地域おこし協力隊員の3年間のご報告「北竜町の宝もの〜感動の3年間を振り返って〜」ひまわり大学で講演

2013/02/18 5:10 に 寺内昇 が投稿   [ 2019/11/24 18:25 に更新しました ]
2013年2月19日(火)

私達、寺内昇&郁子が、北海道北竜町の町に移り住んで、今年3月で丸3年になります。
北の大地での生活環境は、目にするもの、感じるもの全てが初めてのことばかり。
瞬間瞬間が、刺激的でかつ充実した日々を過ごしてきました。
仕事においても、総務省の制度である「地域おこし協力隊員」として町の非常勤職員に採用していただき、情報発信という形で北竜町のたくさんの魅力を世界中の人々にお伝えすることができました。


会場風景   会場風景   レジュメ
会場風景とレジュメ


この度、2月14日(木)に開催された北竜町ひまわり大学講座(教育委員会主催)で、「北竜町の宝もの~感動の3年間を振り返って~」と題して、有難くも発表させて戴きました。
写真、動画、言葉で綴る3年間の活動の集大成です。このような機会を与えられたことに深く感謝いたします。
ありがとうございます。

この日会場となった北竜町公民館大ホールには、ひまわり大学の生徒さん(65歳以上)等、人生の大先輩の皆さん36人の方々が、熱心に耳を傾けて下さいました。寺内昇が講師を務めます。


講演:寺内昇 
「北竜町の宝もの〜感動の3年間を振り返って〜」講演:寺内昇


 講演の概要

1.私達の出会い
2.いままでの仕事
3.アルツハイマー型認知症と診断される
4.北竜町とのご縁をいただく
5.北竜町での新しい人生の始まり
6.3年間で感じたこと
7.幸せ感の変化は立ち向かう行動から生まれた
8.3年間の活動内容
9.北竜町ポータルのご紹介
10.北竜町ポータルのアクセス状況(2011年~2013年1月末までの1年7ヶ月間)
11.2010年の活動内容(3本の動画映写)
12.2011年の活動内容(3本の動画映写)
13.2012年の活動内容(3本の動画映写)
14.2013年の活動予定
15.御礼と感謝

   質疑応答


本日の内容   私達の出会い   私達の今までの仕事 
左:本日の内容  中:私達の出会い  右:私達の今までの仕事


 私達の出会い

・私達は、1956年(昭和31年)生まれの同い年。昇は小学校3年のとき愛知県小牧市から東京都府中市立府中第六小学校に転校、郁子は北九州市小倉から小学校6年のときに同校に転校。府中市立府中第五中学校2年の時、同じクラスとなり運命の出会いがスタート。 昇はその時、郁子に恋する。

・高校(昇:都立国立高校、郁子:東京純心女子高等学校)、昇は郁子にアプローチするも振られる。大学(昇:東京商船大学、郁子:清泉女子大学)はそれぞれ別の道を進む。

その後、二人の運命を結びつけた縁結びが、東京商船大学で学んだ昇のハワイへの遠洋航海実習で乗船した帆船「日本丸」。昇が、東京の晴海埠頭からの出港前に「日本丸」を見に来ないかと誘ったのがきっかけで、お付き合いがスタート。

 私達の今までの仕事

1979年:昇が大学を卒業・国家試験「甲種船長」に合格し、航海士として船会社・三光汽船株式会社に就職。エクソンなどに用船されたタンカーで世界中17か国(カナダ、アメリカ、ベネズエラ、オランダ領 <ドーバー海峡> イギリス、デンマーク、ポルトガル <ジブラルタル海峡> リビア、フランス、ギリシャ、イタリア <スエズ運河> エジプト <ホルムズ海峡> サウジアラビア、ケニア、アラブ首長国連邦 <マラッカ海峡> マレーシア、オーストラリア)を航海している間の手紙交換で、お互いの気持ちを深め合い結婚へ 。

1982年:二人とも26歳の時に結婚。

1985年:長男誕生。三光汽船株式会社が8月13日に戦後最大規模の負債で倒産。この前日に日本航空123便墜落事故が発生していたため、マスコミの三光汽船倒産の扱いはとても小さなものだったが、昇は新聞で会社更生法申請を知る。その後、昇は退社し、自動車技術会に就職するまで2回職を変える。

1988年:(社)自動車技術会に就職。学術交流の国内会議の事務局を担当。
1989年:長女誕生。

1992年(平成4年)36歳の時、中途採用で現在の日本財団(当時は、財団法人日本船舶振興会)に就職。そして53歳までの17年間、仕事に酒に全力疾走で走り続ける。家庭を顧みず・・・。

