半世紀に亘り詠み続ける「道俳句会・北竜支部」

2014/02/12 13:09 に 寺内昇 が投稿   [ 2015/04/15 14:36 に更新しました ]
2014年2月13日(木)

昭和41年(1966年)設立の「道俳句会 北竜支部」は、現在、山本玲子 支部長(80歳)を中心に、会員9名の方々が活動している俳句会です。今年で48年を迎える、今なお元気な俳人の会。

設立当初、主宰として指導にあたられていた俳人が北光星(きた こうせい)氏。
北光星氏は、大正12年(1923年)北海道北見市生まれ。4歳から28歳まで北竜町で過ごす。「ふもと」主宰・竹田凍光氏の手引で俳句を始められました。昭和24年(1949年)細谷源二氏の『氷原帯』に編集同人として参加。大工俳人として俳句界で注目を浴びました。

昭和25年(1950年)北竜町和に「氷原帯 北竜支部」を設け、田中北斗氏、中村耕人氏、宮脇竜氏、加葉田可六氏、松平幸雄氏、島本研二氏、池津海彦氏らの新鋭を育成。昭和30年(1955年)同人誌『礫(つぶて)』創刊。 昭和41年(1966年)『礫』を終刊し、総合協同俳誌『扉(とびら)』創刊。同年「道俳句会 北竜支部」を発足。
昭和47年(1972年)『扉』は『道(どう)』と改題され、季刊から光星主宰の月刊誌になりました。
現在『道』は、源鬼彦(みなもと おにひこ)氏 主宰のもと出版されています。


俳句雑誌『道』      道俳句会・北竜支部 
左:俳句雑誌『道(どう)』 右:道俳句会・北竜支部の皆さん(撮影:2014年2月5日)
手前左より:杉本隆文さん宮脇龍さん中村耕人さん山本玲子さん
奥左より:山岸正俊さん吉尾広子さん阿部れい子さん山下好晴さん
(佐光久美子さん・所用にてご欠席)


北竜支部での活動は、毎月上旬に開催される句会。メンバー9名の方々が、「ひまわり青年会館」(北海道雨竜郡北竜町字和28−2)に集まり、午後5時よりおよそ2時間半の講評会が行われます。

句会の講評風景 句会前に、ひとり8句を当番の人に提出。これが、なかなか大変。副支部長の山岸さんは、農作業時に思いついた句を忘れないように、トラクターに紙と鉛筆を用意して書き留めていらっしゃるそうです。
毎月の句会の当番の人は、会員の72句(9名☓8句)を、前半の部・後半の部用の36句づつ2つに分け、名前を書かずに番号を付けて模造紙に書いておきます。

句会の当日は、その模造紙を壁に張り、司会者が番号と句を、一句づつ読み上げます。
会員は、36句から、並10句と特選3句を選択。そして、選んだ俳句の番号を紙に書いて支部長に提出。

点数を書き込みます 支部長は紙を取りまとめ、選んだ人の名前と番号を読み上げていきます。
模造紙の前の会員が、手際よく番号の句の下に選んだ人の名前を書き込みます。特選を選んだ人の名前は丸で囲んで並と区別。並1点、特選2点を加点して、各句毎に合計点数を書きます。

山岸さん司会のもと、点数が多い順に、句を選んだ会員が俳句を講評します。
会員は、俳句の言葉から描き出されてくる風景、想いを感じるがままに、自分の言葉で表現。
40年以上継続していらっしゃるベテランの方々だけあって、感性が豊かで表現力が味わい深く、流石です。
視点の素晴らしさ、季語の使い方、表現方法など、一句一句丁寧に活発な意見交換が続きます。

ひと通り講評が終わった後、作者が名乗りでます。
「ありがとうございました」講評していただいた会員へのお礼が述べられます。

談笑しながら ストーブの温かさに包まれ、テーブルに用意されたお茶とお菓子を戴きながら、和気藹々。電子辞書で季語を確認しながら、時に真剣に、時に笑いを交えながらの楽しいひととき。

「毎回、とにかく俳句を沢山作ることです。たくさん作って、たくさん講評し合うこと。数を重ねること、継続することが、学びの第一歩です!」
と優しい笑顔の宮脇龍さんから素敵なお言葉を戴きました。
ありがとうございます!

日本語の豊かさ、素晴らしさをしみじみと実感したひとときでした。
たくさんの感動をありがとうございました。

真剣な眼差し <得点の高かった句のご紹介>

産土の積雪すでに身丈超す  中村耕人
椴松の胸で稽古の春一番   宮脇龍
大吹雪世の戯事を持って行け 山本玲子
健在のどんぶり飯や雪の朝  阿部れいこ
何時からか二人で一個冬林檎 吉尾広子
大雪の底にてひらく辞書の海 山岸正俊
農村の夢を叶えて寒の雨   山下好晴
川面這う朝霧重き母の文   佐光久美子
祖母の忌や遺影の瞳春近し  杉本隆文


俳句会例会 
俳句会の模様


自然の恵みの中、日常のひとときの中で、
感じられたものが、言葉となって生み出されていく俳句。

言葉が季節をめぐり、季節の中で言葉を感じ取り、
呼吸をするように言葉が流れ、動きまわる俳句に、

大いなる感動と感謝と祈りをこめて。。。


俳句は型 型は心 心は伝統 北光星   俳句とは風土が生む命の起き臥しから授かる詩である 源鬼彦 
左:俳句は型 型は心 心は伝統 北光星
右:俳句とは 風土が生む命の起き臥しから授かる詩である 源鬼彦
(俳誌『道』より引用)


