2013年1月
議会だより No.259 議会広報委員会 より抜粋
広報ほくりゅう・No.569・2013年1月号
議員コラム
11月下旬、一枚の欠礼の葉書が届いた。それは私の学生時代の同級生の母親が差し出し名の、とても悲しいものだった。何故亡くなったのか、事故だったのか病気だったのか、理由が知りたかった。
12月上旬、天気を見計らいながら、道北の彼の家へと車で向かった。一人暮らしになってしまった、彼の母親にお会い出来たのは夕暮時であった。
彼は自らの意志で自分の人生を閉じてしまった。
彼の家は農家、10年程前に奥さんを病気で亡くした後も3人の子供を育て、本業の他に地元の農業高校存続運動に関わったり、ラジオのFM放送のパーソナリティーをやったり、野菜の宅配に取り組むなど、地元のためになることは何でも進んでやっていたようだ。
80歳を過ぎた母親一人が残されてこれからどうなるのか、言葉を選びながらお話しをしていたが、もう少ししたら、市街で介護士をしている孫を迎えに行くという。その孫が後継ぎとして帰って来るようだ。80哉を過ぎても車を運転する母の元気さと、後継ぎができた事を聞いて、少しほっとした気持ちになりながら帰路を急いだ。
実は一昨年の夏に、彼の家の前を通り過ぎたことがあった。今思えば、会える時に顔を合わせておけば、こんなに悔やむこともなかったと考えると残念で仕方がない。
享年59才、太く短い人生だったが、少し急ぎ過ぎたのかもしれない。今はもう本人の口から何も聞くことはできないが、本当に悔いのない人生だったのか、改めて自分の生き方について考えさせられる思いである。(板垣)
(写真:office.microsoft.com)
|