今年は、雪解が遅れ、それに加えて、五月から六月半ばまで低温が続き、どうなることかと心配であった。ところが長期予報に反して六月半ばを過ぎたころから、七月そしてお盆が過ぎたというのに暑い日が続いている。
そのお陰で、窓から見える高畑さんの大きな田んぼ、そして毎朝歩いてくる五キロほどは見渡す限りの田んぼが、日一日と黄金色になってきた。
私は農家の三男坊として生まれた。物心がついてから、稲の成熟した田んぼほど、うれしいものはない。黄金色に色づいた田を「田の色」ということを歳時記で知ったのは、最近のことである。
高畑さんの田んぼは五月二十六日に田植がされた。それから毎日、雨の日も風の日もこの田んぼを見てきた。
ここのところ兄の危篤がつづき、そして葬儀などで、気がつかなかったが、蛙の声がまったく聞こえない。恋の季節が終わったということであろうか。
朝露の中を歩いてくるのであるが、何百枚もある田んぼの「田の色」が一枚一枚違うのである。近づいて見ると稲の一本一本、いや籾の一粒一粒の色が違う。こんな田んぼを見ると、うれしいというより「もったいない」そして「ありかたい」と思えてくるのである。
どこからか念仏ひらく稲の花 龍
毎朝、こんな神神しい田んぼを見ないで過ごすわけにはいかない。雨の予報がでていようが、雨が降っていても、夜明けを待って、この田んぼを見ながらぐるっと歩いてくる。いまはちちろ虫の声が聞かれるようになった。
そして兄の三七日が過ぎた。
三七日の過ぎてしみ入るちちろ虫 龍
ことしの夏の暑さといったらなかった。何十年振りかのことだそうである。私は町史編さんを手伝っており、そのためにパークゴルフに行っていないので、この猛暑をまともに受けることがなかった。やれやれである。
春から夏にかけて、ぶらんこ毛虫が大発生し、街路樹のナナカマドの葉が、殆ど食べられてしまった。わが家の大きな紅葉も葉を食べられ見るかげもない。この時期、物干竿に洗濯物を干すことができなかった。
このぶらんこ毛虫の駆除に、町中、大童で駆除の薬は絶えず品切れであった。
今は、クスサンという枯葉のような、大きな蛾が大発生している。夜になると街頭に群がり、毎朝、この蛾の死骸の後片付けと、壁に産みつけられた卵の処理に四苦八苦である。これらは、異常気象のせいであろうか、それとも宇宙とは、人間の力の遠く及ばない計り知れないもののように思えてならない。
九月七日の夕刊によると、農業人口がことしの二月一日現在、二六〇万人で、五年前に比べて七十五万人、二二・四%減少しているという。
農業従事者の平均年齢は六五・ハ歳と高齢化が進んでいるという。果たしてこのようなことで国民の食糧の生産は大丈夫なのだろうか。これには政治の力が必要だと思えてならない。
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