2014年8月15日(金)
「北竜ひまわりまつり2014」期間中で、8月2日(土)~11日(月)の10日間、ひまわり観光センター内で竹内洋子さん(67歳)の「HIROKO ひまわり展・生きる」が開催されました。
竹内洋子さんは北竜町ひまわりの里に魅了され、6年間毎年夏に訪れ、北竜町のひまわりを描き続けました。
今年、6月に表参道ヒルズのギャラリーコーワで、そして8月に北竜町での個展開催が実現。
北竜町でのひまわり展では、アクリル画と木版画合わせて29作品が展示されました。
大盛況のもと最終日を迎えた8月11日(月)、竹内洋子さん、熊木隆さんご夫妻にお話を伺いました。
左より:佐野豊 町長、竹内洋子さん・熊木隆さんご夫妻
▶ エネルギーを表現する絵画
「私は、エネルギーやパワーを表現するのが好きです。
その対象は、『海』『空』『太陽』『富士山』だったり様々。
30年描き続けた『海』は、怖いほどのエネルギーを感じます。
海から感じるエネルギーをそのまま受け止め一体となれるのです。
そのエネルギーが、自分の身体を通過していく感覚を、何も考えずに、素直に表現し描きます。
そして『花』を描いてみたいと思った時、『ひまわり』が思い浮かび、大きなエネルギーを感じました。
自分が負けてしまいそうなくらい偉大な『ひまわり』のエネルギーに魅力を感じています」
と話される竹内さんです。
左:竹内洋子さん個展「生きる」ひまわり観光センター
中:竹内洋子さん・熊木隆さんご夫妻 右:ひまわり絵画教室
▶「北竜町のひまわり」との出逢い
自分にぴったりの「ひまわり探しの旅」に費やされたおよそ3年の年月。
山梨県のひまわり畑、千葉県のひまわり畑、新潟県のひまわり畑、静岡県のひまわり畑・・・
日本各地のひまわり畑を訪れてみましたが、なんだかしっくりこない。自分を超えるパワーが伝わってこない。
そうだ、北海道へ渡ってみよう!
インターネットで調べ、北竜町のひまわり畑の存在を知ったのが2006年(平成18年)。
絵画友達二人で、地図を見ながら、なんとか辿り着いた北竜町のひまわりの里。
北竜町のひまわりたちに出会った時「このひまわりが、私が描きたかったひまわりだ!」と直感した洋子さん。
「このひまわりたちを描きたい」という燃え上がる心のままに毎夏通い続けた6年の歳月。
北竜町のひまわり
北竜町ひまわりの里
▶ お気に入りは「世界のひまわり」たち
「世界のひまわり達は、一輪一輪がとても個性が豊かで、育ちも良くて一番描きやすかったですね。
ここのひまわりたちは、まるで『手編みのセーター』みたい。『機械編みのセーター』のように整然としていなくて、とっても味わい深い。この世界のひまわりは、北竜中学校の生徒さんたちが、心をこめて育てたひまわりであることを今年初めて知り、深く納得しました」。
バイカラーミックス(アメリカ)@世界のひまわり畑
▶ ひまわりのエネルギーを描く
「ひまわりを描く時は、直感で相性のいいひまわりと目が合い、そのひまわりに呼ばれているように感じるんですよ」と語る洋子さん。
「そのひまわりにどんどん入り込んで、ひまわりと一体となった感じ。
ひまわりと向き合った時、『無』の状態になり、自分自身なんて無いんです。
そして、そのひまわりから感じられるエネルギーをありのままに表現していきます」。
洋子さんの絵は、瞬間に感じたエネルギーをその場で描かれるので、
短時間で表現される瞬発力の強い絵です。
ひまわりの里・世界のひまわり畑で筆を進める竹内洋子さん
左・中:撮影を終えた熊木隆さんとご一緒 右:6枚のキャンバスを収納できる特注ラック
▶ 縦150cm・横40cmのキャンバスに描かれたひまわりたち
「ひまわりを等身大で描きたかったので、キャンバス生地を縦長に裁断。
最初は、ロール状のキャンバス生地をそのまま持参し、その場で長く切り取りベニヤ板にクリップで留めて、感じるままに描いていました。
1回の訪問で、車の特注ラックに縦長のキャンバス6枚が掲載可能です。
