北竜ライオンズクラブ・会員のモチベーションは地域への恩返し『ライオン誌日本語版 2019年3・4月号』特集・小さな町のライオンズ

2019/04/03 15:33 に 寺内昇 が投稿   [ 2019/04/03 15:33 に更新しました ]
2019年4月4日(木)

月刊発行部数14万部の『ライオン誌日本語版 2019年3・4月号(A4版・オールカラー・60P)』の特集「小さな町のライオンズ」に、北竜ライオンズクラブが8ページにわたり掲載されました(P22〜P29)。

長年の『ライオン誌日本語版』発刊で、このように詳細にひとつのクラブ活動と町が紹介されることはとても珍しいとのことで、関係者一同大変名誉なことと喜びに沸いています。

今回、北竜ライオンズクラブ・中島則明幹事のお取り計らいにより、ライオン誌日本語版マネージング・エディター・鈴木秀晃氏、カメラマン・田中勝明氏から北竜町ポータルへの転載の許諾をいただきました。心より厚く御礼申し上げ、北竜ライオンズクラブの地域への奉仕活動をご紹介させていただきます。(転載編集:寺内昇&郁子)

なお、実物の書誌は、北竜町商業活性化施設・ココワ(COCOWA)のラックに陳列されていますので、是非お手に取ってご覧になってください。

『ライオン誌日本語版ウェブマガジン・電子版』はこちら >>(2010年代(2010年1月号~最新号)をクリック)


LION in JAPAN:今月の特集・小さな町のライオンズ(表紙)

LION in JAPAN:今月の特集・小さな町のライオンズ 
LION in JAPAN:今月の特集・小さな町のライオンズ

『ライオン誌日本語版2019年3/4月号』表紙


目次 ● 特集:小さな町のライオンズ

『ライオン誌日本語版2019年3/4月号』目次 
『ライオン誌日本語版2019年3/4月号』目次


1952年に日本最初の東京ライオンズクラブが誕生。更に55年に九州初の福岡ライオンズクラブ、56年に北海道初の札幌ライオンズクラブが生まれ、62年には全都道府県にライオンズクラブが結成された。その後も日本ライオンズは、高度経済成長や人口増の波にも乗って順調に成長。が、最近は少子高齢化などの影響もあり、会員減少が続きクラブ数も減っている。そんな中、小さな町村にあって地道に活動し、ライオニズムを守り続けているクラブがある。特集では北海道から九州まで特徴的な5クラブをピックアップし紹介する。

P22:北海道北竜/P30:岩手県田野畑/P31:新潟県刈羽/P32:島根県隠岐海士


 ライオンズ密度日本一の町 北海道北竜町・北竜ライオンズクラブ

ライオンズ密度日本一の町 北海道北竜町・北竜ライオンズクラブ 
ライオンズ密度日本一の町 北海道北竜町・北竜ライオンズクラブ(P22)


1952年に日本最初の東京ライオンズクラブが誕生。更に55年に九州初の福岡ライオンズクラブ、56年に北海道初の札幌ライオンズクラブが生まれ、62年には全都道府県にライオンズクラブが結成された。その後も日本ライオンズは、高度経済成長や人口増の波にも乗って順調に成長。が、最近は少子高齢化などの影響もあり、会員減少が続きクラブ数も減っている。そんな中、小さな町村にあって地道に活動し、ライオニズムを守り続けているクラブがある。特集では北海道から九州まで特徴的な5クラブをピックアップ。まずは、町民に対する会員比率が日本一高い北海道・北竜ライオンズクラブを紹介する。取材/鈴木秀晃 写真/田中勝明


1月恒例のアクティビティ・高齢者宅の除雪奉仕に取り組む北竜ライオンズクラの会員たち(P23) 
1月恒例のアクティビティ・高齢者宅の除雪奉仕に取り組む北竜ライオンズクラの会員たち(P23)


北竜ライオンズクラブ(山本剛嗣会長)は現在、26人の会員で活動している。町の人口1,867人に対する会員比率は1.39%。日本全体では0.09%、北海道では0.14%なので、桁違いのライオンズ密度を誇っている。仮に日本ライオンズに北竜ライオンズの会員比率があったとしたら、約175万人の会員が在籍している計算になる。北竜ライオンズクラブの会員数が、いかに突出したものであるか、お分かり頂けるだろう。

