑無衣(農業なければ食糧はなく、桑がなければ衣服はない)』を講演会では常に掲げています。


食べのはいのち(生命)
食べのはいのち(生命)


後藤三男八氏の退職にあたって、私が呼ばれ、退任後の考え方を話されました。

『自分の後任には板谷町内会の中村耕人氏(歴史に残る農家俳人)が適任だと思う・しかし、組合員の意見として、若い世代も選出すべきだという声があるので、おまえが選出されたら次のことを守れ。

 一 本を読め。パチンコするな。博打をするな。賭け事をするな。酒を飲むな
 二 日本はやがて食べものがなくなる。自ら考えて努力と実践を積み重ねよ
 三 農協の役員として「地位と名誉と金を求めるな』。

私は、後藤三男八さんの教えを胸に、農協の役員の任務を果たして参りました。

昭和48年から後藤三男八さんのご子息の後藤亮さんとふたりで、自然農法に取り組み始めました。
当時、北海道の自然農法の先達・佐藤晃明さんの田んぼ(当別町)に勉強に行ったとき、畦を歩きながら問われた御言葉です。

『黄倉さん、農業って何だかわかりますか?』。

中学生のときから20年間、ただひたすら一生懸命、借金を返すためにやってきた農業なのに、農業について言葉に表すことができず、答えることができなかった私は困惑しました。

すると佐藤さんは、『農業って、人間の安全な食べものを生産することなんですよ」と答えられました。佐藤さんのお言葉は、自分にとってとても衝撃的なものでした。人間の安全な食糧を生産することの難しさを実感いたしました。


黄倉氏の講演を熱心に聴講する参加者
黄倉氏の講演を熱心に聴講する参加者


農業協同組合、生活協同組合とは何でしょうか。

ナチュラルコープヨコハマとのこれまでの歴史で最も印象深いものは、平成5年、全国の米の収量が予定した生産量の5割を切った平成の大凶作の時のことです。北竜町農協では緊急会議を開き、約500戸の農家が保有米を出すことなったのです。全農家が協力してくださり、1週間かけて400俵が集まりました。現在のグリーンコープ(大分県)、オレンジコープ(和歌山県)、ナチュラルコープ(神奈川県)、札幌市民生協(北海道)、国稀(北海道増毛町)に送ったのです。

それは、当時、お米を分けて欲しいと、何度も何度も電話をかけ足を運んで懇願される豊田己津男さんの熱意がきっかけです。この熱い魂こそが、受け継がれていくべき想いであり、協同組合の原点になっていると感じています。この想いがあるからこそ、本当の協同組合の展開が広がっていくと思います。

実は当時、北竜町農協では、北竜町の米を直接消費者に食べてもらいたいという思いから、ヤミ米もやっていました。
すると、平成6年に『組合長出頭せよ』と食糧庁から呼び出しがありました。

『あなたは犯罪者だ。ヤミをやったな』と問い質されました。
『やってない』と答えると、
『組合長がやってないということは、職員が勝手にやったということか?』
『いいえ、ヤミではなく、北竜町のお米を食べてくださいと、配っていました』と答える。

押印を求められ、最後の判断を下される時、当時札幌の食糧庁札幌事務所・大住所長が、

『これは犯罪だよ。裁判はしないけど、処分はするぞ』。
さらに、
『組合長を辞めて済む問題ではない。北竜町農協には金融を扱わせない、集荷をさせないことになる』
と言います。私は、全身から血の気が引きました。

大住所長は、北竜町農協について全てを調べていて、組合長が組合員の連帯保証人になっていたり、多くの組合員が借金に苦しんでいることを理解されていました。

『おまえは、組合員を守らなければならないという信念と、農協の財務を管理しなければならないことに必死だったのだな。しかし、今回やったことは許されないこと。とはいえ、農協を処分すると、北竜町農協の組合員は本当に露頭に迷うことになる。吸収合併されるということは、組合員の出資金が無くなること・・・』。

考えた挙句大杉さんから発言されたのは、

『おれやめた。処分を止めた』というお言葉。
『今回は、許してやる!!!』

この言葉は今でも忘れられないものであり、私はその場で泣き崩れました。
この時処分されていれば、今の北竜町農協はありません。北竜町農協は近隣の農協に吸収合併され、組合員の出資金は戻ってこないのです。

当時北竜町農協は債務超過。平成4年に国の金融対策により、組合員の債務超過が許されなくなっていくところでした。平成2年に専務になった時から私は、債務超過をいかに解決していこうかと懸命になっていたのです。

北竜町農協を処分をしなかったことが原因でしょうか、その後大住所長は広島へ異動されました。

協同組合の原点は、後藤三男八さんの組合員の借金の連帯責任の押印にあります。
助けられた農業の仲間たちが力を合わせ、農業に精通し暮らしていき、子供を育てていくこと。これは協同組合の原点です。目的はいのち(生命)です。我々協同組合は、どうやって組合員の生命を守っていくのか。賛同してくれた生産者・加工業者の力を合わせて、どうやって大切な生命を守っていけるかが原点です。


