自分姿NOW(北竜町民シーズン2)

今のご自分を表現するために、自分姿NOW
にチャレンジしてみませんか!


「ご自分の好きな服装(普段着・礼服・和服・作業姿・ランニング姿などなど)」「好きな場所(ご自宅・お庭・職場・農場・自家用車などなど)」「ご夫婦で」「ご家族で」「ご兄弟で」「同級生で」「仲間で」「ペットと一緒に」「遺影」、貴方の自由なポーズで撮影します。


今の自分を表現することで、
これからの自分が見えてくるかもしれません。
今の自分が作る未来を感じることができるかもしれません。


町民の皆様の人生の積み重ねと繋がりで、今の町が存在します。
今の皆様のお元気な姿を表現することで、北竜町が、さらに活性化し新たな光で輝き始めることを祈念いたします。
北竜町を情報発信で応援する私達が、真心込めてそのお手伝いをさせていただきたいと思います。

今を生きている貴方の素敵な瞬間を表現できたら最高です。

自分姿NOW

条件

・撮影対象 :北竜町民限定(北竜町在住)
・撮影場所 :北竜町内
・撮影日時 :ご相談
・ネット掲載:北竜町ポータル「北竜町民・シーズン2」コーナー(予定)
・写真寄贈 :2Lサイズ写真1枚
・費用   :無料(北竜町集落支援員として活動)
・使用カメラ:フルサイズ・SONY α7Ⅱ

ご連絡方法(寺内昇&郁子まで)

・メール、Facebookページ経由、お友達経由、どのような方法でもOKです。どうぞにご連絡ください
・メール:info★hokuryu.info(★を半角@に置き換えてください)
・Facebookページ:北竜町の宝もの https://www.facebook.com/hokuryunow/
・打ち合わせ日時を決めます

打ち合わせミーティング(1時間程)

・私達が、町内ならどこでもお伺いします
・いろいろ雑談もさせていただきます
・雑談内容はよろしければ、貴方を北竜町ポータル「北竜町民・シーズン2」コーナーでご紹介させていただきます
・撮影日時・場所を決めます

撮影

・寺内昇 & 郁子が指定場所にお伺いして撮影します(1時間程)
・2Lサイズの写真を贈呈します(無料です)
・B5サイズ以上をご希望の場合は、実費にて印刷発注いたします

四辻進(よつじすすむ)さん【003】

2017/11/30 12:50 に 寺内昇 が投稿   [ 2017/12/04 17:10 に更新しました ]

2017年12月1日(金)

xxx 
進さん(81歳)


1936年(昭和11年)7月生まれ(81歳)、四男三女の三男

▶ 旧北竜町農協に42年間奉職

北竜町碧水で生まれ育つ。北竜中学校、沼田高校卒業後、旧北竜町農協に42年間奉職。購買係、利用生産運輸係、信用係、農協書記、営農指導組合員係長、農協指導部指導課長、営農部長、生活部長、営農部長、参事など歴任。


42年間に亘る仕事の記録 
42年間に亘る仕事の記録


・昭和31年:農協購買係の時には、レジスター導入による一品受払いから、売価管理方式に移行
・昭和37年:営農指導組合員係の際には、営農計画書の簡素化を推進し、組合員勘定を導入
・昭和38年:農業構造改善基本計画書作成し、翌年トラクター利用組合設立
・昭和40年:碧水地区農業構造改善事業推進により、農業法人竜西農場設立、農業法人豊竜農場設立。
       その後、三谷地区、和地区、瑞穂地区などの農業構造改善事業が推進され、全町圃場整備が実施された
・昭和45年:営農部長の際には、第2次農業構造改善事業により、トラクター、防除機、コンバイン、
       ライスセンター、格納庫などの近代化施設を導入。生産調整が行われ、転作(小麦、そば、甜菜など)
       の作付けが推進された
・昭和49年:営農集団化構造推進により、全町に営農集団設立、そして、全町協議会が設立
・昭和54年:生活部長の際には、第13回欧州農業研修で、オランダ、西ドイツ、ユーゴスラビア、イタリア、
       スイス、フランス、イギリスの7カ国を視察。道中、旧ユーゴスラビアの空港で眼下に広がる
       ヒマワリ畑に感銘を受け、帰国後、農協婦人部にひまわりの栽培を提案。
       農協婦人部による、ひまわり一戸一アール作付け運動が推進。このことがきっかけとなり、
       ひまわりの町・北竜町として、昭和62年には「ひまわり祭り」がスタート
・昭和57年:営農部長の際には、ひまわり加工施設が建設され、ひまわりナッツが発売された
・昭和58年:異常気象の降雪により、全町400haの圃場が被害を受け、「稲起こし援農」が実施された
・昭和59年:「メロンを作ってハワイへ行こう」の合言葉で、町の特産品メロン栽培で販路拡大に努める
・昭和62年:参事就任
・昭和63年:8月下旬の大雨による大災害。激甚災害の指定を受け、空知支庁、北海道開発公社の支援を得て、
       設計・施行などの復旧工事に努める
・平成4年 :北農中央会より、功労職員表彰を受ける
・平成7年 :農協を退職。北農中央会より、永年功労賞受賞
・     :北空知広域農業協同組合連合会、「元気村こだわり米」統括本部長勤務。~平成10年退職
・平成11年:ひまわりの里「ダチョウクラブ」を設立。事務局長を務める
・平成12年:桜岡町内会長を9年間務める。北竜ライオンズクラブ幹事就任
・平成13年:北竜町町内会長連絡協議会会長を8年間務める
・     :北竜町パークゴルフ協会事務局長を3年間務める
・平成14年:ひまわりボランタリー協会が設立し、役員を務める
・平成17年:北竜町パークゴルフ協会会長就任し、10年間務める。
       同時に、国際協会パークゴルフ協会指導員を平成28年まで務める
・平成20年:北竜町社会福祉協議会評議員就任
・平成21年:桜岡老人クラブ会長を8年間務める
・平成23年:「第17回JALカップPG大会」を北竜町・雨竜町の共催え開催し運営を行う
・平成25年:北竜町老人クラブ連合会会長就任
・平成26年:「北竜町ひまわり長寿会(和・碧水・美葉牛の3連合会を統合)」の会長就任
・平成29年:清雲寺第五世住職就職式記念式実施、記念誌編集、発刊
・     :「ひまわりライス日本農業賞受賞」祝賀会参加
・     :ひまわり大学クラブ活動「パークゴルフ同好会」設置・開催


