2025年6月20日,星期五
祝!田中盛亮氏「旭日単光章受章」祝賀会
6月14日(土)14時より、元北竜町議会議長の田中盛亮氏(たなかもりすけ・88歳)が、高齢者叙勲の「旭日単光章」を受章され、受章祝賀会がサンフラワーパーク北竜温泉にて開催されました。

祝賀会の開催
6月14日(土)、元北竜町議会議長の田中盛亮氏(88歳)の旭日単光章受章祝賀会が開催。
- 旭日単光章:国家・公共に功労、社会各分野で優れた行いのある方に授与。
- 高齢者叙勲:春秋叙勲未授与の功労者へ88歳到達時に授与。

推动者
- 创始人代表:中村尚一 氏(北竜町議会議長)
- 発起人 :川田浩二 氏(議会OB会会長)、澤田正人 氏(西川町内会会長)、南秀幸 氏(総代会会長)
ご夫妻入場

司会:北竜町役場総務課・南波肇 課長

発起人代表挨拶:北竜町議会・中村尚一 議長

「本日ここに、田中盛亮町議会議長の旭日単光章受章の祝賀会開催にあたり、発起人を代表し、ご挨拶を申し上げます。
本祝賀会におきましては、町をはじめとして準備を進め、町議会議長、議会OB会川田会長、田中さんの元所属の西川町内会澤田会長、そして、総代会会長の南会長の連名でご案内をさせていただきました。皆様方におかれましては、何かとご対応中のところ、大勢の皆様のご出席を賜りましたこと、誠にありがとうございます。心からお礼を申し上げます。
田中さんは昭和12年(1937年)1月に西川にて生を受け、真竜小学校、北竜中学校を卒業され、昭和27年に農業に従事されました。
その後、昭和31年(1956年)には野幌酪農高校を通信教育により卒業され、その後長年にわたり農業を生業として北竜町において生活してこられました。
昭和58年(1983年)には地域の皆さんから推されて北竜町議会議員に当選され、以後、4期16年にわたりご活躍をされました。3期目には副議長、4期目には議長としてその手腕を遺憾なく発揮されました。
4期目の後には議員を後継議員に譲られ、退任をされましたが、議員在任中はもとより、その前、後においても数多くの様々な団体において会長等を歴任されており、人柄や能力を高く評価されてきたものと思います。このことにより旭日単光章の栄誉に表されものと挨拶いたします。改めてお祝いとお慶びを申し上げます。
青年期には青年団活動に励まれ、桜岡青年団をはじめ、昭和38年・39年(1963年・1964年)には、北竜町青年団体連絡協議会委員長、そして、昭和42年(1967年)には、北空知青年団体協議会会長としてもご活躍されました。
そのことにより、全労各地にその当時の仲間がおり、一般財団法人北海道青年会館の評議員や、北海道青年団OB会副会長の任務を果たされております。
私も同時期に評議員をしていましたが、田中さんが欠席の時などは多くの方から、『もっちゃん元気にしてるか』というような感じで聞かれたものであります。
また、菩提寺であります信州大田川の法光寺では、若いときから関わり、創精年会の立ち上げにも参画し、第2代会長を務められ、現在もなお創精年会は脈々と受け継がれています。
平成12年(2000年)からは総代に選出され、平成21年(2009年)からの副総代長を経て、平成30年(2018年)には総代長として一期3年間、退任後の令和3年からは責任役員として運営を担っていただいております。
近年、夏場はパークゴルフを楽しみ、健康維持と仲間との交流を深められております。その腕前もかなりのもので、大会の優勝も幾度となくされているようでございます。
結びになりますが、人生100年時代、田中さんにおかれましては、和子さんともども体調管理には留意され、お元気に過ごされますことと、田中家の益々のご発展をご祈念申し上げます。
あわせて、本日ご参加の皆様のご健勝、ご多幸をお祈り申し上げ、ご挨拶に代えさせていただきます。本日は大変ありがとうございました」と中村議長のご挨拶です。