1992年:日本財団に就職。福祉課福祉係長として、財団の全室個室型・高齢者総合福祉モデル施設
    「ケアポートみまき(長野県)」(日野原重明 建設運営委員長)の財団担当者となる(1995年竣工)。
1996年:広報課長として、日本財団ホームページを開設。マスコミ媒体とインターネットによる広報活動に取り組む。
1997年:企画課長として、財団LANにグループウェア(ノーツ・ドミノ)を提案し導入。
    助成先が作成した助成金の成果物である事業成果物を電子化し、誰でも無料で活用することのできる
    「事業成果ライブラリー」を提案・構築責任者となる。
1998年:当初計画通り「事業成果ライブラリー」を開設する。事業成果物の電子化がスタートする。
    財団業務の全システム「システムNIPPON」(財務会計システム・決裁・勤怠・出張費申請精算・出張報告・
    助成金管理(ネット申請受付・審査・事業進捗管理・監査・事業成果物管理))構築を提案、責任者となる。
    旧体制との軋轢を受け止める。
2000年:当初計画通り「システムNIPPON」を稼働。「広報部長」就任、情報システム統括を兼務する。
    その後、「経営企画グループ長」「情報システム統括グループ長」など部署を異動するも、2009年の発病
    まで、財団の情報システム統括を担当。
    「事業成果ライブラリー」のリニューアル版「日本財団図書館」の開設を提案・検討を開始する。
2003年:当初計画通り「日本財団電子図書館」を開設。システムNIPPONとの連携により、助成金申請から助成金事業の
    成果の公開までのシームレスな情報システムが完成する。
    全国の公益団体が活用するこのできるコミュニティサイト「CANPAN(カンパン)」を提案・検討開始。
2005年:当初計画通り、公益コミュニティサイト「CANPAN」を開設。組織内の軋轢を受け止める。
    「情報公開〜感動・共感〜支援」のサイクルを目指す新しい情報インフラを日本中に広めるため全力を尽くす。
2006年:企業のCSR活動促進の検討をスタート。現状の実施調査活動を始める。
    強烈な頭痛や耳鳴りに度々見舞われるなど、体調に変化が生じ始める。
2007年:当初計画通り、企業のCSR活動促進をスタート。第1回CSRプラス大賞をサッポロビールが受賞する。
    CANPANを使って日本の公益活動を支援する「特定非営利活動法人 CANPANセンター」を設立、副理事長に
    就任(日本財団 情報システム統括グループ長と兼務)。
2009年:NPO活動の支援者が、CANPANの情報を見て、支援したくなる団体にクレジットカードで寄付ができる仕組み
    を構築し稼働する 。
    団体の公益活動をに興味がある人々が「CANPANブログ」を読んで感動・共感し「CANPAN団体情報」を見て
    「信頼」し、クレジットカードを使って「公益団体の活動に寄付」することができるサイクルが完成する。
    日本財団が、公益団体の活動を、情報システムを活用して支援することが可能になった。
    気がつくと、ホームページを開設してから13年が経過していた。
    9月、三井記念病院(東京都)でアルツハイマー型認知症と診断される。
    12月、セカンドオピニオンを受け、砂川市立病院(北海道砂川市)で、アルツハイマー型認知症を否認される。
2010年:日本財団退職、CANPANセンター副理事長辞職

講演:寺内昇 
高齢者福祉総合モデル施設(1995年竣工)
「ケアポートみまき」のホームページに、
当時書いた昇の文章が現在も掲載されています
(2013年2月14日現在)
ケアポートみまき 
「ケアポートみまき」竣工17年後の2012年5月に、
旧北御牧村(現在・東御市)を訪問。
当時の建設メンバーと再会
大感激! 大感謝!(2012年5月5日)


日本財団CANPANプロジェクトの誕生と成長
(社外の映像表現セミナー「創造力と表現力を高める映像制作講座」に
夫婦で参加したときの作品)


・郁子は、2006年(平成18年)50歳の時に、左股関節人工骨頭全置換術を受ける。同年、障がい者枠で、全国農業協同組合連合会(本所・大手町)に中途採用される。全国の農業の先進的取り組みを知り、野菜の素晴らしさに目覚め、ジュニア野菜ソムリエの資格を取得する

アルツハイマー型認知症と診断される   北竜町とのご縁をいただく   北竜町での新しい人生の始まり 
左:アルツハイマー型認知症と診断される  中:北竜町とのご縁をいただく
右:北竜町での新しい人生の始まり


 アルツハイマー型認知症と診断される

・昇に、会議のすっぽかし、電車で目的の駅を乗り過ごすなどが頻発。メールを読んでも内容が理解できなくなる、複数の案件を目の当たりにすると混乱して判断ができなくなるなど、昇本人が、自分が何かおかしいと感じる
・昇自身、記憶が跡形もなく喪失していることに直面し、診断を受けることを決意する
・2009年9月:三井記念病院(東京都)精神科にて、初期の「アルツハイマー型認知症」と診断される
 昇は、笹川陽平会長(日本財団)、役員、部下に病名を告白。朝から晩まで続いていた全ての会議への出席を止める

