昭和四十七年(一九七二年)十一月二目、私は、北竜町農協組合長理事、後藤三男八翁の自宅に呼ばれた。
後藤翁は、明年三月開催される北竜町農協定期総会に於いて十八年間務められた組合長を退任する意思を組合員に告げていた。
後藤翁は息子の亨さんを同席させ語り始めた。
「組合長退任後の考え方」として、自分の後任には、板谷町内会の中村利弘君が最も適任であると考えていた。中村利弘君は少ない耕作面積で、家族が力を合せて米づくりを中心に健全な経営を続け、寸暇をさいて俳句を志し農民作家として活動され、その名は全国に知られている。村を代表する文化人である。
これからの農協運動に最も適した人材だ、と話しを続け、一方組合員の意見として、若い世代も選出すべきとの声も耳にしている、久米谷和幸と黄倉良二が候補者として名を連ねているのも承知している。いづれにしても組合員が選ぶことに反対はしないと語り、若し選出されたら、これから話すことを良く聞いて組合員のために努力せよと。
一、君は充分学校に通うことができなかった。これからは小遣いを貯めて本を買い、本を読め。どんな分野でも必ず身につくもので、将来大きく役に立つ。
「本を読め」
二、日本はやがて食べる物が無くなる。自ら考え、営農を通じ努力と実践を積み重ね、説得力をもって農協の事業計画に反映せよ。
三、農協の役員として「地位と名誉と金を求めるな」
最後に、俺の評価は組合長を辞めて一〇年後の評価が正しいと教えを受けた。
昭和四十八年三月農協の定期総会に於いて、後藤三男八組合長は退任され、私が八人の理事の一人として、久米谷さんは三人の監事の一人として選出された。
私は以来三十四年間農協の役員として(内十七年間常勤)後藤三男八翁の教えを忘れることなくその任に当った。
一、「本を読め」については以来手元には三千冊に余る蔵書となり、読んだ数はその五倍の一万五千冊は読むことができ、考え、判断をするなかで、そして生き方の上でも大きく役立ったと確信している。
二、「やがて食べるものが無くなる」昭和四十五年余剰米が七百万トンを超え減反政策が実施され、昭和四十七〜八年第一次オイルショックで、物価と賃金が、三十七%一気に上昇し、四十七年の余剰米は五百万トン近くあった時、量で無いことは云う迄もなく、翁は、食べものは何か、どうあるべきかを問われたのは明白で、息子の亨さんから「親父の云う意味は、高度な経済成長が続くと農業が後退し、やがて食べものの安全性を問われることを示唆したんだよ、二人で自然農法に取り組もう」と提案を受け、昭和四十八年産から、化学肥料を使用しない、除草剤を使用しない、農薬防除は行わない米の自然農法の試験田を設け実践に入った。
除草機押し、手で腰をまげての草取り、ハサ掛けと手間をかけての収穫は一〇アール当り五俵という厳しい結果であったが、以来三十八年間実践を続け今は息子夫婦が受け継いでいる。
その年(四十八年)八月下旬、亨さんと当別町で、自然農法の先駆者である佐藤晃明さんの教えをいただきました。
佐藤晃明さんは田の畔を歩きながら、「黄倉さん、農業って何かわかるかい」と問われた。私は素早く答えることができませんでした。二〇年間も農業に従事しながら、情けないかな農業とは何かと考えていなかったことになる。佐藤晃明さんは「黄倉さん、農業とはね、人間の安全な食糧を生産することなんだよ、とても難しいことなんだよ。」と淡淡と語られたのを今も鮮明に覚えており忘れることはない。
北竜町が組合員の実践を通じ「国民の命と健康を守る安全な食糧を生産する北竜町農民集会」を昭和六十三年六月二十日開催し、平成二年、農業委員会憲章、土地改良区宣言、北竜町宣言と、町を挙げて人間の安全な食糧生産に不可欠の、山と木と緑を守り育み、それらに支えられた力のある豊かな水を大切にし、親から子、子から孫へと誇り得る土を伝承し、受け継ぐ担い手を具備し、天に感謝しつつ「食べものはいのち (生命)」の思いを大切に、家族が、生産者組織が、地域が力を合せて手と技術とこころ(魂)をつくす実践農業が、歴史と世代を超えて受け継がれている。
三、「地位と名誉と金を求めるな」役務者として退任する時に最も難しいことと感じました。
北竜町史、北竜農協史、北政情伝、後藤三男八伝、松原作遺伝、山口義男氏、田中程氏が渾身の筆のなかに読み取れる先人の、農業を前進させるため、そして豊かな村づくりを目指して、高い目標を掲げ、率先して昼夜をたがわず心血を注ぎ実践された、その姿は、農業を愛し、村を愛し、人々を信頼し、自らを厳しく律して生き技かれた、正に地位と名誉と金を求めない役務者でありました。
私が三十四年間の農協運動を終えることができたのは、後藤三男八翁と息子の亨さんの出合いと教えをいただいたからであります。
今そのことをふり返りながら健康で、息子夫婦の有機農業を大切にした米づくり、野菜づくりの手伝いをできる幸福を昧わっている。
!!俺は百姓で良かった!!
!!後藤三男八翁の教えに感謝!!
平成二十三年三月十五日書
◆ 北竜町民「横倉良二(おおくらりょうじ)さん」
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