第5回北海道地域創造フォーラム in 北竜「北海道・コメ・未来」の開催

2012/09/13 16:43 に 寺内昇 が投稿   [ 2019/07/16 18:20 に更新しました ]
2012年9月14日(金)

朝晩、吹き抜ける風が冷たく、田んぼは黄金色に輝き始めました。
稲穂は、重たそうに頭をたれ、五穀豊穣を祈り続ける毎日です。

9月8日(土)、北竜町では開町120年を記念して、「北海道地域創造フォーラム in 北竜『北海道・コメ・未来』歴史から未来へ~「北の大地」のまちづくり、人づくり、心そだて」が公民館大ホールにて開催されました。

 ・主催:北竜町
 ・後援:北海道、北海道教育委員会、北海道開発局札幌開発建設部、北海道市町村振興協会、
     きたそらち農業協同組合、北竜土地改良区、北竜町商工会
 ・協賛:サッポロビール株式会社、サッポロ飲料株式会社
 ・企画協力:PHP研究所


山車「北竜丸」がお出迎え
山車「北竜丸」がお出迎え


当日は、道内の首長さん6人にもお越し戴き、およそ200人に及ぶ町内外の人々で、会場は満席。
公民館では、11時より「そば食楽部北竜」皆さんの手打ちそばと、「みのりっち北竜」のお母さん手作りおにぎりが、会場を訪れた人々に振舞われました。たくさんの愛情が込めれたおそばやおにぎりは、他では味わえない美味しさ、有り難さが秘められています。


北竜町蕎麦食楽部皆さんの手作り蕎麦    北竜町蕎麦食楽部皆さんの手作り蕎麦と、みのりっち北竜のおにぎり
「そば食楽部北竜」皆さんの手作り蕎麦と、「みのりっち北竜」のお母さん手作りおにぎり


PHP研究所が企画する北海道地域創造フォーラムは、「地域の歴史・文化とそこに生きた先人たち」をキーワードに、2008年に伊達市でスタート。2009年・稚内市、2010年・松前町、2011年・月形町、そして5回目の今年2012年は、北竜町での開催となりました。

日本人は、世界でも珍しい、主食であるおコメを天照大御神様に献上する民族。日本人の生き方を象徴したおコメが、今回のテーマです。おコメとは、日本人が2千年前から、コメを日本全国に広めたいという思いと努力を積み重ねてきた、文化そのものなのです。

今回のフォーラムのテーマである「北海道・コメ・未来」は、1999年(平成11年)に札幌で行われた「北の農業シンポジウム」のテーマ「北海道・コメ・未来」にちなんだもの。岡田榮之助さん(当時、北海道土地改良設計技術協会・農村地域研究所長)が、テーマのタイトルを命名されました。13年前に行なわれた、この北の農業シンポジウムでは、故・上之郷利昭さんをはじめ、京都大学名誉教授で、稲作研究の重鎮・渡部忠世さん等が参加され、北海道のコメについて論議が交わされました。

更に時代を遡ると、このテーマは、20年前、月刊誌『歴史街道』で連載となった上之郷利昭さんの「コメと日本人と伊勢神宮」へと繋がっていきます。当初1年間の予定で始まったこの連載は、1993年(平成5年)~1999年(平成11年)まで6年間63回にも及ぶ長期連載になりました。

この間、この連載が元となり、伊勢神宮内宮ご鎮座2000年奉祝記念事業にあたり、PHP研究所の寺田昭一さん(『歴史街道』元編集長)のプロデュースで、同名のシンポジウムが伊勢で開催され、当時の北竜町農業協同組合・黄倉良二組合長もパネリストとして参加されました。

▼『歴史街道』1999年1月号  
「コメと日本人と伊勢神宮」最終回
長期連載の中でも、4年もの歳月が費やされた北海道の取材の中で、北海道北竜町と千葉県本埜村の魂の繋がりが見出されていったのです。連載全体に関わり、壮絶なる想いをこめて、連載記事のを書き続けられた方が、故・上之郷利昭さんです。