そこで今月の特集では、その秘訣を探るべく北竜町を訪問し、北竜の町とライオンズクラブを取材した。


「太陽を味方につけた町」のライオンズクラブ

北竜町を訪ねたのは厳寒の1月16日。15日に日本海で発生した低気圧が、急速に発達しながら北海道に接近。更にこの低気圧が数年に一度レベルの寒気を呼び込み、北日本は17日をピークに大荒れの天気が予想される時期だった。実際、北竜町では16日午前中、5時間で25センチの積雪があったという。

前日、中島則明幹事から電話があり、北海道は16日午後から爆弾低気圧の影響で冬の嵐になる可能性があり、最悪の場合、取材予定のアクティビティが延期になることもあり得る、との話だった。心配しながら新千歳空港へ降り立ったが、雪は全く降っておらず、青空がのぞいていた。ただ、空港から北竜町までは距離にして約120キロ。まだ安心出来ない。

新千歳空港からはエアポートライナーで札幌まで行き、ここで函館本線の特急に乗り換えて滝川へ。乗車時間は合わせて約90分。滝川から北竜まではバスだ。札幌・留萌間を走る高速バスに乗ると、滝川駅前から北竜役場前までは約25分。途中、所々雪が舞う箇所もあったが、北竜町は「太陽を味方につけた町」のキャッチコピー通り、青空の下、太陽が顔をのぞかせていた。

役場前で山本会長、中島幹事と合流後、すぐに現場へ向かう。この日のアクティビティは、北竜ライオンズが毎年実施している高齢者宅の除雪作業だった。今年は14人の会員が、それぞれスコップ持参で参加。3班に分かれ、3軒のお宅で雪はね(雪かき)奉仕を行った。


1階の窓をふさいでいた雪をかき出すメンバーたち(P24) 
1階の窓をふさいでいた雪をかき出すメンバーたち(P24)


北竜町の冬は雪が多く、年に何度かは雪はねが必須。道路に面した玄関前などはショベルカーを使うことも出来るが、家の裏側は人の手でやるしかない。が、高齢者宅では手が足りず、北竜ライオンズの雪はねボランティアはとても喜ばれている。

こうして、元気な人が高齢者をサボート。皆で力を合わせて厳しい冬を乗り切るのが、北竜町流だと会員たちは口をそろえる。そんな町民性、地域性が、ライオンズクラブにも反映されているのだろうか。

この後、アクティビティの打ち上げを兼ね、焼肉屋で行うという新年例会にお邪魔し、北竜の町とライオンズについて、会員の皆さんの思いを伺うことにした。


町への愛着心や一体感が強い北竜町

例会は17時半から、役場近くにある焼肉店「次郎長」で開催された。通常、北竜ライオンズの例会は事務局のある商工会の会議室で行われ、第1例会は第1水曜日の正午から、第2例会は第3水曜日の午後6時から開催している。昨年12月に商工会を退職するまで、長くクラブ事務局を兼ねていた中島幹事によると、例会は伝統的なスタイルを継承しており、ゴング、国歌斉唱、ライオンズの誓いなど、型を崩さないようにしているという。

「どこかで背筋を伸ばさないと、たがが外れてしまう。ただ第2例会は夜なので、安いオードブルを用意し、缶ビールを飲みながら談笑します。お金は掛けていませんが、それでも話は弾みます。メンバーにはリタイアした方もおり、仲間の近況を聞いたりして毎月の例会が楽しみ、と言われる方が多いです」(中島幹事)

が、この年始例会だけは特別。雪はね奉仕後の作業姿や仕事着のまま出席し、少しだけはしょって例会を済ませると、後はジンギスカンやホルモンをつつきながら、胸襟を開いて語り合う。そんな中、お酒が入って座が盛り上がった頃合いを見計い、お一人ずつ話を聞いてみた。

町に関しては多くの人が、町民の一体感や町への愛着心について話してくれた。「都会では住民が一つになって同じ方向に進むことはないでしょうが、北竜は一丸となって前向きに努力する傾向があるんです。北空知でも北竜は、気候的にも土壌的にも米作りの条件としては厳しい現境だと思います。よその町と対等にやるには何か特長を出さないといけない。だから、減農薬で米を作ろうとなったら、みんながそれに賛成してやる。その結果が、日本農業大賞をもらうまでになったんだと思います」と、町議会副議長でもある山本会長は話す。