描き足りないので、再び訪れて描いているうちに、気がついたら6年が経過していました。
5年目くらいからこのひまわりで個展をやってみようかなと考えるようになり、7年目に準備段階に入り、8年目の今年に個展が実現。
展示のためのひまわりの絵は、額縁は使わず、絵に合った色の布を探し、枠取りを施しました。
群生して広大に広がっているひまわりのイメージを表現するために、ひまわりを上から吊るす展示方法を選択。
お客様に、ひまわり迷路を巡るように鑑賞していただきたかったのです。
額に入れて収めるのではなくて、雑草のように逞しく、ランダムに咲いているイメージを縁取りの布で表現してみました」
と楽しそうに語る洋子さんです。
竹内洋子さんが描かれた「北竜町のひまわり」
竹内洋子さんの作品
▶ これからのライフワークのテーマは「皇居の松」
「今後描いてみたいものは『皇居の松』です。
21世紀から22世紀へと移り変わる時代の中で、そこに自分が存在して感じた、その時代の『皇居の松』を記録に残しておきたいと思います」
と語る洋子さんのエネルギーは、限りなく広がっていきます。
▶ 田畑弘先生(真樹会代表)の絵の中に存在する精神(心)
竹内洋子さんは、真樹会創設時にメンバーとなり、以来田畑弘先生のご指導を受けていらっしゃいました。
田畑弘先生の絵を拝見していると、不思議にも、洋子さんの絵から伝わってくるエネルギーと同じようなものを感じます。強烈な力強さのなかに、優しさと包み込むような温かさが伝わって来ます。
田畑先生は、絵画技法について細かく指導されることはありませんでしたが、いつも洋子さんに語りかけてくださるのは、「対象物を良く観て、じっと観て、一気に描きなさい」というお言葉でした。
洋子さんがひまわりを描くとき、
田畑先生の所に行って、必ず問いかける言葉は、
「先生、絵って何で描くんでしょうね」
「描きたいから描くんでしょう」と穏やかにお答えになる田畑先生。
「自分自身が描きたいから描く絵」。
その言葉には、「物そのものを描くのではなく、そのものと一体となって共鳴し、そこから伝わってくるメロディを絵筆に託し、それを自由にありのままに楽しんでいる」
・・・言葉では表すことのできないような深いものを感じていた洋子さんです。
「田畑先生の絵に対するフィーリングと私の中に存在するフィーリングが、なんとなく同じように感じていました。私は、田畑先生のお言葉を素直に受け取り、ストレートに理解することが出来ました」と洋子さんは、田畑先生のお言葉、学び、語らい、そして田畑先生と共に歩んできた時の流れをじっくりと噛み締めながらお話くださいました
ひまわり版画
▶ 真樹会美術研究所所属(田畑弘代表)
竹内洋子さんが所属していた真樹会美術研究所は、田畑弘氏により1978年(昭和53年)に結成された美術研究所。
毎年5月に開催されていた「真樹会展」を最後に、今年5月に天国へ旅立たれた田畑弘氏。
そして36年間続けられた真樹会の幕が降ろされました。
田畑弘氏は、1929年(昭和4年)富山県富岡市生まれ。彫金師の父親に筆使いを学んで育つ。大学で美術を学び、富山県美術展コンクールで受賞。その時の審査員が棟方志功氏。その後棟方志功氏のご指導を受け、上京を決意。個展を重ね、フランスに留学、後アルゼンチンやブラジルに渡り、インディオン達と10年間ともに暮らす体験を得る。帰国後、奥様文子さんの影響を受け、聖書の世界へ没頭。「アマゾン讃歌」と題した連作をはじめ、聖書を題材にした作品の数々に取り組まれていらっしゃいました。
昨年2013年11月に出版された田畑弘作品集『一つの星』は、田畑氏が、人生において求め続けた永遠のテーマの集大成。
そして、HIROKOひまわり展によせて書かれた、洋子さんへのメッセージが、田畑弘先生の最後のお言葉となりました。
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HIROKOひまわり展によせて
