「北竜町の価値を求めて」黄倉良二さん講演会(北竜町役場職員研修)

2014/10/19 14:27 に 寺内昇 が投稿   [ 2016/03/15 14:42 に更新しました ]
2014年10月20日(月)

9月24日(水)、今年から始まった北竜町役場職員研修において、黄倉良二さん講演会「北竜町の価値を求めて」が開催されました。夕刻5時過ぎから30名程の職員の方々が、黄倉さんの情熱のこもったお話に熱心に耳を傾けました。


「北竜町の価値を求めて」黄倉良二さん(76歳)ご講演会(北竜町役場職員研修)  講演の資料  司会の東海林孝行さん(北竜町役場総務課) 
左・中「北竜町の価値を求めて」黄倉良二さん講演会(北竜町役場職員研修)
右:司会の東海林孝行 係長(北竜町役場総務課)


黄倉良二さんは、1939年(昭和14年)6月1日生まれの75歳。
「北竜町農業協同組合」8代組合長(1973年・昭和48年~2000年・平成12年)に就任。その後、8つのJAが合併して2000年に発足した「JAきたそらち(きたそらち農業協同組合)の代表理事専務、そして、2002年(平成14年)から代表理事組合長に就任(2007年・平成19年まで)。

農業については、1973年(昭和48年)から自然農法米の栽培に取り組む。現在、息子さんである黄倉正泰さんの農業の手伝いをする傍ら、道内各地で、「食べものはいのち(生命)」と題する講演会を開催される等ご活躍中です。


黄倉良二さん(前きたそらち農業協同組合代表理事組合長) 
黄倉良二さんの講演、全国各地での講演会に必ず持っていく「ひまわりの里」紙袋と共に


黄倉良二さんは、北竜町の将来を担う若者たちに、心を込めて熱い想いを語られました。
以下、黄倉さんの語りとしてまとめています。



 「北竜町の価値を求めて」

今日は、役場の皆さんが「村の価値」に気づき、見出して、掘り起こしていただきたいという想いでお話をいたします。
私が皆さんの年齢の頃、朝は4時過ぎから稲刈り、昼からは刈ったものを束ねて、夕方から「はさがけ」作業、
夜10時~11時くらいまで1日18時間働き、昼休み1時間、夕食はカボチャとイモという農業一筋の生活、それが我々の時代でした。


黄倉良二さん、若き頃の農作業風景 
黄倉良二さん、若き日の農作業風景(北竜町にて)


「歴史」とは、現代と過去の語り合い

「歴史」とは、現代と過去の語り合い、今を生きる人と過去の語り合いです。
北竜町で積み重ねてきた122年の値打ちのある歴史を掘り起こし、それを踏まえて健全なまちづくりに取り組むことが大切です。この北竜町の町には、素晴らしいものが、息づいています。
農業の視点から、北竜町の価値ある素晴らしい歴史について話したいと思います。

北竜町の歴代に残る偉大なる方々

それは、北政清氏、後藤三男八氏、加持彦太郎氏、松原作造氏です。


後藤三男八氏、北政清氏、加持彦太郎氏  松原作造氏 
左(左より):後藤三男八氏、北政清氏、加地彦太郎氏(JAきたそらち北竜支所 内)
右:松原作造氏(水土里ネットほくりゅう 内)


1893年(明治26年)、北竜町の地に開拓の鍬をおろしたのは、吉植庄一郎氏を団長とする千葉県からの開拓移民団。開拓当時の計り知れない困難を乗り越えてきた、吉植氏ら先人方の偉大なる開拓者魂は、北政清氏、後藤三男八氏などの指導者に受け継がれました。