除雪奉仕の後、打ち上げを兼ねて開催された年始例会(P25) 
除雪奉仕の後、打ち上げを兼ねて開催された年始例会(P25)


北竜町の開拓が始まったのは1892(明治26)年。千葉県印旛郡埜原村(やわらむら)の開拓移民団25戸によって初めて、この地に開拓の鍬が下ろされた。現在、役場などがある町の中心地・和(やわら)は故郷の地名にちなみ、開拓団全員の和を大切にしたいという願いを込めて付けられたという。

その精神は130年近い時を経た今も、町民の心の中に脈々と受け継がれているようだ。そして「一丸となって前向きに努力する」北竜町民の特長を最も端的に現しているのが、「ヒマワリ」。今回、話を伺った会員のほぼ全員が口にした町の花だ。

北竜町はヒマワリの作付面積が日本最大規模で、「ひまわりの里」として知られる。きっかけとなったのは40年前の1979年、当時、北竜農協職員だった四辻進さん(93年北竜ライオンズクラブ入会/元会長)のヨーロッパ研修だった。

四辻さんは訪問先の一つ、旧ユーゴスラビアで見たヒマワリ畑に感動。帰国後、町でのヒマワリ栽培を提案した。これを受け、農協婦人部が翌年、ヒマワリ1戸1アール運動を展開。87年には第1回ひまわりまつりが開催され、町おこしグループ「北竜町竜トピア会」も設立された。

その後、「ひまわりの里」は、台風や竜巻により大きな被害を受けたが、その都度、町民が心を一つにして復旧に取り組んだ。更に、町民による自発的な草刈り支援活動「ひまわりの里草刈り十字軍」、ヒマワリ観光に来町した障害者のサポートや、観光ガイドをする「ひまわりボランタリー協会」の設立などが行われた。

こうして40年にわたってヒマワリを中心とした町づくりを行う中、ヒマワリは全国的に有名になり、同時に北竜町の知名度も上がった。「昔は札幌に行っても、あるいはそれより近い旭川でさえも、『北竜ってどこ?』と言われました。それが今では東京でも、北竜と聞いて『ああ、ヒマワリの』と言ってくれる人が少なからずいるようになりました。私は農事組合法人の代表を務めていますが、最近、世界一のレストラン『ノーマ』で活躍した方がヘッドシェフを務める東京のレストランが、私たちのヒマワリの種を食材に選んでくださることになりました。地道にやってきたことが今、実を結んでいると感じます」(ライオン板垣義一)


北竜町は北海道の中央やや西寄り、「ひまわりの里」として知られ、夏にはヒマワリを目当てに国内外から大勢の観光客が訪れる(P26) 北竜町は北海道の中央やや西寄り、「ひまわりの里」として知られ、夏にはヒマワリを目当てに国内外から大勢の観光客が訪れる(P27) 
北竜町は北海道の中央やや西寄り、「ひまわりの里」として知られ、
夏にはヒマワリを目当てに国内外から大勢の観光客が訪れる(P26・27)


また、ヒマワリを目当てに北竜を訪れる観光客も多い。町の収入役、教育長などを歴任した後、5年以上「ひまわりの里」の管理人を務めたライオン本家博之によると、「ひまわりの里の観光客は年間20万人前後で推移してきたが、最近は台湾、韓国など外国人が増え、2017年度には前年より10万人も多い35万6000人と過去最高を記録」したという。

開拓時代から和を大切にし、もともと町民の心の中にあった町への愛着心や一体感が、ヒマワリによってより一層醸成されてきたのが、今の北竜町と言えそうだ。


会員のモチベーションは地域への恩返し

そんな北竜町にライオンズクラブが誕生したのは、1976年3月のこと。近隣の深川、沼田、秩父別(ちっぷべつ)の3クラブによるエクステンションだった。

76年というと、日本のライオンズクラブ数が2,000クラブを突破した年で、北竜ライオンズクラブは日本ライオンズ2,015番目のクラブとして結成された。チャーター・メンバーは32人。当時、北竜町の人口は現在の倍となる約3,800人で、北竜ライオンズクラブは町民に対する会員比率0.8%でスタートを切った。

