2020年7月6日(月)
6月30日(火)、北竜町の地域おこし協力隊員としてご活躍された干場功氏(ほしば いさお・81歳)の3年間の任務が終了しました。これまでの若年性認知症家族会等の活動についてのお話を伺いました。
地域活性化活動・全国的活動
地域活性化のための様々な活動
2017年より2020年まで、北竜町認知症地域推進員、NPO法人あかるい農法・理事、地域支え合いセンターのサポート活動、障がい者就労支援活動等に奔走した干場功氏の3年間。
地域おこし協力隊の任期終了後2020年7月以降も、ボランティアとして北竜町生活支援コーディネーター、NPO法人あかるい農法 理事、地域支え合いセンターのサポート活動、障がい者就労支援活動等に従事されていらっしゃいます。
全国的な若年性認知症関連活動
さらに、現在も東京での数々の役職を兼務されています。若年認知症家族会・彩星の会(ほしのかい・本部:東京都)顧問、NPO法人若年認知症サポートセンター(本部:東京都)理事、NPO法人いきいき福祉ネットワークセンター(いきいき*がくだい・本部:東京都)理事等。また、これまでも、講演会の講師を務められ、全国各地を飛び回っていらっしゃいました。
※「いきいき*がくだい」とは、NPO法人いきいき福祉ネットワークセンターが運営する、全国初の若年性認知症及び高次脳機能障害専門の支援施設です。認知リハビリテーション専門スタッフによる若年者にあった専門プログラムを提供しています。
干場功氏の人生
奥様・美子(よしこ)さんが、60歳でピッグ病と診断されたことをきっかけに、若年性認知症家族会と出逢った干場功さん。2006年、若年認知症家族会・彩星の会 代表に就任して以来、認知症本人やご家族の方々と心を通わせながら、認知症支援活動を継続。さらに、東京での様々な会における理事としての活動に従事しながら、若年性認知症本人とご家族の北竜町への移住受け入れや、就労支援活動等に携わっていらっしゃいます。
少年・青年時代
干場功さん、1939年(昭和14年)生まれ、81歳。北竜町出身、真竜小学校、北竜中学校、深川東高校。高校時代は深川市で寮生活を送る。
実家は豆腐屋さん
父・干場林蔵さん、母・マツエさんのもと、9人兄弟(六男三女)の四男として育つ。実家は、北竜町で豆腐屋を営み、北海タイムズの販売所も併設。父親は国鉄職員(保線担当)後、木炭バス関係の仕事に従事。「生活は厳しかったが、幼い頃から兄弟皆が、両親に叱られた記憶はありませんでした」とお父さんの偉大さを語る干場さんです。
小中高校時代
小学校時代6年間新聞配達をし、中学校時代はバスケット部。高校時代は、近隣のローラースケート場でスケートを楽しんだりしていました。
高校卒業後、東京都池袋の国鉄専門学校に入学する予定でしたが、高校卒業式前に盲腸を患い手術。卒業式に出席できず、諸事情も重なり入学を断念。
呉服問屋時代(東京)
呉服問屋に丁稚奉公
1957年(昭和32年)、18歳の時上京。兄の友人のお父さんの戦友が呉服問屋を東京で経営していたので、その紹介で、東京日本橋小舟町・日本橋三越近隣の呉服問屋・株式会社石川商店に、住み込みで丁稚奉公。残念なことに、会社は1年で倒産。数日間故郷に戻るが、すぐに再上京。
日頃から、父親に「仕事は、3日・3か月・3年は我慢して勤めよ」と言われていたので、その言葉を忠実に守り、東京に戻って呉服問屋の仕事を続けようと決意。
呉服問屋での10年間
会社は、株式会社から有限会社となり、社員は10人に減るも存続。反物をスクーターに積んで、横浜と北千住のお得意さんを回り、反物販売をひとりでこなす。その御蔭で、早く仕事を覚えることができ、また、お客様に可愛がられた10年間でした。
美子さんと結婚
1960年(昭和35年)21歳の時、同じ職場で働く先輩の美子さんと結婚。家族のように可愛がって頂いてたお客さんの鶴見市のアパートの6畳一間で新婚生活をスタート。文句一つ言わずに、家庭を守る美子さん。1962年(昭和37年)に、長女が誕生し、1967年(昭和42年)には、次女誕生しました。
独立・株式会社 旭三英 設立
1967年(昭和42年)28歳の時、独立し、1968年(昭和43年)に、株式会社 旭三英(あさひさんえい)を設立(練馬区旭丘)し、社長に就任。お得意様から破格の融資を受けることができ、さらに、事務所はお得意様のアパートの1階部分を使わせていただきました。
独立当時の住居は、千葉県柏市公営住宅団地 豊四季台。そこから練馬区までの通勤です。
きものギャラリー和(やわら)を開設