「コメづくりを中心とした日本の農業と文化が大事になる。土を離れた民族は滅びる」という著者である上之郷利昭氏のお言葉と熱い想いが、今も尚存在し、受け継がれいるように感じられます。

今年2012年5月、北竜町開町120年記念として、私達夫婦は、開拓団長・吉植庄一郎氏の故郷・千葉県本埜村(現・千葉県印西市)を訪問いたしました

訪問に当たっては、PHP研究所・寺田昭一さんが、本埜村をご丁寧に案内してくださり、有難くも吉植家ご子孫である4代目・吉植一貴さんと面談することができました。一貴さんは、お父様故・吉植啓夫さんの農業をそのまま受け継ぎ、お母様と一緒に頑張っていらっしゃいます。


会場模様    佐野豊 町長の開会のご挨拶
左:会場模様   右:佐野豊 町長の開会のご挨拶


黙祷:

これまで北竜町に尽くしてくださった3人の方々へのご冥福と感謝の心をこめて、黙祷。

日本中、旅をしながら、日本のコメの大事さを追求しつつ、『歴史街道』連載記事を書き続けられた上之郷利昭さん(2006年逝去・七回忌)、そして有機農法を守り続けた、吉植家3代目・吉植啓夫さん(2001年逝去)、若年性アルツハイマー病で亡くなられた北竜町元町長・一関開治さん(2010年逝去・三回忌)。3人の方々と、開拓以来、今の北竜町の基礎を作ってくださった今は亡き先達の皆さんのご冥福をお祈りして、感謝をこめて会場の皆さん全員で「黙祷」を捧げました。


主催者挨拶:北竜町・佐野豊 町長

北竜町・佐野豊 町長「本日は『北海道地域創造フォーラム in 北竜』に、多くの方々にお越し戴き、誠にありがとうございます。町内は、米の収穫前で、秋祭りが8日(土)、9日(日)と開催されます。
また、夕張市の若い市長さんをはじめ、道内各地から町長さん、札幌開発局の部長さん、多くの諸先輩方、ご来賓方、遠くは長野県の県議会議員さん、千葉県印西市の市議会議員さんにもご参加戴いております。道内各地より大勢の皆様のご参加のもと、今日のフォーラムが開催されることを心から感謝とお礼を申し上げます。ありがとうございます。

今、地域社会は大変厳しい環境にあります。北竜町は今年、開町120年を迎えました。今一度、様々な苦難を乗り越えて、先人たちが残してくださったこの北竜町の町を振り返ってみたいと思います。

今、何が大事なのか、何をしなければならないのか、小さい町だからこそ光輝くまち、ひまわりのように明るく元気に『いのち育むまち・北竜町』について皆さんと共に考えていきたいと思います。どうぞ、宜しくお願いいたいます。

開催にあたりまして、北海道、北海道教育委員会、北海道開発局札幌開発建設部、北海道市町村振興協会、きたそらち農業協同組合、北竜土地改良区、北竜町商工会などのご支援、そして、ご協賛につきましては、サッポロビール株式会社様より戴き、さらに企画協力につきましては、PHP研究所様にお願いをいたしております。こうした数多くの団体、組織、関係者の方々の多くのご支援により、本日の開催となっております。

また、昨年のフォーラム開催地となった月形町・櫻庭誠ニ 町長を始め、たくさんのご支援により、心強くも力強い後押しをして戴きながら、本日の開催に至りました。ありがとうございました。
このフォーラムが皆さんにとって、有意義なものとなりますようご祈念申し上げて、開会の挨拶とさせていただきます」