花束贈呈:ひ孫さん東奏汰君より花束贈呈

祝辞:北竜町・佐々木康宏 町長

「御列席の皆さんを代表してお祝いをしたいと思います。
祝辞・この度、田中盛亮様におかれましては、旭日単光章の受章、誠にお祝い申し上げます。
田中盛亮様は、家業である農業に従事され、ご家族共々の家業に精励され、農業の確立と農業経営の安定に努められました。
さらに、昭和58年(1983年)には地域住民から推され、北竜町議会議員に当選。産業建設常任委員会委員長、議会の副議長、議会議長など歴任され、4期16年の長期にわたり、議会の円滑な運営、さらには町の産業振興、福祉の向上、生活環境の整備、教育文化の向上にご尽力いただき、地方自治の振興発展に多大な貢献をされました。
旭日単光章ということであります。自治功労という部門が大きなものを示しておりますけれども、自治というのは、単なる議会議員を長く務められたということではなくて、住民のための全ての生活に関わる,福祉の向上、町民を思う、その心がこの受章に結びついたのだと思います。
それは田中さんの生きてこられたお姿を見て、そう感じております。今日はですね、朝から和保育園の運動会でした。朝から午前中はこの町を背負う子供たちの運動会で、ワイワイと楽しい歓声の中に包まれました。
そして、また役場の自治体の野球大会がありました。私も以前はやっていたんですけども、これまた町を背負う役場の青年たちがしっかりと競いながら、野球の試合に臨んでおりました。
田中さんは、これまで本当にご苦労なさって、様々な分野でご活躍をいただいた今日の祝賀会は、大変に良き日だと思います。
子どもたち、青年たち、そして先輩たちが今日の良き日の応援団になりますから、大変にありがたいと思っております。
私は、昭和62年(1987年)に議員に初当選をしました。当時は、14人の定員のうち7人新人でした。
議長を除けば、もう新人が多数を占めるということで、実は不遜な動きをしたんです。
新人議員で全部決定しようとするわけです。そういうところを田中さんはいち早く察知してくださいました。『そもそも、議会とはそうではない。議会とはこういうもんだよ』と、根本部分を教えていただいたのは田中さんであります。非常に身に染みました。貴重なご指導をいただいたと思っております。
第9代目の議会議長さん、私が12代目議長で、今、議会議長である中村議長が13代目と、この議会の歴史の中で仕事をしていきたいと思います。
それともう一つ、ある方が空知の議長会に行かれました。その時の空知の議長会というのは数の力で、ある地方議会の議員さんが議長・副会長を独占する、そのような事態になりました。
そこで田中さんが一言『小さな町の自治もしっかりしているんだから、大きな町だけが,議長会の役員・三役を独占するなんて大きな間違いだ』というように、当時、おっしゃっていただきました。
そのおかげで、今、空知の議長会というのは、それぞれ品行のある議長さんに就任していただいているところであります。小さな町もしっかりと自治を担うことができ、大にありがたく思っております。
その後にいろいろな各団体のトップをされております。まだまだ、その部分の会員として継続をしていただいて、町をよろしくお願いしたいと思います。
今後とも、ご夫婦共々 ご健勝で我々にご指導を賜りますよう、よろしくお願いをいたします。
結びに田中家、本日ご参加の皆様、合わせて益々のご活躍をご祈念申し上げて、私からの祝辞といたします。本日大変におめでとうございます」と、佐々木町長のご挨拶です。
記念品贈呈:北竜町役場総務課・番田桂子 課長補佐