1990年(昭和65年)、練馬区に、きものギャラリー和(やわら)を開設。3階建てのビルを借り入れ、2階を株式会社 旭三英の事務所、3階を問屋スペース、1階を交流スペース・きものギャラリー和とする。会社は、別の方に譲り、現在も営業が継続しています。
染色・織物の名工作品展
1996年(平成8年)12月、練馬区立美術館にて「染色・織物の名工作品展」を実施。人間国宝・志村ふくみさんの作品『夜明け』をはじめ、染色・織物の名工作品60点を展示。すべて、干場功さんの収蔵品が展示されました。
森田療法「あるがまま」との出会い
干場功さんは、50歳代前から、仕事の過労によるストレス性の神経性心臓病を患い、1年間都内の医大病院に通院しました。
この時期、友人から森田療法「あるがままに生きる」という自然療法に関する本を勧められ、この療法を実践したところ、症状が改善。その後も、急に心臓に痛みが生じたときは、ゆっくりと深く深呼吸(腹式呼吸)を繰り返していると、自然と痛みが薄れ、症状が和らぎ落ち着いてきました。
この森田療法の「あるがまま」とは、不安や症状を排除しようとするはからいをやめ、そのままにしておく態度を養うことです。「あるがまま」という心を育てることによって、神経症(不安障害)をのりこえていくことが主眼です。(公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団HPより引用)
株式会社ニチイの岡本常男 副社長が、神経症を患うも、森田療法で克服した体験から、1988年(昭和63年)に公益財団法人メンタル岡本記念財団を設立し、理事長に就任。
岡本常男氏が私財と投じて、全国組織の団体「生活の発見会」を設立。森田精神療法理論に基づいたメンタルヘルスに関する相互援助活動が全国展開しています。(参照ページはこちら >>)
奥様・美子さんが、1996年(平成8年)に発病するまで、呉服問屋での仕事は継続しました。
干場功氏・若年性認知症に寄り添う
奥様・美子さん「ピック病」発症
・1937年(昭和12年)、茨城県龍ケ崎市生まれ
・1996年(平成8年)12月、59歳、言語障害が発現
・1997年(平成9年)1月、仕事中の言葉の乱暴さを得意先から指摘され、病院で受診。以後、1999年(平成11年)12月まで、言語リハビリのため週1回通院。月1回、他の医大病院等にも通院。
「ピック病と診断されるまでの3年間。『何故こんなことができないのか!』と、叱ってばかりで、妻にはとても申し訳ないことをしました。この辛い・苦しい経験にから、その後の活動において、相談者の心に寄り添い、優しく接することができるようになりました」と語る干場さん。
当時、若年性認知症に関するNHKの取材を受けたり、そして朝日新聞の取材では、夫婦でその頃の介護の様子が1週間連載記事が記載されました。
・1999年(平成11年)12月、ピック病と診断される。脳の前頭葉と側頭葉が萎縮し、失語症を患う。ソーシャルワーカーより精神科主体の病院への転院を勧められました。
・2000年(平成12年)2月、身体の硬直で路上に倒れ、翌日入院。退院後、入所施設を数多く探したが、「ピック病」の病名を告げると断わら、同年5月、やっと老人保健施設むさしの苑(埼玉県)に入所することができました。
「この施設では、皆さん、本当に良くしてくださいました。このむさしの苑で過ごした日々が、美子にとって一番良い期間だったのかもしれません」と、むさしの苑のスタッフの皆さんの真摯な対応の素晴らしさに感謝しているとお話くださった干場さんです。
・むさしの苑で3か月過ごした後、2001年(平成13年)、練馬区立大泉特別養護老人ホームに入居。以後、老人ホームから医療センターへの入退院を何度か繰り返す。
2006年(平成18年)12月28日、美子さんは、安らかに静かに眠るように天国へ旅立ちました。
当時、医者の間では、認知症は解剖しなければわからない病気だと言われていました。そこで、干場さんは、研究対象として美子さんの遺体(脳)を献体として医療センターへ提供。脳だけを摘出するので、穏やかな綺麗な顔で、その日の夕方には、美子さんは帰宅されました。
若年認知症家族会・彩星の会(ほしのかい)の活動
干場功さんは、奥様・美子さんのピック病をきっかけに、若年認知症家族会・彩星の会に出逢います。
「会合に参加したとき、自分ひとりじゃなかったんだということを知り、涙が止まりませんでした。同じ経験をした家族に出会うことで、目の前が大きく開けてくることを実感しました。この会のおかげで、他の家族と接する機会を持ち、家族同士でいろいろな思いを共有することができ、精神的に大きな励みになりました」と干場さん。
