「田からもち」は地域の起業農家グループ・ひまわり農産の手づくりもち(前編)

2011/04/21 0:32 に 寺内昇 が投稿   [ 2017/01/28 21:52 に更新しました ]
2010年11月10日(水)前編

田からもち ー米は田からの贈物、日本人の宝物ー

「米は田からの贈物、日本人の宝物」という魂をこめて名づけられた北竜のお餅「田からもち」。北竜町のもち米「はくちょうもち」の生産農家が協力し合って栽培し、そして真心こめて加工したお餅です。

北竜町の清らかな水と肥沃な大地で低農薬栽培され、添加物を使わない安心・安全な手作りのお餅。まさに、北竜町の宝物(たからもの)です。

「田からもち」の産みの親である吉田勉さん(61歳)にお話をお伺いすることができました。
吉田さんは、有限会社ひまわり農産・代表取締役社長であり、また、もち米を栽培している農家でもいらっしゃいます。


笑顔も豪快な吉田勉さん(有限会社ひまわり農産・代表取締役社長)
笑顔も豪快な吉田勉さん(有限会社ひまわり農産・代表取締役社長)


うるち米栽培から、もち米団地へ

1987年(昭和62年)、北海道あげての施策として、道内に「もち米団地」を制定することになりました。もち米は、うるち米の花粉がつくと、うるち米になってしまいます。品質を保つために、うるち米を全く作らない、もち米栽培だけの一定面積の地域を団地とし、さらに、うるち米のもち米への混入を防ぐ方法が求められたのです。

当時吉田さんは、1985年(昭和60年)から15年間、北竜町農業協同組合(以下、農協)の理事を勤められました。吉田さんは、うるち米の栽培から、当時うるち米より価格が高かったもち米の生産へと切り替えを、近郊の農家へ提案しました。団地として認定されるには、一定以上の栽培面積など条件をクリアすることが必要です。農家の皆さんと、何回となく対話を重ねました。

町内での準備を終え、厳しい条件・検査をクリアした北竜町は、もち米団地として認定されました。当時、もち米団地は、空知管内では5か所に限定されていました。現在は、北竜町・幌加内町(きたそらち農協)、芦別市(滝川農協)の3市町村。

2010年度(平成22年度)、北竜町のもち米団地は12農家、作付け面積130 ha。うち、ひまわり農産のメンバーは5農家、作付け面積70 haです。


もち米農家による、もち米加工ビジネスの起業

しかし、もち米の価格は振れが大きく、農家の収入は浮き沈みを繰り返しました。

そのような状況の中、吉田さんは1999年(平成11年)、農協広域合併を契機に「好きなことを仲間と一緒にやろう」と決意され、農協理事を退任。50歳でした。安定した価格で販売できる、もち米の加工ビジネスを地域の人々と一緒に始めることにしたのです。

同年4月に「もち加工研究会」を設立。同研究会では、研修、視察、全体討議が何度も繰り返されました。7 月には6戸の農家が結集し「北竜町もち加工組合」が誕生。1農家100万円の出費金により、資本金600万円からスタートしたのです。

さらに、北海道の農業元気づくり事業の補助金670万円を活用して、納屋を改装し機械を導入。もち米加工工場を建設されました。多くの町民のご協力により、同年11月には販売が開始。

翌年の2000年(平成12年)3月には「有限会社ひまわり農産」が設立されました。

もち米団地の申請、さらに、もち米加工ビジネスを進めるためには、地域農家全戸の意見が一致しなければなりません。諦めることなく、納得のいくまで何度も話し合いを続け、事業を進められました。
そして、安心・安全なもち米を栽培していくために、低農薬栽培の基準を設定し、自分たちのできることを追及し実行したのです。

こうした一致団結力は、まさに先人から受け継がれた魂を表しているように感じられました。


田からもち 製造風景 扇風機で冷やしながら、水を添加しないでもちつき


苦労の連続を乗り越え、進化し続けるもち米加工

もち米加工品の製造・販売にあたっては、苦労の連続でした。

一切れのもちの大きさ、包装袋の大きさ、化粧箱などひとつひとつ詳細に丁寧に決定し、クリアしていかなければ次の過程に進めないことなど、多くのの難問を乗り越えての道筋。幾度となく作り直されるサンプル商品に、多くの方々の意見を取り入れ、試行錯誤の連続だったそうです。

そのなかでも、難しかったのが、豆入りもちの製造。どうしたら、豆から剥けた皮がもちに入り込まず、豆だけをもちに混ぜることができるのか。吉田さんは、農家の祖父母に受け継がれていた伝統的手法を思い出しながら、豆を蒸す方法を考え抜いていったそうです。

「もち米の加工技術については、新潟の工場に何度も足を運び、多くの皆さんから教えていただきました。当時の親切な指導には心から感謝しています。ですから、私達も、教えて欲しいという方には、どなたにでも知っている事を、何でもお教しています」と吉田さんは、笑顔でおっしゃいました。

また、3年前に、北竜町にもち米専用の精米工場が作られました。その工場は、小分けについて、厳しい生産情報公表JAS規格の認証を取得しています。この認証により、北竜町のもち米は、安心・安全でトレーサビリティが確保されたもち米になりました。

また、新製品の開発にも余念がありません。北竜町産黒千石・深層海水ミネラル塩を加えた「豆もち」も、特注製品として製造されています。


丁寧にひとつひとつ手作業で袋詰め 梱包作業も真心込めて


老いも若きも参加する地域参加型ビジネス

よもぎ餅のよもぎは、北竜町の高齢者の方々がアルバイトで採取した、北竜町産のよもぎです。採取したよもぎを茹でて冷凍保存。製造するたびに、再び茹でたものをお餅に混ぜ込みます。
お元気な高齢者の方々が、働く事によって報酬を得るという地域密着型のビジネスが、ここにあります。

また、つきたてのお餅をのしたり、切ったり、真空パックの包装などの真心こめた手作業は、誰でもすぐにできるものではなく、手早さと高い技術が必要とされます。熟練者が、次世代の若い人へ技術を引き継ぐためのジョブローテーションも組まれていました。

従業員の方々の真心と相互の協力が調和してこその仕事です。従業員皆さんの和が、おいしいお餅を生み出す礎となっているように感じました。


夏場におかきを製造

苦労の積み重ねが実を結び、2004年(平成16)年から売り上げは3,000万円を超えました。しかし、一方では、工場設備の製造能力も限界を迎えました。とはいえ、新たな設備投資をして生産能力を上げることは難しい状況です。

そこで、おもちの製造が少ない夏場に、おかきを生産することにしたのです。2004年(平成18年)のことでした。

原料も厳選し、油は、深川油脂工業株式会社(北海道深川市)さんの100%こめ油を使用。塩は、天然自然塩です。

6mm~7mmの幅で細長い厚さに切って網に広げ、冷蔵庫内で1週間乾燥。17%まで水分を抜きます。さらに、常温で1週間から10日、割れないようにゆっくりと時間をかけて乾燥させていく。冷蔵庫は、海上輸送用の保冷コンテナを活用。内部の温度を、年中5度に設定し、徹底した管理体制を整えていきました。

2008年(平成20年)、日本最北の酒蔵・国稀酒造(くにまれしゅぞう・北海道増毛町)さんからの発注で、酒粕入りのおかき「吟醸あられ」の製造がスタート。年間およそ12,000パック。

安全・安心なもち米加工の心は、環境問題にも向けられています。将来へ向けて、おかき製造の廃油を利用した、バイオマスの検討が始っています。



 いくこ&のぼる