ご来賓挨拶:月形町・櫻庭誠ニ 町長

前回の主催者・月形町・●●町長 「佐野町長をはじめ、関係者の皆様の熱意が今日の晴天に導いたことと、心からお喜びを申し上げたいと思います。

我が町は、全国の国立刑務所としては3番目の国立刑務所・樺戸
集治監として町が発展してきました。

私達の町には、日本一が3つあります。
 1.現在で言う刑務所の、当時の所長である月形潔さんの名前をとって「月形」という町名がついております。全国でひとつ、オンリーワンです。
 2.少年院が一番北にある町です。
 3.1973年(昭和48年)に月形学院という少年院ができましたが、日本で一番新しい少年院です。

私はこの日本一を逆手にとって「元気な返事、日本一!」を目指してやっています。

北竜町の開拓は、樺戸集治監の囚人たちが開いた増毛線道路を通って、千葉県から移民団が入ることによって始まりました。そういう歴史をたどっていくならば、私たちの町は北竜町と極めて縁の深い町です。9月4日(火)の「樺戸監獄物故者追悼式」、今も安らかに眠っている1,022名もの御霊の追悼式に、北竜町・佐野町長にご参列いただきました。
これからも、月形町、北竜町、歴史で繋がる町がしっかりと手を取り合っていきたいと思っております」


ご来賓のご紹介:

北海道議会・北準一 議員、札幌開発建設部・西村泰弘 部長、夕張市・鈴木直道 市長、様似町・坂下一幸 町長、東神楽町・山本進 町長、幌加内町・守田秀生 町長。


記念講演:童門冬二様「歴史が語る『土』と『人』と『農』」

● 童門冬二(どうもんふゆじ)様:作家(歴史小説、推理小説)

1927年(昭和2年)、東京生まれ(日本橋)、85歳。B型、うさぎ年、天秤座。本名は「太田 久行」。東京都庁で企画調整局長、政策室長等要職を歴任した後、退職し作家活動に専念。小説・ノンフィクションの分野に新境地を拓く。代表作『上杉鷹山』(1983年)、『情の管理・知の管理』(1983年)、『吉田松陰』(2001年)、『前田利家』(2002年)など著書は500冊以上。中でも著書に「人生で必要なことはすべて落語で学んだ」(PHP研究所・2006年)とあるように、落語鑑賞が大好きだそうです。

「童門冬二」の名は、本名ではなくペンネーム。
「北海道から沖縄まで多くの講演を行なっているが、皆さんにご満足頂けたという自信がまったくありません。最初にお詫びをしておきます。今日も参考になるような話は出え来ません。どうもすみません(童門すみません)」
という意味をこめて命名された、とおっしゃっていました。

●「恕(じょ)」の精神の実行

作家・童門冬二 先生の基調講演 ・「恕」という論語の言葉がある。あるとき出来の悪い弟子が「人生で最も大切なものは?」と質問したところ、孔子が答えた。「子曰わく、それ恕か」(いつも相手の立場に立って物を考える優しさと思い遣りという意味)。弟子はこの「恕」という文字を志にして、生涯守っていこうと決意する。

・いままで、健康法についての質問に対して、次のように答えていた。
1,睡眠時間に囚われることなく、目が覚めたときに起きて、行動すること。
2.その行動の順番は、まず一番嫌なこと、先延ばしをしたいことを最初に行う。
3.天候に左右されることなく、朝5時に起きて散歩を続けなさい。歩きながら四季折々の自然、植物を感じ、楽しみなさい。
4.傍で事が起こった場合、犯人探しは止めて、この後どうすればよいかを前向きに考えましょう。
5.太宰治の言葉「ひまわりは何も知りません。ただ、顔を向けた方向にお天道さまの光が当たるのです」にあるひまわりのように、あたたかい前向きの元気を出しましょう。

