2023年8月21日(月)
8月17日(木)、北竜町の浄土真宗本願寺派 碧雲山「龍泉寺(りゅうせんじ・寺垣信晃 住職)」にて、令和5年度「髪織仏御開軸法要(けおりほとけごかいじくほうよう)」が厳かに行われました。
毎年、年に一度だけ公開される貴重な秘仏「髪織仏(髪仏尊像掛軸)」の御開軸法要に、檀家約40人程が参加し、熱心に念仏を唱え合掌いたしました。
- 1 髪の毛(黒髪・白髪)が織り込まれた「髪織仏」
- 2 4世住職・寺垣信良 様のお話
- 3 令和5年「髪織仏御開軸法要」
- 4 檀家総代・吉田栄 様ご挨拶
- 5 寺垣信晃 住職講話
- 5.1 親鸞聖人の仰せ
- 5.2 寺垣信晃 住職のお言葉
- 5.2.1 95年間継続している秘仏『髪織仏』御開軸
- 5.2.2 命の次に大切な髪の毛を仏様に織り込む
- 5.2.3 与えられた日にちは意味のあること
- 5.2.4 この世は穢土(えど)
- 5.2.5 浄土とは、清らかで、争いのない、怒りのない世界
- 5.2.6 煩悩の世界における念仏『南無阿弥陀仏』
- 5.2.7 人にしてあげたいと思う心「満足感」
- 5.2.8 上手くいかなくて当たり前
- 5.2.9 『濁らない』という秘訣
- 5.2.10 気づく心
- 5.2.11 念仏『南無阿弥陀仏』を唱えて心落ち着かせる
- 5.2.12 供養とは笑顔で日暮らしすること
- 5.2.13 時間通りに終わることの大切さ
- 5.2.14 名残(なごり)惜しく思う人生
- 6 お赤飯とおまんじゅう
- 7 龍泉寺の宝物:書家 青効絵による襖絵「孔雀・鳳凰」
- 8 Video Youtube
- 9 Những bức ảnh khác
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髪の毛(黒髪・白髪)が織り込まれた「髪織仏」
北海道でも珍しいとされる「髪織仏」は、龍泉寺開基住職 寺垣教信師の発願で、檀家拡張・布教を目的に、昭和3年(1928年)3月に完成した阿弥陀如来像の掛け軸。
数名の世話人さん達が集い、北空知・中空知・留萌方面に及ぶ本願派門信徒、一般女性の黒髪、男性の髭・白髪の提供を集って、京都の仏具専門店に特別注文して制作した貴重な織物。
髪織仏は、表に金箔が貼られ、素材は、絹・金糸、そして髪の毛(黒髪・白髪)を使い、四十八条の光背の中に阿弥陀如来像が鮮明に織り込まれています。掛け軸の大きさは、長さ173cm、幅69cm。
当時、自身の髪の毛を織り込むことによって、仏菩薩様と尊いご縁が結ばれ、即身成仏の功徳を得られると考えられていたようです。
浄土真宗本願寺派 碧雲山「龍泉寺」
法要前日に法要準備が行われる中、掛け軸裏地の髪の毛を特別に拝見させていただけるということで龍泉寺を訪問しました。
本堂
髪織仏
掛け軸裏地の髪の毛
4世住職・寺垣信良 様のお話
お忙しい中、4世住職・寺垣信良 様にお話を伺いました。
「龍泉寺初代住職は富山県出身で北海道に移住し、明治29年(1896年)龍泉寺を創立。当時、藪だらけの土地で樹木を伐採し開墾した先人達は、大変な苦労の連続だったと思います。土地は、現碧水の渡邊農場より提供され、そこにまず龍泉寺の説教場が設立されました。
阿弥陀如来像の掛け軸『髪織仏』は、檀家さんの拡張とお寺参りのきっかけを作ることを目的として創られたものです。北海道でもほとんど存在しない程、珍しい掛け軸。今年で95年目を迎えますが、ほとんど傷んでいない貴重な織物です。
昭和3年(1928年)、数名の世話人さんを通して、女性の黒髪、白髪等を集めて、それを京都の仏具専門店に送り掛け軸の特別注文し作成されました。
出来上がった掛け軸は、浄土真宗の本山にある東本願寺にて検定を受け合格。晴れて昭和3年(1928年)3月に龍泉寺に届けられました。当時出来上がった髪織仏を、髪の毛を提供してくださった方々の町を訪問し開示して巡ったとのことです。
それ以来、毎年8月17日に、『髪織仏御開軸法要』が営まれ、檀家の皆様にご披露しながらお寺参りをしていただいています。昔、参拝後には、劇団・役者が来町し、境内に仮設した舞台で芝居・浪曲・演芸等を披露し、大勢の町民が喜び楽しみました。
