2012年1月17日(火)
地域おこし協力隊 隊員ブログ「ひまわりの里・北竜町(北海道)」だより」の記事「北竜町開拓記念式並びに功労者表彰式 2011(2011年05月19日)」に、こうちゃんこと、田中幸光さんより、貴重なコメント頂きました。
田中さんは、北竜町のご出身。
ご自身のブログ「二葉亭餓鬼録」の中で、北竜町の思い出を綴っていらっしゃいます。
◆ ブログ「二葉亭餓鬼録」
・北竜町に関する記事一覧はこちら
・プロフィール
「北海道・北竜町をつくった人びと。」の記事では、北竜町の開拓について詳細に述べられています。
こうちゃん・田中幸光さん(北竜町出身)
ブログより引用
いただいたコメントをご紹介させていただきます。
地域おこし協力隊 隊員ブログ「ひまわりの里・北竜町(北海道)」だより」
2011年05月19日
北竜町開拓記念式並びに功労者表彰式 2011
吉植庄一郎さんが北海道に入植されたころは「印旛郡埜原村(やはらむら)」といわれていました。
「やはら」と書いて土地の人は「やわら」と発音していました。これを受けて吉植庄一郎さんは北海道への入植を決めるとき、「やわら」と命名されたのだと思います。
第二のふるさとというわけでしょうか。
それを、聖徳太子の「十七条憲法」に出てくる「和をもって……」の「和」とし、その一字で表記することを決意したのでしょう。そのときの「埜原村(やはらむら)」が、大正2年に本郷村と合併し、「本埜村」になったわけで、歴史的にはどちらも正しいといえます。
ブログ「二葉亭餓鬼禄」に「北海道・北竜町をつくった人びと」の記事の中でくわしく書きましたので、ご参考になればと思い、ペンを執りました。
投稿者 田中幸光 | 2012-01-08 13:10:10
投稿者 のぼる&いくこ | 2012-01-10 19:14:05
◇ いくこ&のぼる
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