 北竜町とのご縁をいただく

・アリセプトの服用、運動、民間療法などをしたところ、記憶力・読解力が以前のように戻る(アリセプトは3ヶ月間服用)。その間、ネットで若年認知症について徹底的に調べる
・2009年10月:認知症家族会「彩星の会」干場功代表(北竜町ご出身)と出会う
・若年認知症のご家族が、首都圏から北竜町に移住していることを干場代表より伺う
・同年12月:北竜町を訪問。北竜町若年認知症家族会「空知ひまわり」の皆さんの温かい真心に感動

 北竜町での新しい人生の始まり

・2009年12月:北海道砂川市立病院にてセカンドオピニオンを受診。精神科部長・内海久美子先生より「脳後頭部に血流不足が見られるものの、今の段階では認知症とは認められない。ただ、今の生活環境を続けていると認知症になる可能性が高い。当分の間、休養した方がよい」と診断される。12月末より、財団を休職する。
・夫婦で検討を重ねた結果、「生活を一新し環境を変える」ことを決意
・2010年3月:自宅マンションを売却。昇は日本財団、郁子は全農を退職し、夫婦で北竜町に移住
・2010年7月、北竜町から総務省の地域おこし協力隊員として委嘱を受け、インターネットによる情報発信を開始

ひまわり色の幸せの黄色いコペンとともに、北海道中をドライブ。都会では考えられないような生活空間が広がる。


3年間で感じたこと(2010年〜2013年) 
3年間で感じたこと(2010年〜2013年)


 3年間で感じたこと

◎ 幸せ感に大きな変化が生じたこと

・幸せを感じる心が、物欲の充足から心の満足へ変化してきた
・今まで、形ある物質的なものに「しあわせ」を感じていたのに対し、大自然の偉大さ、素晴らしさ、美味しい水、採れたてのたべものも美味しさに「しあわせ」を感じるようになった。さらに生命をかけて物事に取り組む人々の真摯な姿勢にも、心より感動する

◎ 幸せ感の変化は立ち向かう行動から生まれること

・認知症改善のために良いとされるできうる限りの対策を取った(ネットでの情報収集、アリセプト、栄養剤、運動、統合医療の勉強ほか)
・その結果、若年認知症家族会と出会い、干場功さんと出会うことができた
・そして、地位・名誉・金を捨て、生活を一新させる機会に遭遇し実行することができた

「ピンチをチャンスに!」

振り返ると、ピンチを迎えたときには、嘆くだけではなくそのことに立ち向かい、機会を逃さず行動することにより、新たな幸せ感が生まれるものだと実感することができた。

 3年間の活動内容(2010年~2013年)

・総務省の地域おこし協力隊員として活動
・1年目の2011年7月に、手作りで「北竜町ポータル」サイトを開設
・町のホームページでは扱いにくい営利活動の情報発信も取り入れる。町の玄関の役目のサイトで、私達が感じた町の宝ものに光を当て、インターネットを使って、世界中に情報発信している
・執筆した特集記事などの総数:554本
・作成した北竜町に関する動画(Youtube):22本

 町民手作りのポータルサイト「北竜町ポータル」

・2011年7月開設
・構築は、昇の手作り
・開設費用は、0円
・年間運営費は 約1,200円(15ドル)
・運営:北竜町ポータルサイト運営協議会(会長:北竜町・竹内副町長)
・運営管理責任者=寺内昇&郁子
・撮影・編集=寺内昇
・取材・文章=寺内郁子


北竜町ポータル・トップページ(9つの窓) 
北竜町ポータル・トップページ(9つの窓)


 北竜町ポータルサイト・トップページ「北竜町を覗く9つの窓」

1.サンフラワーパーク北竜温泉
2.北竜町の概要・北竜町議会・教育委員会(お知らせ記事)
3.商工会・ひまわり観光協会
4.JAきたそらち北竜支所・みのりっち北竜
5.北竜町の宝もの
6.北竜町のサークル活動
7.北竜町Now
8.ちょっと気になるNews
9.特集記事

 北竜町ポータルのアクセス状況
 (2011年7月~2013年1月末まで1年7ヶ月間)

・日本全国から6万6千人12万回訪問して、41万2千ページを読んでいます
・北竜町の人口の約30倍の人が訪れています
・平均すると、毎日114人が訪問し、毎日合計で710ページが読まれている計算になります