私の子供の頃には、翌朝、境内に落ちている沢山の『だら銭拾い』を楽しみにしていたものです。
この法要は、仏様のご利益もあってか、一度を除いて雨が降ったことがありません。私が住職を勤める最後の時期に一度だけ雨が降ったことがありますが、その時は、青壮年部主催のビールパーティー「髪織仏御開軸法要記念ビールパーティー」も兼ねていたので、農協で行いました。それ以外これまでの95年間は、雨降りはなかったと聞いています。
髪の毛を提供してくださった方々は、北海道全道に散らばっていますが、遠くからこの法要の日に訪れ参拝してくださる方もいらっしゃいます。深川市の亀山金兵衛さんが中心となってお世話してくださいました。その方の子孫の方が喜んでお参りしてくださっています。
檀家の方々の髪の毛提供には、自分自身の髪の毛が阿弥陀如来様のお姿になっていること、その偉大なるご縁繋がりを最大の喜びとして参拝されています。髪織仏法要は、檀家の方々とお寺との大切な繋がりのための貴重な法要です」と、丁寧なお言葉で穏やかに語ってくださった四世住職・寺垣信良 様です。
令和5年「髪織仏御開軸法要」
8月17日(木)14時より、令和5年「髪織仏御開軸法要」開始。
法要には、地元三寺のご住職に参勤いただき、読経が粛々と行われました。その後、檀家の方々のお焼香が続き、髪織仏を参拝。
司会:有馬好章 様
ご参勤住職
北竜町のお寺「光徳寺」「法光寺「清雲寺」から、ご住職が参勤されました。
檀家の皆様
寺垣信晃 住職読経
席での焼香
檀家総代・吉田栄 様ご挨拶
「令和5年『髪織仏御開軸法要』ということで、御礼申し上げます。昭和3年に『髪織仏』が作られ、今年で95年を迎えます。
私は役員をやらせていただいております。本法要は永き95年に亘り、皆様のお陰をもちまして営んで参りました。
台風7号が日本を縦断してくることは、今までに経験のないことです。今回、四国をはじめ京都・奈良・鳥取まで、さらに富山を突き抜けて、当山の『髪織仏法要』にお参りに来たかのように、今、日本海の留萌沖に接近しているようです。
昔は、この髪織仏法要後には、境内でビールパーティを実施していました。雨が心配で苦労したことを今思い出しております。
後日、8月26日・27日は当山の『報恩講』です。
ここ30℃を超える暑さの中、保健所から食中毒警報が発動されています。28℃の日が1週間ほど続く予報がでています。健康管理に十分気をつけて、お参りに来ていただければ幸いです。
本日は、誠にありがとうございました」と、挨拶された総代・吉田栄 様。
寺垣信晃 住職講話
親鸞聖人の仰せ
「本願力にあひぬれば むなしくすぐる ひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水 へだてなし
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
寺垣信晃 住職のお言葉
「お暑い中、お忙しい中、遠近各地より、当山のご宝物でございます『髪織仏』御開軸法要にお参りいただきました。
今年もこの法要を皆様方のお取り持ちをいただく中に、こうして盛大にお勤めできましたことを大変嬉しく有り難く思います。
龍泉寺がこのような形で、ご先祖の方々の想い、21世紀を生きる皆様方の様々な想いをいただき、この法要が毎年成り立っていることを尊いことだと思います。
95年間継続している秘仏『髪織仏』御開軸
ご案内の通り、この『髪織仏』という仏様は、『秘仏(ひぶつ)』です。この龍泉寺を建立しました開基住職・寺垣教信 師が、昭和3年(1928年)にこの『髪織仏』を発案。女性の髪の毛、男性の髭をいただき、京都の仏具専門店で制作した掛け軸です。
毎年8月17日に、年に一度の御開軸ということで、昭和3年(1928年)から、当時いらっしゃった方々のご魂霊をいただく中に、途切れることなく、95年間継続され今に至っております。
時代の流れを感じ、当時の困難を乗り越えて今があることを痛感いたします。
明治から大正・昭和の中で、舗装なし、水道、ガスもない、電気もない環境の中で、北海道にわたり、この北竜に定住しお寺を建立。