◯ 北 政清(きた まさきよ)氏:
  北海道を代表する農民運動家として、道議会議員、国会議員として活躍。
  1948年(昭和23年)、北竜村農業協同組合を設立し、初代組合長に就任(北竜土功組合4代組合長就任)。
◯ 後藤 三男八(ごとう みおはち)氏:
  一生を農村振興に努め、道議会議員を経て、農業協同組合組合長6期18年就任
◯ 加地 彦太郎(かじ ひこたろう)氏:三和産業組合組合長
◯ 松原 作造(まつばら さくぞう)氏:土地改良区2代理事長・29年間就任


北竜町農協・歴代組合長 
北竜町農協・歴代組合長
右より 初代:北政清氏、3代:村上朝夫氏、2代・4代:石川実氏、5代:後藤三男八氏、
6代:村井日吉氏、7代:西野秀一氏、8代:黄倉良二氏


偉大なる業績を残された北竜町出身の方々

北竜町出身で、偉大なる業績を残された、北海道を代表され、日本に誇る方々をご紹介します。

北竜町出身の高級官僚

◯ 中村正孝 氏:日本にIT産業を根付かせた通産省の中心人物。
◯ 竹林孝 氏:現在、北海道庁農政部長

近代俳句名人・詩人

◯ 北光星 氏、田中北斗 氏、中村耕人 氏、加葉田可六 氏、高橋浄心 氏
 ◯ 中村耕人 氏の俳句「雪を掘り 土を掘る 頭さえ見えず」は、
   百姓としての苦悩を表現した俳句として歴史に残る作品
◯ 北海道文化賞受賞 北竜出身の詩人 加藤愛夫 氏 

スポーツで活躍した人々

◯ 荒井憲二 氏:北海道選手権大会400m障害で11回優勝
◯ 藤井正幸 氏:北海道選手権ヤリ投げ 北海道で11回優勝
◯ 木村和雄 氏:全国青年陸上競技大会(東京国立競技場で3位入賞
◯ 木村久子 氏:全国高等学校陸上競技選手権大会 北海道新人大会出場
◯ 岩井忠作 氏:国民体育大会、自転車競技出場、百姓でありながら、S級で60代まで走る
◯ 田中昭三 氏:国民体育大会、自転車競技出場
◯ 時永博義 氏:国民体育大会、自転車競技出場
◯ 佐野弘 氏 :実用車の荷台に魚箱を積み重ねて走る競技に出場(佐野町長のお父様)
◯ 藤江勇一 氏:青年団陸上競技大会、自転車競走で活躍

絵の世界

◯ 川原善次郎 氏:浪越徳治郎 氏「指圧の心は母心」の弟子。日本画家、展覧会での受賞多数。


このように、北竜町には、歴史に名を残す程の偉大な方々が沢山いらっしゃいます。
今を生きる私達は、過去の人々がどんな苦労をし、どんな努力をし、そこまでたどり着いたかをしっかりと学んでいかなければなりません。北竜の誇りを背中に背負って、正しいものを生み出していかなければなりません。

最近、役場の職員が、様々な行事を活き活きと手伝う姿が目に付くようになってきました。
町民と一体となる職員の皆さんを見て、町民はどれほど元気づけられることでしょう。
そんな姿を拝見し、北竜町が変わりつつあると感じております。


研修会の模様 
研修会の模様


北竜町「国民の命と健康を守る安全な食糧生産宣言の町」の歴史(道筋)

 1973年(昭和48年):自然農法米栽培への挑戦

後藤三男八 農協組合長の勇退時の組合員への贈言は「不農無糧・不桑無衣」(農業がなめれば食糧はなく、桑がなければ衣服はない)。この言葉の意味を深く受け取り、組合長の息子さん・後藤亮氏とともに、私は除草剤と化学肥料を一切使用しない、農薬防除も行わない自然農法米栽培を開始しました。


 1988年(昭和63年):農民集会「安全な食糧生産に関する決議」

消費者からの「安全な食糧生産」の要望に応えるため、一番難しい除草剤を使わない安全な米作りに取り組むことを決意。
6月の「国民の命と健康を守る安全な食糧を生産する北竜町農民集会」で「安全な食糧生産に関する決議」が満場一致で決議。地域農民の理解と協力を得て、40戸10haの除草剤を一切使わない安全な米づくりを宣言。