・3月11日の震災直後「無常感」を抱いた。人間がいかに科学や宗教をもってしても、自然に対して、予知することも防ぐこともできないと知った。また、被災地の人々に何もしてあげられず「無力感」を抱いた。
・震災直後から、いままで実行していた健康法が、無常感、無力感に苛まれ、実行できなくなってしまった。
・そんなある日、テレビに映しだされた被災地。そこに元気に皆の為に駆け回る男の子。昔悪ガキだった少年が心を変えるきっかけとなった先生の言葉「一人一人が今いる場所で、今与えられている仕事を手抜きをせずに、力を尽くして努力をすること。これが、被災者の人々へのエールに変わっていくんだよ」
・この中学生の男の子に教えられたことは「目の前の与えられて仕事を手抜きをしないで、一生懸命やること、生命を完全燃焼させることが被災者へのエールにも繋がっていく事なんだ」
・このことを知った時から、ぽっかりと開いた穴は埋められ、元気に前進することができるようになった。

・地域における「CI」(地域特性:コミュニティ・アイデンティティ)は、「生き甲斐」と「死に甲斐」。ゆりかごから墓場まで生涯、この地域にすべてをゆだねても、悔いることがないと考えることである。
・クラーク博士の言葉の紹介。「Be gentleman!」(紳士たれ!)。農業技術だけに終わるな。紳士としての品格と教養を持て!「土を耕す人」は、一定の品格をもった騎士である。誇りをもってもらいたい。

作家・童門冬二 先生の基調講演 ・農民の持っている「恕」の精神:
農民が鍬を持って土を耕すということは、農民の持っている「恕」の精神、土を愛する気持ちを、鍬を使って伝えているである。土も「恕」の気持ちを持っている。農民が鍬を通じて愛情を注いでくれれば、土が報徳の気持ちを持つことになる。
それは、農民の蒔いた種を立派な作物にして、お返しをしようという気持ち。たとえ荒地であろうと、耕し続けなければならない。なぜなら、荒地も徳をもっている。荒地における徳は、どこにあるかわからない。それを探すために、努力を惜しんではいけない。
荒地における徳の精神に辿りつくまで、掘り続けなさい。

・ある事柄を切っ掛けに、自分自身が変わっていく。すると自分を取り巻く人々、環境がどんどん変化していく。相手が変わったのではなく、自分自身がかわることによって、相手も変化していく。

・北竜町の皆さんは、自分の手で、自分の心の庭に自分の林檎の木を植えていらしゃる。なった美味しい林檎の実を、惜しげも無く、他人に差し出している。高い姿勢、ヒューマニズムには頭が下がる思いです。いつまでも、その林檎づくりを忘れずに、ひまわりの里、そして安全なお米作りを続けていただけると嬉しいなぁと思います。

・「とりとめもないお話で、今日は本当にどうも(童門)すみません・・・」(会場大笑)。


パネルディスカッション:「今、大切なことは何か」~北竜町120年の歩みに学ぶ~

会場の様子 ・コーディネーター:

寺田昭一様(PHP研究所 総研地域経営研究センター シニア・コンサルタント)

・パネリスト:

浅井愼平 様(写真家)、見野全 様(元白老町長、前北海道代表監査委員)、竹林孝 様(北海道経済部食産業振興監)、佐野豊 様(北竜町長)


・ 竹林孝 様(たけばやし たかし):
 北海道経済部食産業振興監 

竹林孝 様、見野全 様、浅井愼平 様 1956年(昭和31年)北竜町生まれ。B型。現在北竜町には、お母様と弟夫婦が北竜町岩村に在住。北海道大学農学部卒業。1978年に北海道庁入庁。農政部農業企画室参事、酪農畜産課長、農政課長、食の安全推進局長、十勝総合振興局長、総合政策部地域振興監等を経て、2012年4月より現職。

・見野全 様(けんの あきら):
 元白老町長、前北海道代表監査委員

1940年(昭和15年)北海道北見市生まれ。近畿大学法学部卒業。1963年(昭和38年)、大昭和製紙(株)入社、同社野球部を副部長として日本一に導く。1986年に退社。翌年、白老町長に出馬し初当選。以後2003年の勇退まで4期16年勤める。
「協働:共に働いていく町づくり」を目指した行政を行なってきた。「CI」コニュニティ・アイデンティティという手法を採用。大好きな野球で町づくり。日本人の絆、思い遣り、和の心を生かした野球のプレーで優勝に導く。 日本航空学園顧問、NPO法人北海道野球協議会会長などを歴任。