当時、物がない、お金もない、家族を養うのが精一杯の生活の中で、何かお寺に奉仕したいという気持ちが募る人々。そこで住職が考えついたものが、人々の髪の毛で織る仏さまの織物でした。
命の次に大切な髪の毛を仏様に織り込む
女性にとって髪の毛は、命の次に大切なもの。髪の毛の供出を通して、命を仏様に織り込んで、龍泉寺が今後もお念仏の堂場として栄えていきますようにという想いが込められたこの『髪織仏』の織物です。
あなたのお母様、お祖母様、曾祖母様が代々語り継がれ、約100年もの年月を得て、お参りがずっと続いていることはとてもありがたいことだと思います。
与えられた日にちは意味のあること
この夏の暑い中での法要が、もっと涼しい時期、あるいは稲刈り終了後などに実施できればと思うこともありましたが、それぞれの時期にはそれぞれの仕事が構えているものです。
日にちは、あるようでないもの。与えられた日にちは、それなりに意味のあることだからこそ、与えられているのだと感じています。ご先祖さまの想いをご存続させていただくことで、この法要を継続させていただいているのだと、本日の法要を通して感じさせて頂くと同時に、今一度味あわせて頂いております。
この髪織仏を通して、何をお伝えすればいいかと申しますと、当時ご縁のある方々の髪の毛・髭を供出して織り込んでいるご先祖さまの『浄土』とはどんなところかをお話したいと思います。
浄土真宗の『浄』というのは、『清らか』『争いのない』『怒り・妬みのない』を意味します。
この世は穢土(えど)
浄土に反して、この世は穢土(えど)。穢土には、『お身体ご自愛ください』に対して、『お身体お厭い(いとい)ください』『大事にしてください』という言葉の『厭う(いとう)』の意味があります。
穢土は、『汚い』『住みにくい』『居心地の悪い』という意味があります。『思い通りにいかない』という意味を含みます。
穢土には、『この世は、思い通りにならないところなので、心を害さないでください(気を患(わずら)わないでください)。自分を保って、間違いのない道を歩んでください』という意味があります。
今暑いと言っていますが、恐らく2週間もすれば、涼しくなったね。11月12月を迎えると、白いものが降ってきて、寒いですねと会話します。暑いときは暑さを、寒いときは寒さを味わって、身体を厭ってくださいねということなのです。
浄土とは、清らかで、争いのない、怒りのない世界
浄土は、清らかな、偽りのない、争いのない、憎しみのない、混じり合った世界。聖徳太子の言葉『和をもって尊しとなす』のように、渾然一体となって、形があるようでないような、言葉では言い表すことのできない浄土の世界です。
いずれ皆さんもこの痛みのない、争いのない、清らかな世界に、法要を通してご先祖さまがお迎えにいらっしゃいます。
苦しみのない、悲しみのない、すべて楽しい世界にこれから行くのですよ。早く行きたいでしょうと皆さんに言うと、皆さん首を横に振って『まだ、わしは行きたくない!』とおしゃいます。皆さん、行きたくなくても行くんです。ただ、行くことが決まっているのです。どうせ行くのなら早いほうがいいのではないですか? ということにはなりません。
煩悩の世界における念仏『南無阿弥陀仏』
煩悩の為せる技で、悩もうと思って悩むのではなくて、いろんな縁にあって悩んでいるのです。
出会った喜び・別れていく悲しみが織りなしていく人生は、あなた一人ではありません。目には見えないけれど、いつでもどこでもあなたのお側で『南無阿弥陀仏』、間違いのない仏がついております。どうかご浄土への道を私と一緒に歩んでくださいと頼んでくださるのが『南無阿弥陀仏』です。
人にしてあげたいと思う心「満足感」
満足すると、してあげたいことが増えます。不満足だと、してもらいたいことが増えます。
皆さんは、人生のプロですので、人生にどんなことが起きるかは想像できると思います。
どんなときでも、してもらいたいことより、してあげたいことが多くなるよう行動してください。
上手くいかなくて当たり前
やっては行けない行為だとわかっていても、繰り返し行動してしまうのが人生です。