ちなみに、北竜ライオンズクラブが結成された76年3月末の日本の会員数は約11万8,000人。1クラブ平均60人近い会員数を擁していたので、北竜はそれに比べると小規模なクラプではあったが、この時の日本全体の会員比率は0.1%に過ぎず、ライオンズ密度では既に全国平均を大幅に上回っていた。


ライオン山本剛嗣会長 北竜町議会議員・副議長

議員になった時、先輩から、私たちは住民の方の支持を頂いて議員になっている。感謝の気持ちと奉仕の精神を持って活動すべきだと言われた。確かにその通りだと思い、ライオンズクラブに入って奉仕をさせて頂くようになった。北竜は小さな町だけに、住民が一丸となって前向きに努力する傾向がある。いい町だと思う。ライオンズはそういうベースの上に、地域への恩返しのため活動している。


ライオン中島則明幹事 北竜町商工会前事務局長

商工会の事務局長として、ライオンズの事務局を務めながらクラブに入会させて頂いた。「ライオンズに入ったら、年齢も社会的地位も関係ない。みんな同格だ」と、先輩から教えられた。それが、私のような一団体職員が長くクラブに在籍している要因となっている。一時より会員数は減ったが、北竜ライオンズクラブはまとまりが良く、地域を元気にしている町おこしグループだと自負している。


ライオン北清裕邦 JAきたそらち北竜地区代表理事

北竜町は日本一のひまわりの里として知られている。その中で、ひまわりライス、ひまわりメロン、ひまわりスイカなど、ひまわりの名を冠した農産物を作っている。特に、ひまわりライスは町内全域で生産者情報を公表するJAS規格を、水稲の集団組織としては全国で初めて取得。低農薬栽培により安心・安全な米を作り、2017年には日本農業賞の集団組織部門で大賞を受賞した。


ライオン藤井雅仁 北町商工会会長/北竜町議会議員/(株)北興建設代表取締役

北竜町は人もライオンズも温かみがあり、横の連帯も強い。自分は隣町の出身で、大学卒業後に、北竜で仕事を始めたが、温かく迎え入れてくれた。自分の損得じゃなく、相手のために動く人がたくさんいる。ライオンズクラブには仲人だった元町長に誘われ、2002年に入会させて頂いた。私も、町の人たちの底流に流れる温かみやつながりを旨とし、誠心誠意活動していきたいと思う。


P28 
P28


その後、北竜ライオンズクラブは会員増強を重ね、2000年に入ると50人の大台を突破。02年度には現在の2倍近い51人を記録した。当時、北竜町の人口は約2,500人。会員比率は実に2%を超えていた。

北竜町は現在、全国1,730余の市区町村中1,654番目の人口で、下から数えた方が早いのが現実。その中で、ライオンズクラブが高い会員比率を維持出来るのは、やはり開拓時代から受け継がれてきた町民性が一つの要因なのだろう。

「北竜ライオンズクラブに入会して7年になりますが、もともと町の職員として、町民の方たちにお世話になってきたので、その恩返しの意味を込めて入会させて頂き、奉仕活動を続けています」

と、ライオン佐光勉は話す。ライオン佐光は町議会議員だが、現在、議員8人のうち5人がライオンズ・メンバーで、行政からも町長、副町長、教育長の3役が入会、またそれらのOBも在籍している。

「ライオンズのメンバーは少なからず地域との関わりの深い人ばかりなので、地域に恩返しをしたいという気持ちの強い人が多い。それが根っこにあります」

と、中島幹事。また山本会長も、「直接町政に携わっていなくても、ほとんどの会員が同じ思いだと思います。建設関係の方は地域の仕事を請け負い、地域の人たちがその会社で働いている。つまり地域のおかげで会社が成り立っていると考え、地域への恩返しをしているわけです」と、会員のモチベーションが、地域への恩返しにあることを強調。

「小さな町だけに住民が一つになれる。いい町だと思いますよ。ライオンズはそういうベースがあった上で、恩返しをしていこうという団体。それが代々、綿々と受け継がれてきた。田舎のいいところです」
とも話していた。

もちろん結成から43年ともなれば、いつもいつも順調だったわけではない。会員の大量退会に見舞われたり、解散議論が出たりした時もあった。


ライオン清原和浩 和郵便局局長

北竜町は小さな町だが、団結力があり、町民同士の結び付きが強いと思う。ライオンズクラブには2005年に入会させて頂いた。クラブの特長として例会の出席率がいいことが上げられる。私自身も月2回の例会を楽しみにしている。また、奉仕にも一生懸命取り組み、特に青少年の活動に力を入れている。我が家にも、中学生と就学前の子どもがいるので、ライオンズの事業に感謝している。