・浅井愼平 様(あさい しんぺい):写真家

ビートルズ東京  ビートルズ東京 1937年(昭和12年)愛知県瀬戸市生まれ。O型、蟹座。早稲田大学在学中より映画製作に従事。1965年、日本広告写真家協会賞受賞後、翌年、写真集『ビートルズ東京 100時間のロマン』でメジャー・デビュー(46年前にデビューし、今は幻となった写真集『ビートルズ東京』が、浅井愼平さんのファンの一人である北竜町民によって、ここ北竜町の地で大切に保管されていたことは実に驚き!)。

その後、アートディレクターズクラブ最高賞受賞など、数多くの賞を受賞。
焼酎「いいちこ」の広告写真などで知られる。
コメンテーターとしてしばしばテレビ出演(サンデーモーニング)するほか、俳人として数冊の句集を発表している。
写真に留まらず表現分野は、映画制作、文藝、音楽プロデューサー等、幅広く活躍。
少年時代は、雲を見ること、風に吹かれることが好きで、恐竜時代の化石ウミユリとの出会いは、人生において衝撃的なできごとだったという(出典:wiki)。

佐野豊町長、寺田昭一さん ・佐野豊 様(さの ゆたか):北竜町長

1951年(昭和26年)北竜町生まれ。B型。北竜町役場企画財政課長、産業課長、副町長を経て、2012年2月より現職。
佐野町長は、この地で生まれ育ち、学び、働き、北竜町を心から愛し、多くの北竜町民から愛されている素晴らしい町長。北竜町とともに歩み、北竜町とともに人生のすべてを委ね、全うし続けている町長です。
私生活においては、スポーツマンでありながら、プロレベルの技術を持つガーデニング愛好者。またチャレンジ精神も旺盛で「国際パークゴルフ協会公認指導員」資格、「ほっかいどう学検定・上級」資格、北海道でも先駆的な「ハンギングバスケット・マスター」資格など様々な資格を取得。
早朝、愛犬のりんちゃんと町をぐるっと視察するのが日課です。

・寺田昭一 様(てらだ しょういち):
 PHP総研地域経営研究センター シニア・コンサルタント

1957年(昭和32年)大阪生まれ。A型。大阪外国語大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本編集、月刊誌「歴史街道」編集長を経て、2006年より現職。
編集者、ライター、カメラマンとして全国各地を取材するとともに、歴史・文化をテーマとした旅行、テレビドキュメンタリー、地域活性化事業などの企画運営協力活動にも携わる。


北竜町の120年の歩み・北竜町の米作りの歩みについて:佐野豊町長

明治26年(1892年)5月、千葉県印旛郡埜原村から渡道された吉植庄一郎氏を団長とする25戸の開拓移民団によって、この北竜の地に開拓の鍬がおろされました。
その時代から多くの困難を乗り越えて、先人たちの魂が今日の北竜町の米作りを見守り、支え、今尚、受け継がれています。こうした北竜町の120年の歴史と米作りの歩みについて、ご丁寧に解りやすく、お話くださいました。
吉植庄一郎さんの「農は国の大もとなり」という精神は、本埜村において、息子である吉植庄亮さんの農業にしっかりと受け継がれ、さらには開拓地である北竜町においても、国民の命を守る農業の精神として、今尚、受け継がれて、守り続けられています。


竹林孝さん:今という時代に必要なものとこれからの生き方

竹林孝 ● 今という時代に必要な3つの視点

1.人口減少と高齢化の問題
 日本の人口は2010年(平成22年)をピークに減少に転じ、北海道においては、1995年(平成7年)をピークに減少。そして高齢化率は年々増加に向かう。