若年認知症家族会(当時は若年痴呆家族会)彩星の会は、2001年(平成13年)9月、群馬県・心の健康センター・宮永和夫 所長を中心に発足。生まれ変わることを意味する「再生」の文字を「彩星」に変え、彩り豊かに輝く満点の星の意味が込めらているという「彩星の会」です。
2004年(平成16年)、NPO法人 介護者サポートネットワークセンター・アラジン(本部:六本木)牧野史子 理事長とスタッフの皆さんの協力により、アラジン内に事務所が開設されました。奇数月の日曜日に定例会、ミニ講演、家族交流会、飲み会等、様々なイベントが開催されました。
若年認知症家族会・彩星の会 代表就任
2006年(平成18年)1月、干場功氏は、若年認知症家族会・彩星の会の代表に就任。各種委員会に参加するとともに、マスコミ関係の対応を全部任されて取材へ対応されました。
映画「明日の記憶」試写会での渡辺謙さんとの対談
・2006年(平成18年)5月、映画『明日の記憶』の試写会に、彩星の会のメンバーが招待され、俳優・渡辺謙さんとの懇談会の模様がテレビ放映。その後、テレビ、新聞、雑誌の取材が続き、マスコミに多く取り上げられました。
明日の記憶(プレビュー) – YouTube
・2006年(平成18年)3月、厚生労働省若年性認知症の実態と対応の基盤整備に関する研究委員に就任
・2008年(平成18年)、東京都認知症対策推進会議若年性認知症支援部会の委員に就任
NPO法人若年認知症サポートセンター設立
2007年(平成19年)3月、NPO法人若年認知症サポートセンターを設立。理事就任。厚生労働省補助金で社会参加支援センターの機能を付加して、同年9月より活動開始。
全国の若年性認知症の家族会
全国の若年性認知症の家族会は、朱雀の会(奈良県奈良市)、愛都(アート)の会(大阪府大阪市)、北海道ひまわりの会(北海道札幌市)、若年認知症ぐんま家族会(群馬県前橋市)、彩星の会(東京都新宿区)が設立されています。
若年性認知症ご家族の東京から北竜町への移住
砂川市立病院・内海久美子先生との出逢い
2004年(平成16年)に、砂川市立病院の精神科・神経内科・脳神経外科の3科が協働で診療する「もの忘れ専門外来」が、内海久美子先生を中心に開設されました。
干場さんは、札幌市での講演会で、全国若年認知症家族会・支援者連絡協議会・宮永和夫 会長とともに、講師をされた内海先生に初めて出逢います。その講演会では、朝田隆 医師(筑波大学名誉教授。認知症予防・治療の第一人者)を筆頭に、若年性認知症に関する様々な実態調査の発表が行われました。(参照記事はこちら >>)
中村信治さんとの出逢いと別れ
出会い
東京の家族会・彩星の会に参加していた中村ご夫妻について、当時家族会代表から、干場さんに「中村さん家族は、難しい状況なので、なんとか面倒をみてやってね」と依頼されました。中村ご夫妻との会話を重ね、環境を変える方法として、北海道北竜町への移住を勧めたところ、中村ご夫妻は移住を決心。
ご家族で北竜町へ移住
2007年(平成19年)8月、中村信治さん(当時58歳)大阪生まれ、奥様・博子さん(当時45歳)、ご家族は、北海道北竜町へ移住されました。
北竜町での受け入れ態勢は1年程かけて準備。同年11月、若年認知症家族会 空知ひまわりの設立総会が開催され、北竜町に若年性認知症の家族会が開設されました。
北海道へ来てから、砂川市立病院にて内海先生の治療を受け、それまで投与されていた薬を徐々に減らし、最終的にゼロに。症状も徐々に良くなっていきました。さらに、若年認知症家族会 空知ひまわりのメンバーの皆さんによる、献身的なあたたかい見守りのお陰で、内海先生曰く「奇跡的に緩やかな病状の進行」となりました。
空知ひまわりの主な活動は、週1〜2回の頻度で、ウォーキング・卓球・パークゴルフ・陶芸・温泉入浴などの支援プログラム。会員がサポーターとして交代で参加し、信治さんと共に過ごしました。こうした、空知ひまわりの活動は、ブログにて9年間毎日発信されました。
お別れ
2016年(平成28年)11月13日、中村信治さん天国へ旅立つ。23年前に若年性アルツハイマー型認知症と診断され、北竜町へ移住し、空知ひまわりのメンバーの方々に温かく見守られて、奇跡のような日々を過ごした9年間でした。のぶさんの穏やかな笑顔が今でも目に浮かびます。
干場功氏の若年性認知症への寄り添い方
家族会の役割・安心感・信頼感
「相談を受ける場合に重視していることは、ご家族の大変さをまずはしっかりと受け入れることです。話す内容が、たとえ多少違ったとしても、頭ごなしに否定するのではなく、一旦『そうだね』と受け入れた上で、いろんな実例を話します。すると、家族は、安心感と信頼感を持つことができます。相談を受ける人は、相手の話を良く聞いて、一旦受け入れることができるようにならないと難しいです」と、干場さん。