▶ 結婚

四辻進さん・明子さんご夫妻 
進さん・明子さんご夫妻


1962年(昭和37年)明子さんと結婚。一男一女に恵まれる。農協退職後に始めたパークゴルフは、今年で16年目を迎え、奥様の明子さんと一緒に、練習や試合を楽しんでいらっしゃいます。


人生観を学んだ4人の組合長

1.後藤三男八組合長から「仕事は仕事に聞け。仕事をきちっとやれば、いろんなことがわかってくる。怠けたらだめだ」という教訓を学ぶ
2.村井日吉組合長は、オートバイで、どんな現場にも駆けつけるという現場主義。現場で体験し実感する大切さを学ぶ
3.西野秀一組合長は、「一人の百歩より、百人の一歩が大切」という考えのもと農協の協力体制における大切さを語る。見切り発車もある時は大事だけれども、できるだけ皆が理解して引っ張っていくことが大事」という教えを学ぶ
4.黄倉良二組合長からは、「食べものはいのち」の精神のもと、北竜町が「国民の生命と健康を守る安全な町を宣言する」という北竜町の姿勢を学ぶ


北竜町農協・歴代組合長 
北竜町農協・歴代組合長:右より 初代:北政清氏、3代:村上朝夫氏、2代・4代:石川実氏、
5代:後藤三男八氏、6代:村井日吉氏、7代:西野秀一氏、8代:黄倉良二氏


農協の仕事では仲間との出会いが宝物

農協では様々な先駆的な仕事を手掛けたので、青年部の若者と仲間になったり、生活部の婦人部の人ともコミュニケーションを捕りながら仕事ができ、色々な方々・仲間との出会いが宝物になりました。

大変だった時期は、農業構造改善事業が実施された時代。生産基盤の整備開発、トラクターなどの大型農業機械の導入、地盤整備など、新規の様々な取り組みが進められ、困難な課題が山積みでした。


人生において最も大切なことは「感謝」

「感謝の心」です。これまで、多くの人々に育てられて、現在の自分が存在できることに感謝の気持ちでいっぱいです。
妻と一緒に、この感謝の気持ちを出来る限りのことをして社会にお返ししていきたいと思います」と、奥様の明子さんと笑顔を交わしながら、お話してくださった四進さんです。


四辻進さん 
進さん

四辻明子さん 
明子さん

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若かりし日の四さんご夫妻

第6回干場一杯夫婦大会2017にて 

第6回干場一杯夫婦大会2017にて 
第6回干場一杯夫婦大会2017にて

表彰状・北海道農業協同組合中央会 
表彰状・北海道農業協同組合中央会

功労賞・北竜町体育協会 
功労賞・北竜町体育協会

感謝状・北竜ライオンズクラブ 
感謝状・北竜ライオンズクラブ


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◇ 撮影・編集:寺内昇 取材・文:寺内郁子

干場一(ほしば はじめ)さん【002】

2017/10/29 16:01 に 寺内昇 が投稿   [ 2017/10/30 14:31 に更新しました ]

2017年10月30日(月)