2.東アジア圏の経済成長問題
 東アジアの食料市場規模は、7年で倍にアップ。外国人来道数は、8割以上が東アジアで、10年前の4倍。この東アジアの成長力を、どう取り込めるかが重要な視点。

3.成長社会から成熟社会の時代
 これからの時代は、豊かさや幸せを求める時代へと価値観が変化していく時代。量的拡大や大量消費社会を求めた成長社会から、精神的な豊かさや幸せ、質の向上を優先する成熟社会へと向かい「人と人との絆・結び付き」が重視される時代となる。

● これからの生き方についての2つの視点

1.地域の個性を生かしたものを確立していく(CI・コミュニティ・アイデンティティ)
 地域の個性とは、その地域の大地・土壌・風土が創りあげていく、一つ一つがオンリーワンなもの。ハンディやマイナス面を含めたものがその地域の特徴であり、個性となる。視点を変えることで、他のものにはない、新たな価値が見出される。

2.地域間の広域連携
 ひとつの力は弱くても、まとまればパワーアップする。
「北海道ガーデン街道」は、それぞれの地域のガーデンが連携し、約200kmの間に7つのガーデンを結びつけた観光ルートを提案してできたもの。チケット・ホテル・温泉などの連携によって、パッケージツアーが生み出される。
 「ヴァンフロマージュ・北海道」は、ワインとチーズの組み合わせ。今年2月には、ワイナリーとチーズ工房を巡るバスツアーが3ヶ所で実施。


見野全さん:歴史を省みながら、今の時代、今の町を考える

見野全さん 白老町長として実践してきた町づくりについて、お話しくださいました。

・コメは日本の素晴らしいルーツである。
 日本の国づくりと人づくりと産業の発展には、日本人の中に存在するコメを作ることによって培われた几帳面さ、誠実さがある。思いやりの精神、力を合わせてやっていこうという精神が日本人にはある。バトンタッチしていく時のきめ細かな日本の作法。瑞穂の国であり、コメから学ぶことは沢山ある。

・地域の個性を生かした町づくり
 町づくりの原点は、信頼づくり。漁師の町・白老町に掲げたテーマ「人も元気、自然も元気、産業も元気」。町の人も元気、町外から来た人も元気、皆が元気になれるような環境づくりをしていこう!

・町づくりの原点は、信頼づくり。己の心を改善していく、人を大事にしていく、情報を共有していく、情報公開によって信頼関係を確立していく。
・歴史を掘り起こし、その地域にしかないものに光をあて、町全体を元気にしていく。
・点から線へ、そして面へと発展させていく。
・悪い所を探すのではなく、良いところに目を向けいけば、みんな元気になっていく。


浅井愼平さん:人間の幸福とは何かを考える

xxx・進むだけではなく、留まること、振り返ること、時には戻ることの大切さが浮かび上がる。
・30年前のイギリスで、取材のときに耳にした高校生(17歳)の意見「日本は何故、そんなに急ぐのだ!」に 衝撃を受け、以後、視点を変えて、世界を観るようになった。

・食べものには「物語」がある。作った人、育んでいった山や川、過ぎ去った時間、人々の愛情、様々な人間の生き方、そうしたものがおコメの中に込められている。
・「命の中の物語」を知ることによって「幸せ」を感じ、感謝の気持ちも溢れてくる。

・自分の命は、ほかの人の命の中にあり、ほかの人の命の中に自分の命がある。お互いに命は交わり、広がっていくもの。
・長い歴史の中で、これまで作り上げられてきた誇りを持ち続けるには、人間のあり方・人間の幸福とは何かということを考え続けることが大切。

