Tsukasa Takebayashi đã giành được giải thưởng cao nhất! Ban thông điệp nông nghiệp của Hội nghị nông dân trẻ Hokkaido 2019 “Trở thành nông dân có lãng phí không? ” Toàn văn được công bố

2020年2月7日(金)

1月28日(火)・29日(水)、 北海道自治労会館 (札幌市)にて開催された「令和元年度北海道青年農業者会議・アグリメッセージの部」において、北竜町の竹林司さん(31歳)が、最優秀賞を受賞されました。

竹林さんは、北竜町出身。北海道大学農学部を卒業され、日本農業新聞で5年程記者としてご活躍の後、2017年Uターン就農をされました。

記者時代の農政取材、熊本地震での取材などの体験を通じて、農業が憧れの就職先になるような経営・農村づくりを目指す竹林さんのメッセージです。

ご本人から掲載の許諾をいただきましたので、メッセージ全文をご紹介いたします。

北海道青年農業者会議

北海道青年農業者会議は、北海道道農業の担い手である若者たちが一堂に会し、農業技術・経営改善の知識や農村生活・農村活性化などの情報交換・交流を深め、資質の向上と青年農業者からのメッセージを広く社会に向けて発信することにより、北海道の新しい農業及び農村づくりを目指すものです。

▶ 主催
・北海道アグリネットワーク・北海道4Hクラブ連絡協議会・公益財団法人北海道農業公社・北海道

▶ 後援
・北海道教育委員会・北海道農業協同組合中央会・公益社団法人北海道農業改良普及協会・一般社団法人北海道農業会議・北海道指導農業士協会・北海道農業士協会

▶ 参加者
・青年農業者・農業研修生・農業関係機関及び団体の担い手育成関係者等

第59回全国青年農業者会議に北海道代表として参加

竹林さんは、2月26日(水)・27日(木)、国立オリンピック記念青少年総合センター(東京都渋谷区)で開催される、第59回全国青年農業者会議に、北海道代表として参加されます。ご活躍を祈念申し上げます。
 

碧水町内会 竹林 司さん
碧水町内会 竹林 司さん”最優秀賞”受賞報告(写真提供:北竜町・佐野豊 町長 Facebookページ)

メッセージ全文『農家になるのはもったいない?』

「農家やってるの? 北大出て? 農業新聞辞めて? へー、もったいないね。」

同窓会で、友人の結婚式で。実家を継ぐためにUターンして3年、さまざまな機会にこんなことを言われました。父からは「継がなくても、他で能力を生かせるなら、それでいいぞ」と言われてきました。そんな中での自分の選択は、果たして「もったいない」でしょうか。

そもそも、「何がもったいないのか?」考えてみました。学歴? 別に勉強は就職のためにするわけじゃあありませんが、農家になるためにはいらないかもしれない。お金? 確かに種まきに間に合わせて辞めたので、5月のボーナスは逃しましたし、給料も悪くなかった。ですが、それだけで評価できるのでしょうか。最初、私は「もったいないなんてことはない」と発表しようと思いました。しかし、現実はそうかもしれません。結局、もやもやとして私は結論を出せませんでした。

なぜ農家をやろうと思ったか。その答えになるかはわかりませんが、この場を借りて「他人事じゃねえからだ!」という愚痴をぶちまけようという結論に至りました。

世の中、都会人でも田舎者でも「農業は大切」と言います。私に「もったいないね」といった人たちも、同じように言っていました。それでも、農家をやるのが「もったいない」と感じるは、やはり農業の現実を、他人事だとしか感じていないからではないかと、私は思うのです。

この思いは、大学時代と農業新聞の記者時代に学んだ結果だと思っています。

勉強することは好きで、育った環境も手伝い進路は農学部に決めました。農業経済学を勉強し、勉強が好きすぎたので一年余計に5年間在学していました。卒論では、「とある町では15年後、60歳以上の農家が平均30ヘクタール以上の農家にならないと農地は守れない」と結論付けました。正直、これだけでは農家になろうなんてちょっと思えませんでした。

学んだことはもう一つあります。それは北大恵迪寮での自治会活動でした。今時珍しい管理人のいない、学生がすべて運営している寮で、寮長も務めました。一つ一つの仕事が大変でしたが、その中で一番の敵は、無関心でした。会議は定足数を満たすのに精一杯、リサイクルのゴミ分別にすら人が集まらない。自分の生活の裏には、誰かの汗と苦労があります。それが自分以外の誰か、だけで済ませてはいけない、「他人事」ではないと伝えることが、とても難しいことでした。

この大学時代の2つの学びが結びつき、農業の現実を広く伝えたいという思いから、卒業後、日本農業新聞へ入社しました。都会で飲み歩くのも楽しかったのですが、今回は仕事の話をします。記者は、忙しくも楽しいものでした。社会面担当からスタートし、省庁やJA、そして福岡県に転勤し、九州・沖縄などを担当し、5年間勤めました。

これは常に「他人事」では済まされない人々との出会いの連続でした。全国の青年部は会議で突然、TPPの反対運動を行うことを決めて解散。1時間後には自民党前に集まって「TPP反対」の大合唱。凄まじい怒りと熱量でした。東日本大震災の被災地で、奥さんを津波で亡くした農家も取材しました。絶望の中、それでも農業を続ける姿には、辛くて、苦しくて、取材の帰りに車の中で吐いたことを覚えています。

そして、大きな岐路に立ったのは、2016年の熊本地震の取材でした。地震が起きてすぐの夜9時過ぎに、同僚と2人で熊本に向かい、翌朝5時から夜10時まで取材、出稿を済ませました。何とか営業していたホテルに戻り、明日に備えて寝たその夜1時、震度6強の本震に襲われました。机の下に急いで滑り込み、ホテルの壁がきしむ音を聞きながら、とにかく死ぬ恐怖と、どうやって助かるかだけ考えていたのを覚えています。それでもなんとか助かって、取材を続けることができました。

翌日、2か所を取材し、自分がまだこの地震を、そして農家の暮らしを「他人事」と感じていたことに気づかされました。一人目は、50代のトマト農家です。家が崩れたその日に、「トマトがダメになる」と朝から避難所から収穫作業に出向いていました。そしてもう一か所は、震源近くのJAの介護施設。被災した高齢者のために、デイサービスを全く休まずに続けていました。信じられますか? 自分がここにいたら、これができたか。思わず自問しました。

取材を次の班に引き継いで自分の部屋へ帰り、考えたのが地元の北竜のことでした。農業のために、記事を書くことも本当に大切な仕事だと今でも思います。それでも、農業の世界をもっと知って、他人事ではない世界にもっと踏み込まなくてはいけないのではないか。そう考えました。

金は、前より稼げるかわかりません。都会暮らしの楽しさもありません。「もったいない」かもしれません。でも、農業という仕事、そして華やかなひまわりの町として有名な北竜町には、他人事ではない現実があります。私は、ライスセンターの20年ぶりの新人です。後継者不足の岩村150町を、どうしていくか、自分が考えなくてはなりません。今、私は法人化へ舵を切るか、営農集団を基礎にした共同経営ができる体制を考えるか、地域の方と少しずつ話しながら考えているところです。

これからしなくてはいけないことは、まず「もったいない」と思わせないことです。稼ぐこと、そして楽しむこと。農業があこがれの就職先になるような経営、農村づくりをこれからの人生で実現させていくことです。

他人事じゃねえんだ。自分で自分の地域と町を作るんだ。これから「もったいない」なんてことはないような農家になって見せようと思っています。

viVI