 1989年(昭和64年):農協青年部「有機減農薬米栽培への挑戦」がスタート

北竜町農協青年部総会で講演された中川米穀(株)中川喬雄 社長のお言葉「土づくりこそ、米づくりの原点」を受け、「有機減農薬米きらら397」の栽培に青年部全員による取り組みがスタート。


 1990年(平成2年):農業委員会「北竜町農業委員会憲章」の制定

10月26日、「農業委員会は、土と自然と緑を育み、そして豊かな水を確保し、わが郷土に夢と希望のもてる生産性の高い(人間の安全な食糧を生産する)農業の育成に努めます」、「農業委員会の役目は、儲けることではなく、人間に安全な食糧を生産することだ」という宣言をした。


 1990年(平成2年):北竜土地改良区「水を守り、緑を守り、土地を守る」宣言

11月22日、「自然と緑を育み、そしてきれいな水を確保し、安全な農産物生産に努める」という宣言をした。
「国民の命と健康を安全な食糧の生産の為に、農薬を使わない、もしくは農薬を減らし、さらに有機質肥料にによる「人間に安全な農産物」を生産するための努力が必要である。稲作で良食味米を目指し、新しい品種が開発され、栽培管理に必要な水管理、新しい栽培技術が必要である。その為に、土地改良区は、自然と緑を育み、そしてきれいな水を確保し、安全な農産物生産に努めます」


 1990年(平成2年):北竜町「国民の命と健康を守る安全な食糧生産宣言の町」を宣言

12月 18日、北竜町・森正一 町長が、「国民の命と健康を守る安全な食糧生産宣言の町」を宣言。


◎ 農民集会・農協青年部・農業委員会・土地改良区・北竜町役場を挙げて、「国民の生命と健康を守る安全な食糧生産の町」を決意をし、宣言し、取り組んでいった北竜町の価値は素晴らしい!


北竜町で輝いているものは何ですか?

若い皆さんへ。自分が好きな分野において、この北竜町で輝いてみえるものはありますか?
輝いていた人々、輝いていた組織、何故そういう道を歩んだのか、成熟させようとしたのかを、この機会に是非考えてみてください。


研修会の模様 
研修会の模様


皆さんの最も大切なものは何ですか?

それは、「一人一人のいのち(生命)」です。
あなたの命は、何によって育まれてきたのですか?
それは「食べもの」です!「食べものはいのち(生命)」です。
大切なもの、それは両親の愛、家族の愛、多くの人々の愛に助けられてきたことなどですが、基本は「食べもの」です。
どんなに医学や科学が発達しても、あなたの命の糧になる食べものがないと生きていくことは不可能です。
これは天から与えられた試練です。

命の糧となる「食べもの」を食べていますか?

現在は、物がなくなるなんて誰も思いません。ふんだんに物が流通しています。
しかし、高い意識を持って求めない限り、命の糧となる「食べもの」を求めることは難しい時代です。
「物」の添加物が身体に蓄積していくと、身体や精神に影響を及ぼすという研究が成されるようになってきました。


「北竜町の価値を探して欲しい」黄倉良二さん 
熱く語りかける黄倉良二さん


70代~80代の人々が健康でいられる理由は?

昔は朝から晩まで目一杯働き、常に空腹。腰の曲がったばあちゃんが握ってくれるおにぎりが最高においしかった。この満腹感のない状態(空腹感)とは、貴重で必要なものを吸収し、要らないものを排除していくことです。

本当に必要なものを身体に吸収していますか?

今の子供達は、必要な物を吸収しないで、必要でないものが体内に蓄積されています。それらが、遺伝子に傷をつけていくことになりかねないという時代を迎えています。

命ある糧を生産する農家と繋がっていますか?