干場一(ほしば はじめ)さん 
干場一(ほしば はじめ)さん


昭和4年生まれ 88才、六男三女の長男

1929年(昭和4年)5月生まれ、農家の六男三女の長男。雨竜町で生まれ、5才の時に豆腐店開業に伴い北竜町に入る。長男の干場一さんを筆頭に、9人弟妹だったので、兄妹の教科書やランドセルなどの学用品はすべておさがり。

家屋も広く、家族も多かったので、市街の子供たちが集って遊び賑わった。冬になると家の大きな屋根からの傾斜面に雪が積り、まるでスキー・ゲレンデ。「和スキー場」と呼んで、みんなでスキーを楽しんだ。


就職そして結婚

小学校時代、肋膜炎を発症し、学校を休んだ時期もあった。真竜小学校卒業後、高等小学校で2年間、その後、北海道岩見沢農業高等学校で3年間学ぶ。

高卒後は、北竜町役場に就職が決まっていたが、小学校の教員が不足していたこともあり、真竜小学校の教員に抜擢される。教壇に立ち、書道と図工も担当。2年間教員を勤め、1949年(昭和24年)、役場職員としての生活がスタート。25才のとき、青年団で知り合った、3才年下の俊子さんと大恋愛の末、結婚し一男二女に恵まれる。


御両親の豆腐屋経営

ご両親は、農家を営んでいたが、商売への転職を望み、1935年(昭和10年)北竜町へ入る。北竜町和地区で廃業した豆腐屋を譲ってもらい、豆腐店を開業。ご両親と妻の俊子さんの3人で豆腐屋を営む。

当時、ご両親弟妹合わせて13人家族。俊子さんは、朝食、昼のお弁当、夕飯の御三どんの上、ご両親のお豆腐づくりのお手伝いと朝から晩まで働きづくめの毎日。

「あの頃のお豆腐づくりは、機械ではなくすべて手作業。1日何回もの手動ポンプでの水汲み、冬は氷の張った冷たい水に素手を入れての豆腐の取り出し、重し用の重たい石の移動など大変な作業の連続でした」と当時の苦労を語る俊子さん。

戦時が始まるとお父様は国鉄に入社。その後バス会社を経て、委託制度により、駅長を勤めると同時に豆腐屋を閉店した。


森正一町長のもとで助役を3期

干場一さんは、20才の時に北竜町役場に就職。27才で土木係長、森町長就任時に建設課長に任命されて以来、産業課長、企画課長、総務課長、教育長を歴任。そして50才の時に助役に就任し、7期28年間務められた森町長の片腕となり、助役を3期12年間勤める。退職するまで42年もの間、町の発展に精魂込めて尽くす。


独学で2級建築士資格取

建設課のとき、独学で2級建築士の資格を取得。
当時、建築の担当者がいなかった。公営住宅を立て始めた時期で、空知支庁より公営住宅を建てるには、建築資格者が条件がつけられた。森町長より、干場さんに建築士資格取得の命が下される。干場さんは独学で勉強し、2級建築士の資格を見事に取得された。


退任後、サンフラワーパーク北竜温泉支配人に就任

1991年(平成3年)、森町長の退任と同時に干場さんも助役を退任。
「森町長に長年仕えてきて、自分の役職として憎まれ役をかってきたという自負がありました。次期町長には他の人がなった方がよい思い、森町長と一緒に退任しました」と干場一さん。

その後、サンフラワーパーク北竜温泉の支配人を務める。「63才からのホテルの経営は、初めての経験で大変な苦労でした」と干場さんは、様々な苦労をお話くださいました。


役場職員時代大切にしてきたもの

「上司、同僚、部下、仲間と仲良くやっていくことに、自分なりに力を尽くしました」と、人と人との繋がりや、良好な人間関係を大切にされた干場一さんです。


68才からの第二の人生

町の老人大学「北竜町ひまわり大学」入学、全国組織の「新老人の会」北海道支部への入会で世話人を務めたり、ご夫妻で春から秋はパークゴルフを楽しんでいらっしゃいます。


祝!平成28年秋の叙勲・瑞宝双光章 受章

秋の叙勲にて地方自治功労による瑞宝双光章を受章!
干場氏の42年間余の長きに亘る、地方公務員としての職務を果たされ多大なる功績に対して授与されました。秋の叙勲式には、勲章を着用し、ご夫妻で、皇居にて天皇の拝謁が行われました。


「瑞宝双光章」受章祝賀会にて(2016年12月11日) 
「瑞宝双光章」受章祝賀会にて(2016年12月11日)

平成28年度秋の叙勲「瑞宝双光章」 
平成28年度秋の叙勲「瑞宝双光章」


健康第一の人生

「いつのときも、何事にも、精一杯向き合い取り組んできました。これからの人生も、なにより健康で、1日1日を大切にゆっくりと歩んでいきたいと思います」と、穏やかな笑みを浮かべる干場一さんです。


第6回干場一杯夫婦大会 
第6回干場一杯夫婦大会(撮影:2017年10月1日)

干場一さんティーショットのアドレス 
干場一さんアドレス

干場俊子さんティーショットのアドレス 
干場俊子さんアドレス

グリーンにて 
グリーンにて

ご夫婦で 
ご夫婦で

ホールインワン! 
ホールインワン!