人間、生きている間はお互い悟ることができません。悟ることができないもの同士が、家族であったり友人であったり会社の同僚であったり、悟ることができない、推し量ることができない物同士が集まって生活し、日暮らしをしているのです。
故に、上手くいかなくて当たり前です。上手くいっていることを当たり前だと錯覚することで、お互いに不平不満文句、罵り合ってしまう。時として、感謝が愚痴や文句に変わってしまうことがあります。
『濁らない』という秘訣
これを解除する秘訣があります。それは、『濁らないこと』。浄土の『浄』は、澄みきっていること。素直で澄みきった気持ちを持つと悩みが少なくなります。
口が濁って『愚痴(ぐち)』になります。文句が出たときには、『自分が濁っているな』思うことです。
気づく心
清らかな水になれなくてもいいのです。心が濁ったときに、清らかな水の存在を心に描くことで、それに気づくことで、文句や怒りの気持ちが和らいでいきます。
念仏『南無阿弥陀仏』を唱えて心落ち着かせる
これを実行することは難しいので、仏様は念仏を届けてくださいました。『冗談じゃないわ! 波阿彌陀佛。。。』『ふざけんじゃないわ! 波阿彌陀佛。。。』『どうして私だけ! 南無阿弥陀仏。。。』。
文句が出た瞬間に『南無阿弥陀仏』のお念仏を唱えるこを習慣にします。これが、仏様が私を守ってくださっている具体的な例です。
日常生活の中で、『ありがとう』『あなたのおかげです』『私が悪かったね、済まないね』と言えばいいのですが、瞬間にそう言えないときにこそ、お念仏『南無阿弥陀仏』を心の中で唱えるのです。
すると、『怒り』『愚痴』『妬み』はなくならないけれど、すっーと少なくなっていきます。気持ちが落ち着き、よくよく聞いてみると『そうゆうことだったのね』『気が付かなくてごめんね』と気持ちが変化していきます。
供養とは笑顔で日暮らしすること
こうして『あなたのお陰だね』とお互いに分かり合う世界に生きていきたいと思うことが、人間の本来の姿なのではないでしょうか?
仏様、ご先祖さまは、子孫が『ありがとう』と笑顔で日暮らしをしている姿を喜んでいることでしょう。このことを、仏教では『供養』とされています。
時間通りに終わることの大切さ
最後に、私の師匠のお言葉をお伝えします。それは『時間通りに終わりなさい』『むしろ、ちょっと早めに終わりなさい!』『オーバーしたらだめだよ。もうちょっと聞きたいと思うところで終わりなさい。もう少し話足りないというところでちょうどいい!』です。
名残(なごり)惜しく思う人生
人生も然り。終わりではなく、『名残(なごり)』です。早り(はやり)、盛り(さかり)、終わりではなく、『名残惜しく思えども、娑婆の縁つきて力なくして終わるときに、かの土へは参るべきなり(歎異抄第九章)』。
皆さんも浄土に参らせていただく、永遠の命、永遠の光の存在にならせていただくことが決まっているお一人おひとりなのです。
これからも、お念仏をご相続いただきまして、お互いに敬い合いながら、助け合いながら、思い通りにはなりませんが、お話しさせていただきました。お暑い中、ご参加いただきましたことを厚く御礼申し上げます。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」。
お赤飯とおまんじゅう
皆様と共に合唱、礼拝、お念仏を唱えて終了となりました。
帰りには、お土産のお赤飯とおまんじゅうが配られました。
龍泉寺の宝物:書家 青効絵による襖絵「孔雀・鳳凰」
本堂余間内陣の左右襖絵は、書家 青効絵によるもので、開基総代有馬勇吉様が営む大正館にて掲示された襖絵とのことです。
内陣左襖絵「孔雀」
内陣右襖絵「鳳凰」
境内に整えられたお庭。中央の手作り灯籠は、檀家・藤井利昭さんが丹精込めて制作された寄贈作品です。
髪の毛を通して、阿弥陀如来様と魂が一体となり尊いご縁が結ばれ、様々な功徳を積み重ねていく偉大なる秘仏「髪織仏」法要に、限りない愛と感謝と祈りをこめて。。。
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◇ Phỏng vấn và viết bài: Ikuko Terauchi (Hợp tác chụp ảnh và biên tập: Noboru Terauchi)