命ある糧を求めるためには、自らが、責任ある生産者・責任ある町・責任がもてる行政と繋がることが大切です。
あなたの命はどうでもよいという農家はありません。
自分自身で、あなたの命を守ってくだい。どうか健康になってください。

農業とは何ですか?

1973年(昭和48年)、北海道の自然農法の先達・佐藤晃明さんの田んぼ(当別町)に自然農法を学びに行きました。その時、「農業って何だかわかりますか」という佐藤さんからの問に対して、私は答えられませんでした。
次男坊であった私は、中学生の時から20年間、朝の4時から夜の8時まで農業をやって借金を返済していました。
ずっと農業をやってきたのにもかかわらず、思いもかけない問いに口ごもってしまったのです。

すると、佐藤さんは静かに話してくれました。
「黄倉さん、農業とは『人間にとって安全な食糧を生産すること』です。あなたの命を守るのが農業なんです。だけど難しいよ」この言葉は、スト〜〜んと自分の心に響き、農業に対する考え方が根本から変わる切っ掛けとなりました。

ひとりではできない「命ある食糧生産」

命ある食糧生産はひとりではできません。もっとも難しい水をどうやって守るか、土と水を守ることができなければ、農業ができているということにはなりません。
地元の土地改良区の壮大な決意がなければ、土も水も守れません。
しかし、この北竜町はそれをやってきたのです。農業委員会、土地改良区、そして町が「国民の生命と健康を守る安全な食糧生産の町」の宣言をして、土地と水と緑を守ってきたのです。これは、価値のある素晴らしいことです。


熱く語りかける黄倉良二さん 
「北竜町の価値を探して欲しい」黄倉良二さん


後藤三男八さんのお言葉が黄倉良二さんの人生指針

黄倉良二さんの人生に大きな影響を与えた人物である、北竜町農協5代目組合長・後藤三男八氏。
1955年(昭和30年)から、6期18年間、組合長を務められました。
後藤三男八さんが退任される前年の1972年(昭和47年)11月2日。当時34歳の黄倉さんは、農協の理事に推されていました。後藤さんから伝えられたことは;

1.お金が貯まったら、先ず本を買って読め
2.やがて食べものが無くなる(数量が不足することではない)
  そのことを、自分で考えて、自分で実践して、農協運動に反映させなさい。
3.地位と名誉と金を求めるな
  農協の役員をやっていると、やがてそのことに遭遇する時が来る。その時に毅然と対処できるようにしておけ。
4.自分に対する世の中の評価は、組合長を辞めてから10年後に表れる
  農協とは、役員のものではない、職員のものでもない、それは組合員のものである。
  必ずそこに立ち返れ。何か問題が起きて迷った時、どうすることが組合員の為になるかを考えよ。
  そこで出た答えに従え。

後藤三男八さんの想いは、黄倉さんのその後の人生を方向づける魂として受け継がれています。

北竜町は、122年の歴史の中で、偉大なる人々が存在し、心を尽くしてこの町を築き上げてきました。
歴史を辿って光を当てると、埋もれていた価値が目覚め、その価値が再び輝き始めます。
皆さん、今までとは異なる視点をもって、北竜町をみつめてください。
自分の心の目で、輝いている北竜町の価値を見出してください。
北竜町の価値との出会いが、皆さんの誇りと自信となって、大空へ羽ばたかせてくれることを心より願っています。




偉大なる先人たちが築き上げてきた北竜町の価値。

過去と現在を繋ぎあわせ、光を当てることによって、

輝きを増していく未来の北竜町に

限りない愛と感謝と祈りをこめて。。。


「天と地と水 そして農民の心」JAきたそらち北竜支所の敷地に鎮座する碑 
「天と地と水 そして農民の心」JAきたそらち北竜支所の敷地に鎮座する碑


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◇ 撮影・編集=寺内昇 取材・文=寺内郁子