・これからも、北竜町で、美味しいおコメ、素敵な花を作り続けて戴きたい。
・皆さん、どうぞ「良いおコメの物語」を作り続けてください。


会場からの発言として佐藤稔さん(有限会社 田からもち 代表)と寺内昇さん(北竜町ポータルサイト運営管理者)のお話。

佐藤稔さん:北竜町で実践している有機栽培米のお話

1956年(昭和31年)生まれ。農協青年部長を経て、現在、北竜ひまわりライス生産組合長。 1983年に有機栽培米をスタート。北海道指導農業士、北海道有機農業研究協議会常務理事・きたそらち農協監事を兼任。 2008年、農林水産省の第1回「農業技術の匠」に全国から選定される。佐藤稔さんの匠の技は「除草剤に匹敵する代替技術で有機栽培米を作る」として高く評価される。

佐藤稔さん ・地域連携としては、広域で、農業体験実習生の受入を行なっている。

・水稲に、新しい品種「空育172」がある。これは、いもち病の薬を使用しなくても栽培ができるコメであり、いもち病抵抗性が強い。北空知管内2ヶ所で試験栽培中。 かなり期待できるコメで、遺伝子を上手に使うことによって、農薬使用料を北海道基準の約3割で済むと考えられている。

・日本穀物検定協会の食味官能試験で、昨年、北海道の「ななつぼし」「ゆめぴりか」が、初めて特Aにランクされた。「おぼろづき」「ふっくりんこ」など、美味しいとされるおコメも控えているので、これからが多いに期待される。

・10年後には、農家の戸数が半減すると考えられるが、農家の法人化など考えあわせて、知恵を出しあい、安心安全なおコメに取り組んでいきたい。
・難しいところとしては、「栽培する広さによって、求められる経営管理能力は同じではない」ということ。
・北竜町の80戸の農家の所得調査を毎年行なっている。所得の根幹となるのは、栽培技術であり、経営管理能力である。20haを超えた栽培面積では、年間所得で1000万円という大きな差(400万円と1,400万円)が生じるているので、この点の改善努力が必要である。

・先人の方々が残してくださった、大切な生産基盤をしっかりと受け継き、実践していく努力を続けていきたい。


寺内昇さん:都会から移住し、2年半北竜町で生活して、町に対して感じた魅力についてのお話

1956年(昭和31年)生まれ。病を切っ掛けに、それまで勤務していた日本財団を退社し、夫婦で、2010年3月北竜町に移住。2011年7月に、無料のGoogleSitesを使い、手作りで町のポータルサイト「北竜町ポータルサイト」を開設する。ポータル運営責任者として、毎日、夫婦で北竜町の宝物に感動しながら、取材・写真撮影・記事作成に奔走中。


● 情報発信をしながら夫婦で感銘を受けた「北竜町が持つ3つの精神」

1.パイオニア精神
北竜町開町120年記念に、北竜町の開拓団長・吉植庄一郎の生家である千葉県本埜村(現・印西市)を訪問。4代目であるご子孫・吉植一貴さんにお会いすることができた。歴史を紐解くにつれ、時を超えて、受け継がれ、流れていく偉大なる力を感じることができた。そこには、困難を乗り越え、切り開いていこうとするパイオニア精神が、ふたつの町(本埜村と北竜町)に繋がって存在している。

2.食べものはいのち(生命)の精神
千葉県本埜村の吉植家3代目・吉植啓夫さんのお言葉「コメは単に食べものではない。人間の命を育んでいるんです」に込められたおコメづくり。魂が込められた有機栽培米が、4代目の一貴さんに受け継がれている。
一方、北竜町では、農民による農民のための産業組合を提唱した北政清さん、国民の安全生産に生涯を捧げた後藤三男八さん、その精神をしっかりと守りぬいていった、JAきたそらち・黄倉良二 元組合長の「食べものはいのち(生命)」の精神が提唱され続けている。
現在、北竜町では、黄倉良二さんの息子さん・正泰さんが有機栽培米を実践。 また、農林水産省の第1回「農業技術の匠」に選定された佐藤稔さん(有限会社田からもの 代表)が、有機栽培米で、慣行農業に匹敵する収量を確保されている。