感動と同時に筆が走る。
それが竹内洋子さんの作風だ。
悲、喜、苦、美・・・感じながら描き、
描きながら感じる。
私が初めて竹内さんと出会った頃は、
自分の溢れる想いを一枚の絵にまとめ上げるのに
七転八倒していた。
しかし その不器用な筆使いの間から、
類稀なる感性が感じられた。
それから30余年、たゆまぬ精進努力を重ねられ、
今日独特な世界観を確立された。
豊かな感性と高い技もある。
激しさと優しさが同時に存在する作品は、
見る人の心を引き付ける。
今後が非常に楽しみで目が離せない作家の一人である。
2014年3月 真樹会代表 田畑 弘
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田畑 弘 先生画(引用:画家・田畑弘 ホームページ)
北竜町で開催された「HIROKOひまわり展」では、
田畑先生が、穏やかな笑顔でいつも洋子さんのことを見守り、
成功を願ってくださったことでしょう。
洋子さんの大好きな色は「橙色(だいだいいろ)」。
「絵の中のどこかに『橙色』が存在していると、なんとなく落ち着くんです」と洋子さん。
橙色は、朝陽と夕陽の色。
昇って、沈みゆく色、
スタートであり、エンドである色、
まさに、永遠に循環し、上昇していく色、
そして、すべてを包み込むようなあたたかさを秘めた色。
洋子さんそのまんまの色「橙色」。
「元気」と「笑顔」に満ち溢れたひまわりたちの
ほとばしるエネルギーをに描いてくださった
太陽のように明るい天真爛漫な竹内洋子さんに
大いなる愛と感謝と祈りをこめて。。。
竹内洋子さん熊木隆さんご夫妻・日本海に沈む夕陽に染まって(撮影:佐野豊 町長、増毛町にて)
▶ キャメラマン・熊木隆さん
竹内洋子さんが「たかちゃん」と呼んでいらっしゃるご主人の熊木隆さん、とっても素敵な、仲の良いご夫妻です。
熊木隆さん(68歳)は、日本大学芸術学部写真学科で写真を学ばれました。
社会人になってからは映画の虜となり、現場経験を積んで、映画キャメラマン(撮影監督)として活躍。
ちなみに、映画撮影の現場では、動画を撮る人をキャメラマン、静止画を撮る人をカメラマンと呼んで区別するそうです。
また、熊木さんは、記録映画の仕事もされていました。法隆寺宝物殿の国宝級収蔵物の撮影、大鳴門橋が完成するまでの工程の記録、大型船舶ディーゼルエンジンのオイル・メンテナンスに関する記録、海外での撮影などなど。普通ではなかなか経験することのできない場所に立ち入って撮影をされたとのことです。
現在は、プロカメラマンとして、農業協同組合新聞の対談模様の静止画の撮影をされるなど、幅広くご活躍中です。
今後の夢は、人物ポートレートの個展の開催。それも、原点に立ち返って、階調豊なモノクロフィルムを使って撮影したいとおっしゃっていました。
実直に「正確に撮る」ことを実践されている職人気質の熊木キャメラマンです。
竹内洋子さん熊木隆さんご夫妻の今後のますますの活躍をご祈念申し上げます。
北竜町のひまわり(撮影:熊木隆さん)
北竜町ひまわりの里・花火大会(撮影:熊木隆さん)
太平洋フェリー(大洗港〜苫小牧港)から見る朝陽(撮影:熊木隆さん)
◆ その他の写真
・竹内洋子さんのひまわり画等の写真はこちら >>
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◆ 竹内洋子さんアトリエ
・スタジオクマ(Facebookはこちら >>)
東京都豊島区池袋3-63-6
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・HIROKO ひまわり展・生きる(表参道ヒルズ・東京都)竹内洋子さんが描く北竜町のひまわり(2014年5月12日)
◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子