謝辞:田中盛亮 様

「この度は、私の受章に対して、盛大な祝賀会を催していただきまして、誠にありがとうございます。
この会にあたっては、発起人の皆さんや、特に役場の難波さんと番田さんには大変お世話になりました。合わせて御礼申し上げたいと思っております。ありがとうございました。
ただいま、発起人の中村議長さん、そして佐々木町長さんより身に余るお言葉を賜りました。大変恐縮いたしております。ありがとうございました。
顧みますと私の88年、2歳の時に両親の離婚がありまして、それからの人生、波乱万丈の人生でございましたけれども、皆さん方の温かいご指導によりまして、なんとか今日まで来ることができました。ありがとうございました。
加えて、4期16年に亘り議会にも出していただきました。今回の受章はそのことによるものでございまして、この賞は皆様方からいただいたものでございます。本当にありがとうございました。
これからの残る人生、この章に恥じないように、そして少しでも恩返しをしたいなと、こう思うのでありますけれども、私にはもうそんな力もございません。できるだけ迷惑をかけないよう、そして日々感謝感謝で生きてまいろうと思っておりますので、どうか変わらぬご指導ご鞭撻をお願い申し上げるところでございます。
最後になりますが、皆様方のご健勝でのご活躍、ご多幸を心からご祈念申し上げまして、誠に簡単でございますけれども、お礼の言葉といたします。ありがとうございました」と深い感謝を込めた田中様のご挨拶でした。

乾杯:北竜町名誉町民・黄倉良二 様

「私は70年間、田中さんの指導をいただいております。
今日、皆さんがあまり知らない青年時代の田中さん2点だけ紹介させていただきます。
田中さんは西川で非常に面積の少ない百姓、大変な苦労をさせておりました。私が今でも忘れられないのは,田中さんは、自分が生きるため、家族のため、農業経営を守るため、歌志内の赤平炭鉱の先山(さきやま)として努力をされます。
まさに灼熱の中、事故があればそれで終わっている時代、田中さんが家を守るため、必死にそんな努力をされる姿を、私は見てまいりました。
私には、田中さんのように働く勇気がなく、佐々木建業で18年間お世話になりましたけど、田中さんのこの生き様、私は今でも忘れることはありません。
もう一点。田中さんが青年団活動を始めた頃、北竜町は、北空知12町村、江部乙を含んでおりましたから、花形の陸上競技大会、北竜はBクラスの5以か、6位。
田中盛亮さんと金山さんが『こんなことでいかん。なんで負けんないかんのだ』という田中さんの発声で始まりました。
金山さんは非常に知的な方で、『それじゃあ、どうやってよその町、市に勝つために努力をすべきか』という協議を重ねました。
そして、教育長にこの熱意を訴え、北竜高校の先生、北竜中学校の先生、碧水小学校の校長先生、そして剣道の先生のご支援・ご指導をいただくことにしました。
そして、田中さん、金山さんは『町内をあげてやるぞ』と、役場、土地改良、商工会あらゆるところを巻き込んで、『よし、北竜の力を示そう』という努力をされました。
田中さんのこの『やるぞ』という声がなければ、そのまま停滞をしたままで終わったと思います。
その先生方のご指導、教育委員会の熱意もいただきまして、3年目にはAクラスの上位、4年目に優勝、そして常勝北竜という姿を作ることができました。
田中さんのこの『なんで負けなきゃならんのだ、俺たちもやれるぞな』というこの迫力、そして金山さんの知的ないろんな戦略を考えてくれる力、私は、このお二人の指導を受けながら一緒にやれた若い時代を誇りに思っております。
昭和40年(1965年)に、北海タイムス社の北空知一周、幌加内まで到達をするという駅伝大会が開催されました。
北竜には到底出場できる選手はいない。しかし、田中さんは『最初に出れなければダメだ。何としても出るぞ』と発言。先生と田中さんは、バイクで2日間に亘り美葉牛から竜西まで廻り、9人の選手を集めて出場させていただきました。
最初は惨憺たるもの。大会が終わり、多度志の山の中で先が見えない一番後ろとなり、伴走者のバイクに乗って次につないだという話を聞きました。大会が終わった後、『こんなことではダメだ。よそでやれることがなぜ我々がやれないのか!』という反省が起きました。その後、猛烈な練習が毎夜行われ、努力が続けられました。
2回目の大会では優勝チームに3秒差までと猛追。3回目、4回目、5回目と、3回とも圧倒的な優勝を取れるというところまで強くなりました。
そして、この陸上だけではなくて剣道、柔道、相撲、バレー、あらゆる体育協会、篠原会長の深い心に囲まれて努力をしました。田中さんが『よし、スポーツの町を宣言して、スポーツを通じて明るいまちを作ろう』と、教育委員会に一生懸命努力をしていただきまして、日本で2番目に『スポーツの町』を宣言させていただきました。
深い懐の篠原会長に包まれて、各自が努力し、北竜町体育協会が北海道スポーツ賞を受賞するところまで行きました。
すべて田中盛亮さんの迫力、それを知的に制御をした金山さん、この二人の力は大きな北竜の力になったと思っております。
青年団活動が盛んだった頃、北空知12町村、3,000人を超える団員がいました。当然、田中盛亮さん、金山伸一さん、北空知のトップに立たれて努力をされました。
幸い私は2回とも事務局長を拝命しました。自分の人生で、これほどまで素晴らしい人に仕えて仕事をしたことに幸せを感じて、今日まできました。
田中さんの『諦めない』そして、『どんなことにもくじけず挑戦をする』『泣き言を言わない』そして、『仲間に絶対的な信頼を寄せながら事を進める』というこの田中さんの力、今日の北竜に大きな力を残していただきました。心から感謝を申し上げます。ありがとうございます。
田中さんの受賞に乾杯!おめでとうございます!」と黄倉さんの想いのこもった熱い乾杯の御挨拶でした。