3.「和」の精神
北竜町の町には「和」という地区名がある。開拓団がこの地に鍬を下ろした当時、吉植庄一郎さんが名付けられた。「和」は、聖徳太子の十七条憲法にある「和をもって尊しとなす」、そして、二宮尊徳先生の「人道とは和をもって本質」という精神の中から名付けられたもの(加藤愛夫さん著『いたどりの道』より)。

この「和」の精神があったからこそ、北竜町がおコメで「生産情報公表農産物JAS規格」を取得することができた。この規格は、トレーサビリティを担保する仕組みで、町あげて生産組合として、およそ200戸の農家がまとまって取得したのは、日本初。
JAS規格取得は、安心・安全なお米を提供するために北竜町の農家が、和の心をもって、新しいことに果敢にチャレンジするパイオニア精神を発揮したからこそ、成し遂げられたことだと思う。

こうした北竜町の3つの精神「パイオニア精神」「食べものはいのち(生命)の精神」「和の精神」は、北海道全体に共通する魂だと感じる。
北竜町から北海道へ、北海道から日本全国へ、そして世界へと「和」はさらに大きく広がっていくように思う。先人方から受け継いできたチャレンジ精神を忘れる事なく、「和」の精神を広げ、人間の命育む安心・安全な食べものを生産し続ける北竜町、そして北海道を世界に発信し続けていきたい。
そして、北竜町の人々が自分達の町の魅力に気づき、心豊かな人生を感じられるように情報発信をしていきたい。


☆ ☆ ☆


120年の時を超えて培われたきた北竜町の歴史が、佐野豊町長によって紐解かれ、北竜町出身の竹林孝さんが、北海道の行政という視点からお話をされ、さらに、町づくりを実践されてきた見野全さんからのお話により、過去・現在が繋がり、そして、浅井愼平さんの心の捉え方のお話によって、未来へと広がったように感じました。

そして、このフォーラム全体に流れていた共通の精神が、童門冬二先生の「恕」の心。

コスモス 「いつも相手の立場に立ってものを考える優しさ・思い遣りの心」
「目の前の与えられたことを、誠実に一生懸命やり抜いていく心」
「恕」の心が、「幸せ」の心へと繋がっていき、すべての命の循環が繰り返されていきます。

今回のフォーラムを通して、町の歴史を知り、様々な視点から、たくさんの気づきが与えられ、学び、前進していけることを心から感謝いたします。

過去・現在・未来と繋がっていくような偉大なる命の流れを、しっかりと感じることができたフォーラムでした。
この感動的な企画と素晴らしいコーディネーターをされた寺田昭一さん、そしてPHP研究所関係者のみなさんに深く感謝いたします。ありがとうございました。


☆ ☆ ☆


フォーラム終了後、公民館前広場にて「真竜獅子舞」が披露されました。

赤獅子は越中富山獅子、青獅子は淡路の流れをくんだもので、1987年に町指定無形文化財に指定されています。
笛と太鼓の音色に合わせ、勇壮に舞う獅子たちに、皆さん暫し釘付け。 それを見守る「北竜丸」の勇ましい姿が秋空に浮かび上がって輝いていました。


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青獅子・赤獅子


午後6時より、サンフラワーパーク北竜温泉で交流会が開かれました。
見事に並べられた豪華なお料理のお数々。皆さん、お腹も心もほっと一息。たくさんの感動と美味しさを満喫!

北竜町議会・佐々木康宏 議長の乾杯の音頭で幕が開き、サッポロビール北海道本社・井上和男 営業専任部長の乾杯で幕が降ろされました。


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交流会@サンフラワーパーク北竜温泉


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乾杯の音頭


過去、現在、未来へと繋がっていく命の循環

受け継ぎ、守り、伝えられていく、神宿る稲魂に

大いなる敬意と尊敬と感謝をこめて。。。


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フォーラム会場を飾る花


北海道地域創造フォーラム in 北竜「北海道・コメ・未来」
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◇ 撮影=寺内昇 取材・文=寺内郁子



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