北竜町の俳句を支えられ、盛り上げていらしゃる方々を『北海道文学大辞典』などによりご紹介します。

故・北光星(きた こうせい)氏

俳句雑誌『道(どう)』 大正12年(1923年)北海道北見市生まれ。本名、北 孝義。
昭和23年(1948年)「ふもと」主宰・竹田凍光氏の手引で俳句を始める。
昭和24年(1949年)細谷源二氏の『氷原帯』に編集同人として参加。
大工俳人として俳句界で注目を浴びる実力者。
昭和25年(1950年)北竜町和に「氷原帯 北竜支部」を設け、田中北斗氏、中村耕人氏、宮脇竜氏、加葉田可六氏、松平幸雄氏、島本研二氏、池津海彦氏らの新鋭を育成。
昭和30年(1955年)同人誌『礫(つぶて)』創刊。
昭和41年(1966年)『礫』を終刊し、総合協同俳誌『扉(とびら)』創刊。「道俳句会 北竜支部」を発足。
昭和47年(1972年)『扉』は『道(どう)』と改題、季刊から光星主宰の月刊誌となる。
昭和57年(1982年)北海道文化奨励賞を受賞。
平成5年(1993年)鮫島賞を受賞され、北海道の俳壇振興に大きく貢献しされました。
句集として、『一月の川』(昭和30年)、『北光星俳句集』(昭和37年)、『伐り株』(昭和45年)、『頬杖』(昭和56年)、『道遠』(昭和61年)、『遠景』(平成4年)、『天道』(平成10年)、さらに『句眼歳時記』(昭和54年)、『句集序文集』『翔韻』(昭和58年)があります。
平成13年(2001年)逝去。享年78歳。
(参照:北海道文学大事典・北光星 ほか)


源鬼彦(みなもと おにひこ)氏

昭和18年(1943年)樺太生まれ。本名、源 進。
昭和41年(1966年)より北光星氏に師事。
昭和54年(1969年)俳誌『道』の編集部長となる。
昭和59年(1984年)『道』俳句作家賞受賞。
平成13年(2001年)北光星氏の逝去に伴い『道』の後継主宰となる。
俳人協会の北海道副支部長、北海道俳句協会の常任委員を務める。
平成17年(2005年)第33回札幌文化奨励賞を受賞。
平成19年(2007年)俳人協会北海道支部長就任。
平成25年(2013年)北海道新聞日曜文芸選者就任。俳句文化の向上に大きく貢献していらっしゃいます。
句集として、『白鳥』、『流韻』、『海峡』(平成10年)、『北天』(平成17年)、『北溟』(平成21年)、さらに『俳句入門』(平成20年)などがあります。
(参照:北海道文学大事典・源鬼彦 ほか)


故・田中北斗(たなか ほくと)氏

大正11年(1922年)北竜町生まれ。本名、田中 保。
昭和23年(1948年)より農業協同組合に勤務の傍ら、北光星氏に兄事し作句。
昭和30年(1955年)「氷原帯」同人を経て、北光星氏、中村耕人氏らと同人誌『礫』創刊。
昭和47年(1973年)「道俳句会」の同人会長に就任(平成17年まで)。
昭和47年(1973年)扉作家賞受賞。
平成7年(1995年)鮫島賞受賞。北海道の俳句振興、北竜町の俳句活動に大きく貢献されました。
俳人協会会員。
句集として、『空知』『一炉の奥』、合同句集『北竜』(昭和44年)、『雪卍』(平成6年)があります。
平成17年(2005年)逝去。享年83歳。
(参照:北海道文学大事典・田中北斗 ほか)


俳句雑誌『道(どう)』表紙 中村耕人(なかむら こうじん)

昭和6年(1931年)北竜町生まれ。本名、中村 利弘。
昭和24年(1949年)より北光星氏に師事、「氷原帯」に入会。
昭和28年(1953年)第2回氷原帯賞受賞。
昭和30年(1955年)北光星氏のご指導を仰ぎ、田中北斗氏、宮脇龍氏とともに俳誌『礫』を創刊。
昭和32年(1957年)句集『農夫の旗』を刊行し、農民俳人として高い評価を得る。中村耕人の作「雪を堀り 土を堀る 頭さえ見えず」の俳句は後世に詠みつがれています。
昭和46年(1971年)扉作家準賞を受賞。
平成17年(2005年)「道俳句会」同人会会長就任(現在に至る)。
俳人協会会員。
句集として、合同句集『北竜』(昭和44年)、『槲』(昭和52年)、『三道』(平成8年)、『四天』(平成18年)があります。
(参照:北海道文学大事典・中村耕人 ほか)


宮脇龍(みやわき りゅう)

昭和7年(1932年)1月1日北竜町生まれ。本名、宮脇 順治。
昭和26年(1951年)より北光星氏に師事。翌年「氷原帯」に入会。
昭和30年(1955年)氷原帯新人賞受賞。
昭和31年(1956年)北光星氏、田中北斗氏らと俳誌『礫』を創刊。
昭和41年(1966年)俳誌『扉』編集同人。
昭和47年(1972年)『道』編集同人。
平成9年(1997年)『道』俳句作家賞受賞。
平成17年(2005年)「道俳句会」同人会副会長就任(現在に至る)。
俳人協会会員。
句集として、『二色の天地』(昭和35年)、合同句集『北竜』(昭和44年)、妻宮脇美和子さんとの夫婦句集『虹二重』(昭和52年)、『青田』(平成9年)、『稲の花』(平成19年)、さらに、随筆集『すべり台』(平成5年)、『折々の記』(平成13年)があります。
 (参照:北海道文学大事典・宮脇竜 ほか)


◆ 関連ページ

北竜町文化サークル
北海道文学大事典 人名編


◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子