祝!ホールインワン 
祝!ホールインワン

干場一さんのティーショット! 
干場一さんのティーショット!

ゲーム終了後のご挨拶 
ゲーム終了後のご挨拶

来年もまたお会いしましょう 
来年もまたお会いしましょう

参加者全員で祈念撮影 
参加者全員で祈念撮影


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◇ 撮影・編集:寺内昇 取材・文:寺内郁子

田中盛亮(たなか もりすけ)さん【001】

2017/10/22 16:20 に 寺内昇 が投稿   [ 2017/10/22 16:20 に更新しました ]

2017年10月23日(月)

田中盛亮さん(80歳) 
田中盛亮さん(80歳)


プロフィール

・1937年(昭和12年)1月生(80才)

北竜町青年団団長、北空知青年団団長を歴任

青年団は、各地域の20歳代から30歳代の青年男女により組織される団体。各市町村の青年団は、都道府県の青年団連合体に加盟し、さらに全国組織を結成。活動としては、全国青年大会(バレーボール、野球、フットサルなどの各種スポーツや演劇などの文化活動を発表する大会を開催。また、研究集会では、青年団が集い、発表・討論会が実施されています。 「私は、青年団活動で様々な事を学びました。青年団は、私の人生に於ける人間形成の基盤といえます」と、誇らしげに語る田中盛亮さん。


農民協役員、町議員(副議長・議長)

農家を営みながら、農民協役員、町議員(副議長・議長)を4期16年間勤める(1983年~1999年)。


農業と掛け持ちで、金山建設で5年間勤務

2000年(平成12年)、金山建設(株)で農業受託事業としての新分野「農業委託部」が設立。当時、金山社長が、地元農協の元組合長・黄倉良二氏より、農家の高齢化による人手不足等様々な相談を受け、農業者である田中盛亮氏が中心となり、新規分野の事業が展開していった。 農業受託事業は、農繁期に、建設会社の従業員や地域の農業者OBなどを派遣し、農作業に従事する事業。建設会社における農業分野への参入は、世の話題を博した。東京の大手新聞社3社(朝日・読売・毎日)が取材に訪れ、NHKでも道のスペシャル番組として取り上げらる等、当時マスコミの注目を浴びた。


社会福祉協議会会長を10年間勤める

引退後は、パークゴルフを楽しむ


人生の指針

「何事も心を尽くすことです。愛をもって、常に精一杯、一生懸命に向き合って行動することです」
「困難や苦しみを抱えたときは、その問題に真正面からしっかりと向き合い、将来の難問を思案し悩むのではなく、今その瞬間をいかに切り抜けるかを必死に考え行動する。相手の悩みを聞いてあげるだけでも、心が落ち着き、悩みは薄れていくもの。物事は成すようにしか成らないので、しっかりと向き合っていれば、時間が解決してくれることが多々あります」。


これまでの人生において最も大切なこと

「私の人生、悲しいことをたくさん背負って生きてきました。それでもキラッときらめくしあわせなことも多々ありました。その中でも人生最高に幸せと思うえることは、3人の素晴らしい女性に出逢えたことです」。


人生で心に残っている言葉

「宇宙飛行士アームストロングが、月面着陸生還後のインタビューで、アームストロング本人の喜びの言葉よりも、『人生最高の喜びは、アームストロングと結婚したことです』と語った夫人の言葉に感動しました。 『野村監督の言葉で、『夫婦円満の秘訣は、お互いの想いを成就させるために努力することです』というこの言葉は今でも覚えています」。

 「夫婦としての出会いは、人生最高のことであり、相手(パートナー)への思いやりこそが、人生を円満に幸せに生きていく道筋なのだと思います」と、しみじみと語ってくださった田中さん。
人生における人との出会い・ご縁をとても大切にしている田中盛亮さんです。


田中盛亮さん・和子さんご夫妻 
田中盛亮さん・和子さんご夫妻

田中盛亮さん・和子さんご夫妻 
田中盛亮さん・和子さんご夫妻

田中盛亮さん@北竜ひまわりパークゴルフ場 
田中盛亮さん@北竜ひまわりパークゴルフ場

ナイスショット 
ナイスショット

ナイスショット 
田中盛亮さん

お二人で 
お二人で

アプローチ 
アプローチ

仲睦まじく 
仲睦まじく


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◇ 撮影・編集:寺内昇 取材・文:寺内郁子

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