2013年7月
議会だより No.265 議会広報委員会 より抜粋
広報ほくりゅう・No.575・2013年7月号
議員コラム
先日、沖縄を訪れる機会があり、30年振りにひめゆりの塔に行ってみた。そこには「ひめゆり平和記念資料館」が整備され、中には沢山の写真と手記が展示されていた。
沖縄戦末期、1945年3月24日に沖縄陸軍病院第三外科が置かれ、学徒隊として沖縄二校の少女達及び職員240名が看護要員として従軍した。病院壕の中ではろくな医療器具、医薬品もなく、血と膿と排泄物の悪臭が充満し、負傷兵のうめき声とどなり声が絶えない劣悪な環境の中で、献身的に看護した。
激しい戦闘が続き、戦局が絶望的になると学徒隊は解散を命じられ砲弾が飛び交う中、壕を出て自分の判断で行動しなくてはならなかった。アメリカに投降する者は裏切り者だと自決を強要され、あるものは手榴弾で、あるものは崖から飛び降りて、さらにはアメリカの火炎放射器やガス弾で、少女達は「お父さん、お母さん」と叫びながら死んでいったそうだ。どんなに恐ろしかったであろう、つらかったであろう。
これからという少女達が沢山死んでいった。恋もしたかったであろう、母になって子どもも育てたかったであろう、戦争のない平和な生活をしたかったであろう。
少女達の御霊は同様に動員されて命を失った学徒兵と共に靖国神社に合祀されている。そんな靖国参拝を否定する近隣国にも腹が立つ思いだ。
近年、領土問題等で近隣国と険悪な関係になっているが、一時の感情で決して戦争を起こしてはいけない。戦争はいかにも愚かで、悲しみと憎しみだけしか生まれない。あらためて感じる。(小松)
(写真:office.microsoft.com)
◆ ひめゆり平和記念資料館
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