本人ケアと家族ケアは50%対50%
「若年性認知症への関わり方として、最初は本人のケアを重視していました。しかし、様々な家族と会話や言葉から、家族へのケアも重要であることを実感。以後、本人と家族のケアは、50%対50%へと変わりました」と、干場さん。
若年性認知症のご家族が抱える問題
告知方法、発症後の経済問題、本人の就労問題、家族の負担増により発生する虐待問題、医療問題、介護疲労等、若年性認知症家族が抱える問題は山積みです。
高度障害認定の難しさ
「一番の難問は、住宅ローンの支払いですね。住宅ローン支払い免除が認定されるようにと、生命保険の高度障害特約を使うなど様々な形で免除の方向で取り組んできましたが、実現するにはかなり難しい課題が山積みです」と、若年性認知症が高度障害認定となる難しさを語る干場さんです。
若年性認知症診断の難しさ
症状の進行が早い患者さんは、診断後10年程で死亡。緩やかに進行していく患者さんや、精神疾患が混在している患者さんなど、一人ひとり症状が異なるので、診断が難しいといいます。
さらに、職場によっては休職・退職を余儀なくされ、収入減による家庭崩壊も発生する可能性があります。環境の変化・整備による生活の安定を求めて、北海道への移住を提案。地域住民を巻き込んで成長していく地域の連携活動が動き出しました。
若年性認知症の方への就労支援(厚生労働省)
若年性認知症は、人によって症状や進行が異なるので、症状に応じた職務内容、業務内容の配置転換、補助作業等の取り組みによって就労支援事業が実施されています。
家族を抱えた若い患者さんの場合、ローンや生活費の必要性が存在するので、診断されても、すぐに仕事をやめて収入が無くなると、家族を支えることが困難になります。認知症の方の症状に応じた軽作業的な仕事内容が求められます。
また、認知症の症状には、精神的な症状が伴うので、仕事ができそうでもやってみるとなかなか続かない、すぐに辞めてしまったりします。仕事の内容を理解できていたとしても、瞬間に理解不能の状態に陥ったり、突然感情が高ぶって、怒り出したり、作業を停止したりする行動が伴います。
仕事に対する適応は、周囲の人が『できない』と判断するのではなく、本人が様々な体験を重ねた上で、本人自身が『ある程度できない』ことを理解するまで、支援する人々が忍耐強く『待つ』という行為が大切になってきます。」と、しみじみと話された干場さん。
干場さんの日頃のヘルスケアについて
長年、干場功さんが日頃から心掛けていらっしゃる運動・趣味等におけるヘルスケアについて、お聞きしました。運動はパークゴルフ、趣味的な活動は、詩吟、剣舞等を楽しんでいらっしゃいます。
健康法
・ウォーキング:毎朝30分、その後、北竜町主催のラジオ体操に参加
・温熱療法:毎回北竜温泉に行く度に、熱い温水シャワーを、膝・肩・腰・腕・アキレス腱と部分的に当て、最後に冷たい水をかけて肌を引き締める
・複式呼吸:就寝前10分、起床後10分
精神的ケア・人生観の柱
森田療法「あるがまま」の考え方を実践。
「相手を否定せず、現実をあるがままに受け入れます。すると、相手の意見の良さが、なんとなく見えてきます。そして、議論をしても、決してその場ですぐに結論を出さないことです。結論を出す場合は翌日。一晩じっくりと熟考することが大切です。
どんな人の話でも、じっくりと聞き入れてまずは認めます。『それは違う』と、決して否定せず、その問題に対する考え方や対処方法が色々あるよと提案します。傾聴ボランティアの姿勢がとても大切さです。相手の話をじっくり聞くことによって、相手は認めてもらえたという安心感を持つことができます」と、誠実な想いがじんわりと伝わってくる干場さんのお言葉でした。
奥様・美子さんの若年性認知症における辛い経験を活かし、これまで20年近くご本人やご家族の方々と心寄り添い、誠心誠意心尽くされてきた干場功さん。
若年性認知症家族会における干場功さんとの有り難いご縁のお陰で、北竜町での今の私達が存在します。干場功さんは、私達の命の恩人。言葉では表せないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます!!!
干場功さんの偉大なる功績とご尽力に、限りない愛と感謝と祈りをこめて。。。
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◇ Nhiếp ảnh/biên tập: Noboru Terauchi Phỏng vấn/văn bản: Ikuko Terauchi