ライオン金山智徳(株)金山若林代表取締役

父の後継として34歳で入会。最初は先輩ばかりだし格式が高いと考え、お断りしていた。実際に入ってみたら、町のためであったり、子どもたちのスポーツの支援だったり、ミニバレーボール大会の主催だったり、町のお母さんたちや子どもたちに喜んでもらえて、やりがいを感じる。1,900人しかいない町だが、日本一のひまわりや日本農業大賞の米など、誇るべきものがあって、いい町だと思う。


ライオン小坂一行 北竜町議会議員/農業

議員になった年にライオンズクラブに誘われ入会した。今年で12年になる。メンバーの皆さんと協調しながら、町のために自分のやれることは積極的にやっていこうと思っている。仕事は農業で、米とメロンを作っている。両方とも以前はあまり評価が高くなかったが、町の農家が一丸となって努力した結果、今では品質のいいものが出来るようになり、皆、自信を持って米やメロンを作っている。


ライオン竹内範行(株)北竜振興公社常務/北竜町前副町長

自分たちでお金を出し合って、地域の青少年のために使ったり、労力奉仕で高齢者宅の雪はねをしたり、やっていて誇りを持てる。現職町長を始め町の3役やそのOB、また町の大先輩が在籍していたりする中、ライオンズの中では対等にお付き合い出来る。それがいいところ。何よりも例会で仲間と会い、話をして近況を聞いたりするだけでも楽しい。体力が続く限り、在籍していたい。


力まず、背伸びせず、 町を元気にするクラブ

ライオンズクラブの事務局がある商工会の建物は北竜町商業活性化施設となっており、町唯一のスーパーが第3セクターにより運営されている(P29) 
ライオンズクラブの事務局がある商工会の建物は北竜町商業活性化施設となっており、

町唯一のスーパーが第3セクターにより運営されている(P29)


05年に結成30周年が終わった後、7人が一挙に退会。会員数は十数年ぶりに40人を割った。

「節目の年があると、そこまでは付き合ってくれますが、終わると退会していく傾向があります。ある意味、周年は怖いですね」(中島幹事)

その後は30人台で推移していたが、14年度、国際協会の方向性と自分たちのやりたい活動が合わないと、年度末に8人が退会した。

「国際協会は世界的な問題への取り組みを打ち出します。しかし北竜のように小さな町で、それをあまり強く訴えると、反発したり、飛躍した議論を展開したりする人も出てくる。そして、地域で必要とされる活動がある以上、我々はそれに応えるのが優先だ、と協会の要請を受け入れなくなる。ということはクラブをやめていくわけです。北竜ライオンズクラブのいいところは、それでも何とかかんとかライオニズムをつないでいこうとするところだと思います」

と、父がチャーター・メンバーの2代目会員で、長男も北竜ライオンズに在籍する会員歴38年のライオン藤岡雍泰が、当時の話を聞かせてくれた。

この時、国際協会の方針も分かるし、時代の流れかもしれない。そういう意味では、自分の役割はもう終わったのではないか、と高齢の古参会員を中心にやめていった。それらの方たちの多くは、やりきったという感じでクラブを去って行き、達成感すらあったという。だから、今でもわだかまりはなく、普段、町で会えば話もするし、クラブにいた頃と同じように付き合っているそうだ。

「一時はクラブ存廃の話まで出ましたが、メンバーの多くは、せっかく先輩たちがつないできてくれたものだから、もう少しがんばろうと気持ちを切り替え、現在があります。国際協会の一員だし、出来ることは一生懸命にやる。ただ、先輩から受け継いできたクラブの伝統も大事。自分たちの思い、気持ちに忠実にやっていく。背伸びせず、ありのままというのが、現在の北竜ライオンズクラブです。人口が減っている農村地帯のクラブでは会員増強は難しい。北竜ライオンズクラブの場合は会員維持に力を入れています。まとまりもいいし、小さな地域で動き、町を元気にしているグループだと自負しています」

それが、会員比率日本一の北竜ライオンズだ。


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