どうやって大切な生命を守っていけるかが原点です
どうやって大切な生命を守っていけるかが原点です


当時、ナチュラルコープの豊田己津男さんは、しつこく十何回も『是非、お米を分けてもらいたい』と電話をしてきました。組合員のために、こんなにも熱心になれるのかと、その熱意に感心したものです。

この豊田さんの『一合でも二合でも組合員に米を届けたいんだ!』という熱い思いが、北竜町農協組合員の心を揺さぶったのです。当時その話を聞いた組合員は誰も反対するものはいませんでした。みんな黙って協力すると米を出してくれました。最も出してくれた人は2俵でした。私は、涙が出るほど嬉しかったです。
これが北竜町とナチュラルコープの結びつきの原点になっているのです。


黄倉良二 氏
黄倉良二 氏


『産消提携・消産提携・命の架け橋・命の絆巾広く、ねばり強く、あらゆる分野で歴史と世代を超えて交流する』
生産者・業者・消費者の交流の中から、生協が生産者・業者に求めるものを熱く語る、生産者が苦労してきたものを積み上げてきたものを聞く、加工業者のみなさんの努力を見る、繰り返し繰り返し重ねることが、産消提携の基本です。

北竜町農協では、生協が訪れた際には、田んぼと畑とダムを見てもらいます。そして、町長にも生協との懇談会に出席してもらう。その後、農協青年部と農協女性部との交流会を催します。このようなことを繰り返し重ねてきました。

命の架け橋とは、生産者がどんな想いでどのように作るか、多くの努力を重ねていることを、自ら確認して組合員に伝えていくことです。生産者は、自分が一生懸命作ったものを見てくれること、聞いてくれることが、どれほど力になるか、この生協には、きちっとしたものを送らねばならないという気持ちが増幅されていきます。

生協の目的に向かって、これからを担っていく若者たちが何をすべきかを、組合員の理事会などで多くの意見を聞いて作り上げていくことが大切だと思います。

 1.この世で最も大切なもの、それはいのち(生命)
 2.いのち(生命)を守り育むもの
 3.農業とは「人間の安全な食糧を生産すること」
   「食べものはいのち(命)」を実践し続けた佐藤晃明さんに出逢えたことに感謝です
 4.持続可能な発展を目指す提言と宣言
 5.本物とは、「後味が良くて、潔い(卑しくない)こと」
   人間として本物でありたい。町として本物でありたい。
 6.北竜町が目指す「農業保安型環境」への挑戦
 7.天に感謝し、安全な食糧生産を維持する品質管理

基本は水、土、百姓の魂。

水は、何百年、何千年、何億年と葉が落ちて、その繰り返しが行われる山。その山が一滴一滴を吸収した水を私達が使わせて頂いています。その水を守っていかなければなりません。村をあげて、どうやって水を守っていくことができるのか、汚染させないかを考える事。これはひとりではできないことです。

我々百姓は、食べて頂く方々の命を守る健康な暮らしを守っていくことが必要です。 北竜町は小さな町ですが、農協農業委員会、北竜町、土地改良区が一体となって、「国民の命と健康を守る安全な食糧生産宣言の町」として宣言した町です。

 ・山と木と緑を守り、力のある豊かな水を確保すること
 ・世代を超えて、誇り得る土を伝承すること
 ・百姓の技術と魂を磨き続けること
 ・意欲ある担い手を具備すること


 8.真の豊かさ、真の幸せを目指して
    ・飢えの克服(心と身体と社会の飢え)
    ・健康の回復(心と身体と社会の健康)
    ・安全に暮らせる社会の構築(心と身体と社会の安全)
    ・戦争と災害の無い村で、町で、都会で、家族が健康で働き、家族が健康で暮らし、
     その営みを通じて、人と地域と社会に貢献する

真の豊かさとは、心と身体と社会において、飢えを克服し、健康を回復して、安全に暮らせる社会を築き上げていくこと。これらを取り戻すには、農業と農村社会で百姓と協同組合である皆さんが力を合わせることです。 このことを自覚して、来年の事業計画に盛り込んで戴けることを期待しています」。


講演会場
講演会場


長野の減農薬りんごの産直を続けていらっしゃる関谷守夫様よりお話を伺いました。


関谷守夫 氏
関谷守夫 氏


親睦会

総会閉会後は、会場を移動し、演奏を交えた親睦会が和気藹々と行われました。
素晴らしい演奏は、原幸子さん(歌手・ナレーター)、岩嵜香織さん(トランペット)、皆川トオルさん(テナー・サックス)、野口久和さん(ピアノ)。


乾杯!
乾杯!

山下公園を眼下にJAZZを堪能
山下公園を眼下にJAZZを堪能

山下公園の氷川丸
山下公園の氷川丸


30年の時を超え、刻まれていく歴史の流れの中で、
生産者・業者・消費者の熱い想いが繋がり、
受け継がれ、分かち合う尊い生命の絆に
大いなる尊敬と感謝と祈りをこめて。。。


黄倉良二氏のお言葉「歴史とは、過去と現在の語り合い」
黄倉良二氏のお言葉「歴史とは、過去と現在の語り合い」


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◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子

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