 2010年の活動内容

・日本財団CANPANブログで情報発信
・ひまわりの里・イベント
・竜西農場における稲作状況
・ファームトゥモロウ(土居健一 代表)の有機栽培トマト

<動画映写>

1.北竜町ひまわりの里 2010
2.ファームトゥモロウの有機栽培トマト
3.第33回北竜町民文化祭


左:北竜町ひまわりの里  中;ファームトゥモロウの有機栽培トマト  右:第33回北竜町民文化祭


 2011年の活動内容

・北竜町ポータルの開設(7月グランドオープン)
・ナチュラルファーム黄倉(黄倉正泰 代表)の有機栽培米
・黒千石大豆(高田幸男さん)の栽培
・文化連盟のサークル活動

<動画映写>

4.ナチュラルファーム黄倉・有機栽培米
5.黒千石大豆の播種から収穫まで
6.北竜町民スキー大会&ゆきんこ祭り


左:ナチュラルファーム黄倉  中:黒千石大豆の播種から収穫まで  右:北竜町民スキー大会&ゆきんこ祭り


 2012年の活動内容

・田からもの(佐藤稔 代表)での有機栽培米
・開町120年記念として千葉県旧本埜村(現在・印西市)へ取材訪問
・郷土資料館のリニューアルに協力
・「北海道地域創造フォーラム in 北竜」に協力

<動画映写>

7.有機栽培米の播種から収穫@田からもの
8.いのちの歌@北竜町ひまわりコーラス 2011
9.北竜町開町120年を祝して


左:有機栽培米の播種から収穫@田からもの 中:いのちの歌@北竜町ひまわりコーラス
右:北竜町開町120年を祝して


 2013年の活動予定

・総務省の制度である「集落支援員」のお話を、町からいただいております
・3年間を目処に町内の団体活動の紹介を通じて、町の活性化に貢献したいと考えています
・2013年度は、町内会、企業などを紹介
・2014年度は、行政を含む公益活動を紹介
・2015年度は、総合的に北竜町を紹介


これからも末永くよろしくお願いします!

<動画映写:付録>

10.クリスマスバイキング 2010
11.北竜町(北海道)の雪景色 2011
12.北竜町(北海道)の春夏秋冬 2012


左:クリスマスバイキング 2010  中:北竜町の雪景色 2011  右:北竜町の春夏秋冬 2012



私達が、この3年間で取り組んできた500を超える記事は、
そのひとつひとつが、誠心誠意・真心をこめて創り上げてきたものです。

真剣に向き合い、作りあげていく度に、
私達は共に感動を味わい、共に喜びを分かち合ってきました。

北竜町ポータルの収められた全ての記事は、
北竜町の宝物であり、私達の宝物でもあります。
沢山の素晴らしい宝物に出会えたことに、心から感謝です。


これからもずっとずっと、北竜町の宝物を探し続けながら、
そして夫婦二人お互いに支え合いながら、
二人三脚でゆっくりと歩んでいきたいと思います。


私達がここにこうして存在できるのも、
北竜町という素敵な町に出会い、
素晴らしい皆さんと御縁をいただいたお陰です。

深く感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます!


今日2月14日のバレンタインデー、
小さな小さなチョコに
北竜町の皆さんへの限りない愛をこめて、
私達の心からの、大きな大きな感謝の気持ちを贈ります。


これからも末永く、どうぞよろしくお願いします。


バレンタインデー、小さな小さなチョコ 
皆さんへのプレゼントチョコ
大きな感謝の気持ちを込めて



▶ プレゼンテーション「北竜町の宝ものー感動の3年間を振り返ってー」の全スライドは、こちらからご覧いただくことができます>>


◆ 感謝!

<北竜町教育委員会>北竜町の宝物~ひまわり大学2月講座~(2013年2月21日)
<新老人の会・北竜町>北竜ひまわり大学(2013年2月14日)


◆ 関連記事

2013年度(平成25年度)「北竜町支援活動」及び「北竜町ポータル」サイト運営事業計画書(2013年3月20日)
2013年度「情報発信による北竜町支援活動」及び「北竜町ポータル」サイト運営企画書(3ヶ年方針)(2012年10月9日)
2012年度「北竜町ポータル」新記事アップ予定日(5月〜10月)(2012年4月23日)
2012年度・北竜町ポータル・運営管理計画(案)(2012年3月19日)
北海道新聞・中北空知版に「北竜町ポータル」が掲載されました(2011年5月26日)
「北竜町ポータルサイト」概要及び運営について(2011年4月27日)
北竜町ポータルサイト構築・運営企画書(2011年2月2日)
北竜町町民のためのポータルサイトの構築・運営に関する検討(中間報告)(2010年11月4日)

北竜町ポータルサイト「北竜町ポータル」と夫婦ポータル「北海道のいくぽ」の大海原への船出! (2011年04月30日)

特集記事・目次
写真・動画(Youtube)目次
北竜町ポータル編集後記(アクセス報告含む)


◇ 撮影=寺内昇  取材・文=寺内郁子