盛宴
豪華な料理が並び、佐々木町長や町議会議員、ご親戚の方々との会話が弾み、和やかな雰囲気の中で歓談が行われました。
参加者全員が田中氏の喜びを分かち合いました。















万歳三唱:佐野豊 前町長
「和やかで素晴らしい田中さんの祝賀会であります。
田中さんには大変お世話になりました。旭日単光章、誠におめでとうございます!万歳三唱で、皆さんのご唱和を宜しくお願いします!
長年に亘る、地域振興の推進、そして北竜町の町づくりに多大なるご貢献をいただいて、今回の旭日単光章受賞となりました。本当に嬉しい限りです。
田中盛亮さんのこれからの人生、100歳まで頑張るという意欲であります。田中家ご家族、参会の皆様のご健勝・御多幸を心からご祈念申し上げて、声高らかに万歳三唱をさせていただきます。
田中さん、おめでとうございます!万歳!万歳!万歳!」
と皆さんと共に、佐野 前町長の心込めた万歳三唱でした!


<お見送り>







田中盛亮氏:プロフィール
- 昭和12年(1937年)1月生まれ(88才)
- 真竜小学校、北竜中学校を卒業。
- 昭和27年(1952年)より農業に従事。
- 昭和31年(1956年)野幌酪農高校を通信教育により卒業。
- 長年にわたり北竜町で農業を生業として生活。
- 昭和58年(1983年)地域の推薦を受けて北竜町議会議員に当選。
- 4期16年にわたり活躍(1983年~1999年)。
- 3期目に副議長、4期目に議長を務め、その手腕を遺憾なく発揮。
- 北竜町青年団団長、北空知青年団団長を歴任。
- 昭和38年(1963年)9月: 北竜町青年団体連絡協議会委員長。
- 昭和42年(1967年): 北空知青年団体協議会会長。
- 青年団活動は、各地域の20歳代から30歳代の青年男女により組織される団体で、各種スポーツや文化活動、研究集会などを行います。田中氏はこの活動を通じて人間形成の基盤を築きました。
- 農業と掛け持ちで、金山建設で5年間勤務。
- 平成12年(2000年)、金山建設(株)で農業受託事業としての新分野「農業委託部」が設立された際、農業者である田中氏が中心となり、新規事業が展開されました。
- この事業は、農繁期に建設会社の従業員や地域の農業者OBを派遣し、農作業に従事するもので、当時大手新聞社やNHKでも取り上げられ、注目を浴びました。
- 社会福祉協議会会長を10年間務める。
- 引退後は、パークゴルフを楽しむ。
- 令和7年(2025年)2月1日 旭日単光章受章。
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